還る場所をつくろうと思う
かづゑさん、昨夜は電話をありがとうございます。声に張りがあって、お元気そうで良かったです。
「がんばるのをやめようと思って。96歳だし。そろそろ良かろうと思って。十分長生きしたと思ってるんよ。」
「あなたはこれからよ。私は70歳から書き始めたのよ。とにかく、頑張ってね。」
こんな電話でした。
一晩経って、私は急に朝4時半に目が覚めました。かづゑさんの夕べの電話の声が蘇ってきて私の心を揺さぶるのです。そして思うがままに書き始めようと思い、いても経ってもいられなくなって、パソコンの前にいます。
そしてもうひとつ私を突き動かしているのは最近読み始めた1冊の古い本。「エゾ地一周ひとり旅」という本で、著者はフィレンツェ生まれのイギリス人A・H・ランドー。1890年6月に函館を出発し海岸線に沿って北海道を完璧に一周した146日間の旅行記です。そこにはエゾ地の開拓以前の自然、アイヌの人々との交流が描かれています。それは私が今知りたいことの1つなので、グングンと読み進めているところです。
そう言えば、私が北海道出身だと、かづゑさんに伝えた日、
「あなた、アイヌの皆さんのことはしっかりやってください。いいわね。」
と、力強く腕をつかまれて言われた記憶も蘇ってきます。
かづゑさんが言う一言一言は私には、錨となって心の井戸に深く沈むのです。いつもそうです。
急に北海道の昔のことを知りたいと思うようになったのには、理由があります。定年退職を機に、十勝にもどろうと思い始めたからです。
そして、その思いが浮かんだときに、遠い記憶からシューっとよみがえってきた言葉がありました。
「この地を手放してはならないわよ。」
十数年前のある日、祖母の木谷ソトゑが夢の中に出てきて、告げた言葉が耳の奥にずっと残っていて、そのことは何となく心のフックに引っかかっていたのです。なんでそんな夢を見たのかわかりませんでした。
そして、私の場合、大きな決断というのはじんわりやってくるものでした。今年6月に2週間イタリアをひとり旅しました。ボローニャからトスカーナ、ウンブリアといったイタリアの中部の穀倉地帯です。要塞小都市がいくつもあり、田園が美しく、オリーブやワインの産地として有名な所です。旅の理由は特別なものではありませんでした。退職までに2週間の休みをとることができる制度があって、それをどこかで生かしたいとずっと思っていました。イタリアの旅を終えて帰国して少ししたら、私の気持ちが思いも寄らない方向に動き出したのです。
「帰ろう。十勝に。帰ろう。」
一端思い始めたら私は、すぐに動き始めました。お盆は帰省して、会いたい人にあったり、土地を探したりしよう。そして私の思いを周りにも伝え始めたら協力者も現れ始めました。こんなことってあるんだ、と驚くほどです。
「帰って何をするの?」とよく聞かれます。
それで、私はイタリアで見た“アグリツーリズモ”的なことをやってみたいと、自然と答えている自分に自分でハッとしました。
そう、完全に魅了されました。アッシジから車で20分ほど山に分け入った場所にある、“Paradiso41”に。
そこは、私の好きなことが全部詰まっている場所だったのです。好きなことに囲まれて暮らしたい。とても単純な思いが私を占めている時間が多くなってきました。
Paradiso41には、山に囲まれた石作りの古い農家リノベーションした宿です。建物の前には広々した芝生、奥には丸いプール、周りには小さな畑も。食事は地元の産品をつかって提供する美味しい食事、暖炉や図書スペースあります。部屋の窓から見える美しい景色や、スッーと入る風、賑やかに聞こえる鳥のさえずりが至福の時間を与えてくれます。そして何と言ってもオーナーの温かいもてなしが気持ち良いのです。ここを愛していることが伝わってくる
夫婦のしぐさや笑顔、話ぶりや仕事ぶりがとても好ましいのです。10代の息子達もはにかみながら手伝っていて、楽しいと言う。私はこんなことが好きなんだと、心に深く落ちたのです。
かづゑさんに来てもらえるような家と宿を作りたいと思っています。日高山脈に沈む夕日の美しさ、静かに降り積もる雪の音や匂いを体験していただけるように。そして、その場所で、アイヌの人たちや開拓してきた方達の物語もお伝えできるような環境にできたらと思っています。昔のことから学んで、未来につなげるそんな大きな夢を見ています。
きっと祖母やそれ以前の祖先達も大いに声援送ってくれるでしょう。また、日高山脈が大好きだった亡き夫も驚き、喜ぶに違いありません。還る場所をつくることえを幸福に思います。
「とにかく、頑張ってね。」
かづゑさんの一言に背中を押してもらって、やってみます。また続きを綴ります。
2024年8月5日
矢内(木谷)真由美
※かづゑさんに書いた手紙です。かづゑさんは、岡山県長島愛生園に住む宮﨑かづゑさんのことです。私がプロデューサーとしてかかわった「天のしずく」の制作を機に知り合い、12年たった今も交流を続けています。かづゑさんのことは著書「長い道」「私は一本の木」(みすず書房)でご一読を。