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料理の本当はどこにあるか。
田村隆さんの八つ頭の煮物
■2024年1月3日記 「田村隆の“八つ頭の煮物”」
弟子の東海林さんがつくった「八つ頭の煮物」をいただいた。
一口食べると、記憶がよみがえり、胃の裏から、口中から、温かい思いと同時に、二度と会えないさみしさが襲ってきた。
「ああ、おいしい。本当においしい。でもさみしい。懐かしい。」
と、つぶやき涙がこぼれた。こうして書いている今も、目頭がグッとあつくなる。
去年の12月23日に、隆さんの大好きだった銀座にある居酒屋「がんばる君」に、毎年集まって隆さんの誕生日を御祝いしていた仲間が集まって隆さんの三回忌を偲んだ。
2020年の12月22日、隆さんは62歳で逝った。本当に突然に。
築地にある日本料理店「つきぢ田村」の3代目、田村隆さん。
温かくて、楽しくて、繊細で、愛の深い料理人でした。「・・・でした。」と言いたくないが、突然、「やない、今から来いよ~。」という電話は二度とかかってこない。
今にもかかってきそうだが、かかっては来ない。隆さんが亡くなって3年、番組の提案を考えるときも「こんな時に隆さんに相談したい。」ということが何度もあった。
日本料理の技を存分に生かし、食材を余さず使いその特徴を引き出した丁寧な日本料理が信条の隆さんの料理。
それは、先代である祖父 平治さんからの教えだ。その中に時折、遊び心を加え、合理的な要素も加味し、食べる人に感動を届ける。それは2代目、輝あきさんの影響だ。3代続いてきたからこその「つきぢ田村」の料理があった。
取材に行くと、「飯食ったか? まかない食ってけよ。」と店のた2階の板場に招き入れてくた。すでにお膳が用意してある。お弟子さんが私の前に、煮物、お刺身、汁物、漬物、ご飯と整えてくれる。湯気がフワーッと上がり、おだしの香りが頭の中の緊張をほぐす。よく煮しめた煮物の皿に、私の心は一気に捕まれる。ホカホカの白く光るご飯に目が釘付け。美しく盛り付けられた刺身や漬物は、料亭のそれだ。いやいや、これはまかないではない。もてなしだった。
その煮物の味つけは、品の良いだしがきいて、控えめな味の整え方。日本料理をしっかり食べることで学んでいったのだと思う。
弟子だった東海林さんが「八つ頭の煮物」を差し入れた時に
「隆さんに教わった、隆さんの大好きな八つ頭の煮物です。」
と、そっと告げた。
隆さんは惜しみなく伝えていたのだ。そして、味は確実に引き継がれている。そのことにはちょっとのさみしさはあるが、こうして味とともに思い出と技は伝えているという喜びもある。器は女将さんの文子さんから譲り受けたという。思い出が詰まった一皿に一同しんみりしたが、一口運んだ途端、「これだよね」「これだよな」と言いながら、食べ合った。女将さんも食べながら「隆さん、好きだったからね」と皆に笑顔を向ける。そんな文子さんの横顔を見ながら食べる煮物。私にとって、また一つ忘れられない深い味になっていくのではないかと思う。
隆さんとの思い出でと言えば、「築地」と共にある。初めて連れて行ってくれた築地市場の場内、場外。連れて歩いてくれて、仕入れの仕方(魚の見方など)、場内と方々とのふれあいや、人間模様まで見せてもらった。
「築地を見せてやるから、朝5時半にな。」
ドキドキ、ワクワクの市場の活気。隆さんが歩くと、店の人から声がかかる。もうそれは独特な温かいカッコイイ世界だ。マグロの競りや解体するところまで見せてもらった。
「マグロ食うか?」と言って、裁いたその場でいただいたこともあった。隆さんといると役得だった。
こんなこともあった。仕入れでいつも廻る場内の店を一回りしたら、「腹減ったよな、寿司食おうぜ」といって、なじみの店の裏へススッー行く。とにかく足取りが速い。お店の入り口で大将に目配せし「15分後? はい、よろしく」と言って一端去る。
またブラリとし近隣の店を案内してくれ、時には「茂助だんご」を買って持たせてくれることもあった。
寿司屋に入る。隆さんはマグロだけ食べる。大将もわかっていてそれ以外は出さない。ここでのお寿司体験は私の寿司概念の変革を打ち立てた。生魚は苦手だったが、こうして好きになっていくわけ一歩だった。シャリと魚のバランス、酢飯の酢加減、雰囲気といい完璧だった。そして敷居が高くない所が良いのだ。そして寿司の食べ方を学んだ。
「女性は箸で食べた方がいいよ。男は手でもいいけどね」
私はお寿司やでの作法も隆さんから教わった。
築地でのことで、もう一つ書き留めておきたいことがある。写真学科で学んでいた娘を
引き連れて廻ってくれたことだ。今から十数年前、大学2年生だった娘は白黒写真にはまっていて、撮るテーマを探していた。そんなとき彼女は「築地市場」に興味を持ち、私に尋ねてきたので、隆さんに相談した。
「築地を見せてやるから、朝5時半にな。」
と、あの言葉を再び聞いた。そして、同じようになじみの魚問屋、マグロ専門店、海老専門店、野菜専門店など同じように廻った。彼女が撮影していると
「こっちもいいぞ。」
と、声をかけた。あとから知ることになるが、隆さんは中学生からカメラマニアで、写真同好会を友達と立ち上げたほどだと言う。
娘はしばらく隆さんなしで築地市場に通っていたが、あるとき、築地市場を回るための娘専用の長靴が用意してあって、なじみの魚問屋さんの裏に確保しておいてくれたという。そんな粋な計らいがあった。そしてそれは、この人にきちんと挨拶してから市場を廻りなさいという、隆さんからのメッセージだったのだ。さりげなく市場のしきたりを伝える隆さんの思いやりと、隆さんが娘を応援している合図だった。
こういうことは、忘れることなんてできない。
「煮物」に戻ろう。
隆さんが番組で煮物を紹介するときのお決まりのフレーズがある。
「煮ない時間が煮物をつくる」
これは、日本料理の真髄のひとつだ。茹でたて、揚げたて、炊きたてと「3たて」がおいしさの原則という料理界の掟もあるが、煮物だけは別だ。
大根の煮物、筑前煮、おでんなど数々の煮物を「きょうの料理」で紹介してきた隆さん。調味料を加え終わった最後に、必ず唱えるように言っていた。
そして、ベテランアナウンサーにも
「はい、ではご唱和下さい。煮ない時間が・・・?」「煮物をつくる!」
でしたね。と言った具合だ。これは慌てず待つ言うことも意味しているきがして、人生と一緒だな、子育てと一緒だなとか、料理とは無関係なことが時々胸をよぎる。
あるとき「一品入魂」という料理1品を丁寧につたえるシリーズで、隆さんに「本格おでん」を紹介してもらった。つくりやすい分量だからゆうに5人分はある。https://www.kyounoryouri.jp/recipe/14030_本格おでん.html(2011/11/17OA)
この時も「煮ては冷ます、を繰り返して具材にしっかり味を入れましょう。」という点がポイントだった。そして、この放送を見た料理研究家の辰巳芳子さんから電話をもらった。
「あなた、隆さんの料理とても良かったわ。大きなお鍋でたっぷりつくって。おでんのような料理はあの位つくらないとね。繰り返し温めて食べることも伝えてくれてありがとう。」
と珍しく褒める電話だった。
「料理の本当は、どこにあるのか。」
私が問い続けている、答えのパーツのひとつとなった。 (1/6記)
※写真は、東海林さんがつくった隆さんの好きだった「鶏手羽のパリパリ焼き」。プロの料理は、一味も二味も違う!