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アーモンド・スウィート もし中学受験のテストが国数社理以外もあったら

 秀嗣は学習塾の授業の合間に、ボーッとしながらあれこれ想像してみることが多い。今回は…。
 算数が苦手だが好きだ。国語は得意だと思っている。だから好き。子供の頃(といっても小学校上がる前のこと)、全部ひらがなで書かれていた『こども名作物語り』を読んでいた。絵本は、子供過ぎて"おマメ"扱いされているように感じ反発して読まなかった。小学5年のいまでも読まない。理科も社会も、学校での授業は好きだ。好きな教科を順に書けば、一番好きのが算数、次が国語、次が社会、最期に理科という順だ。英語を入れた授業まで入れれば、算数、国語、美術、英語、道徳社会、理科、体育、音楽の順番になる。音楽はクラシック音楽を聴くのは好きだけど、楽器(鍵盤ハーモニカ、リコーダー)などを演奏するのが苦手だ。あと歌唱も苦手。一番嫌なのは、音楽室の前、黒板のところに出されてみんなが見ている前で一人で課題曲を歌わされるテストなどの時間。音楽の通信簿が良かったためしはない。仮に中学受験や高校受験で国語、算数、英語の他に一科目選ばされることになって、理科、社会ではなく美術、音楽、体育の中で選ぶことになったら、どれだけ落とされる人が多いだろう。とくに音楽のテストなんて最悪だろうと思う。普段、音楽先生が秀嗣たちに言っているように「君、歌下手だなー。声小さいなー。もっと声を大きく、楽しそうに」と、「(リコーダー)指で押さえるだけの楽器もろくに弾けないのか。努力するということができないの? 努力しようとする気もないの?」と試験にあたる中学生の試験管や高校の試験管に思われるんじゃないかな。
 音楽の先生たちって、誰もが厳しいよな。優しくないというか。自分で唄ったり、楽器演奏している方が楽しいから子供の面倒なんてみるの嫌なんだろうな。そんな時間があるなら、自分が楽器をいじっていたいんだろうな。テレビのインタビューで、クラシックの演奏者の人だったり、ロックのギターを弾く人だったりが、「一日中、楽器に触れてないと心がトゲトゲ・イガイガして感じになって、周りに人に当たってしまうんですよね」って言っていたから、音楽の先生たちも同じなんだろうな。
 美術の先生は好きに絵を描かせてくれるか好きだ。絵が下手だとか、画用紙に書いてある物が変だとか言わないから好きだ。時々、4Bの鉛筆で生徒の書いた絵の輪郭線を修正したり、水彩絵の具で直してくるけど、直される前より画が見違えて良くなるから、直されても嫌な気持ちにならない。
 音楽の先生たちと違って、いつもニコニコして秀嗣たちクラスのみんなの絵を歩きながら見ているところも好感が持てて、イイなと思う。
 体育は専門の先生ではなく、担任の天野先生が教えてくれる。天野先生の専門は理科らしい。東神田小の理科教科担当主任という仕事も五年一組の他に兼務してしる。だからと言うわけではないけれど、天野先生はどちらかと言えば運動は苦手だと思う。ダンスは好きらしい。学生の頃(高校生、大学生の頃)は、仲間とブレイクダンス、ヒップホップダンスを一緒に踊っていたと自慢していた。いわゆる、走る・飛ぶなどの陸上競技や水泳は得意ではなかったと白状していたのを聞いた覚えがある。いずれ英語、国語、数学またはダンスの三科目を選んで試験出来ますってことになるかは分からない。でも中学受験でダンスは、まだまだないだろうと思う。
 天野先生が理科教科主任なんだから、五年一組の生徒は理科を受験選択科目に選んだら良いだろう、と他の人は思うかもしれない。でもそうはいかない。秀嗣は理科のテストが苦手だ。夜、星を見るのは好きだ。植物を育てたり観察したりは好きではない。時間が長くて辛い。今日種を植えて、明日には芽が出て、明後日に蕾まで育ち、明明後日には花が咲いて、弥の明後日には実が付けば良いのに。そうすれば一週間くらいで観察日記が書けるのに。理科の実験も好きではない。長い時間を使って、アルコールを温めるだけとか、途中まで解剖されたバッタをちょこっと解剖するとか。こっちはやり甲斐がなくてつまらない。なのに「アルコールは危険」とか「ガスバーナーは危険」とか、「メスは危険」とか天野先生はうるさい。危険は分かっている、でも少ししか実験が出来ないのでやり甲斐は感じない。つまらないと思っているから、テストも出来ないんだと思う。
 社会は、パス。ともかく社会のテストは点数が良くない。なんで良くないのか分からない。きっと社会も面白いと思ったことがないからだろう。

 塾での、次の授業が始まる。教室の外に居た、周りの人が急いで座りだした。次は算数の授業だ。当てられたら、今度は「正解」を直ぐに答えよう。塾の先生に一目置かれるかもしれないから。

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