The Special Day
私は記念日が嫌いだ。
記念日というのは、節分だとか子どもの日だとかクリスマスとかそういう名称のついた日である。
誕生日や命日などの個人的な日ではなく、カレンダーに元から記載されてる社会的記念日のことある。
皆が一斉に同じように捉える記念日は、普段の日と特別な日とを分けて不公平じゃないか?と思ったりする。
“全部ただのDayなんだから”、と頼まれたわけでもないのに記念日から漏れてしまった”Ordinary Days”に”私はそっち側だよ!”とエンパシーを投げつける。
Dayに上も下もねぇのになぁ、と。
なかでも特に嫌いなのが正月である。
「おめでとう」と言われまくる特別感の申し子、正月。
大晦日から重宝されがちな “The 元日”。
どうして数多ある記念日のうち私は特に正月が嫌いか。
理由をひも解くと、おじいちゃん絡みのことが起因していると思う。
子どもの頃は年末年始は父方の実家で過ごした。(母は実家が遠いという建前で帰らなかった)
1月1日はおじいちゃんと父が取っ組み合いの喧嘩をするのである。
恒例行事である。
何が原因かわからないが、起床して階下の食卓に向かうと、そいつらが取っ組んでいる。
寝ぼけ眼の私には2匹の野生動物っぽいのがスピーディーに転がっているように見える。
たまに、階段のすぐ下まで転がっていき、いま起きた妹たちが階段から降りられない。
玄関まで転がり、そういえば近所の人が止めに来てくれたことがあった。
祖母が助けを呼びにいったらしい。
私は”これは何なんだろう”と思って見ていた。
寒さで湯気が上がる元旦の朝のおせち料理や雑煮などの特別な食卓に風情を感じない。
(私はグラタンやピザなど、つまり、チーズを食べたいという感情が割といつもある。
特別な食卓よりとにかくチーズ料理がいい。)
食卓から取っ組みあって転がるおじいちゃんと父は”特別な”食卓から一体何を食べ飲んでから、床に転がり始めたのだろう。
起きたら転がってるので、直前の出来事が気になるが今さらわからない。
おせち料理も雑煮も踊っている。
おせち料理以外にも記念日の特別な料理に関心がなく、特に食事を変えず普段と変わらない”Ordinary foods”を食べることが多い。
父と祖父母が自然な会話をしているのを見たことがなかったが、元日の朝には何かがどうにかなってしまうトリガーがあると私は見ている。
それは、あの独特の ”祝いごと感” ではないか。
私にとっては穏やかで何の既成概念にも染まらないおじいちゃんがあんなことになるなんて。
祝われる記念日に警戒心と嫌悪感を抱くようになった原体験だと言える。
ちなみにおじいちゃんは体が細く腰が悪かったので、取っ組み合いは放っておいても長く続かなかった。
毎日が特別だと我思うゆえに日々あり。
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