東京のグランパ
ほとんどの人に血縁上は2人のグランパがいる、と思う。
私の2人のグランパだけど、普段は別にグランパと呼んでいない。
昔ながらの"おじいちゃん"と単に言っている。
もう長いこと呼びかけとしては使っていないけれど。
音と響きが気に入ったし、" グランパ " とここでは書いてみよう。
ほぼ同時期に亡くなったグランパだけど、母方のグランパに会ったのは一度きり。
東京ディズニーランドに一緒に行った。
東京駅で母に10万円の入った封筒を渡していた。
それが会ったときのすべての記憶。
10万円の入った封筒が子どもの私にはとても印象的だった。
東京駅のカフェで、大阪に帰る新幹線に乗車する前のことだった。
東京のグランパと向き合って母と妹とテーブルを囲んだ。
グランパが私の隣に座る母に封筒を手渡した。
その時、両手を開いて母に見せた。
小さな声で「じゅう・・・」と言った。
母が「10万円?」と聞いた。
私はとても驚いた。
「じゅう」だけでなんで10万円だとわかるの?
もしかしたら千円札が「じゅう」枚かもしれないし、ひょっとすると5千円札が「じゅう」枚かもしれないよ?
そうだとすると、えっと・・・いくらだろう?
そもそも、この封筒にお金が入ってることが「じゅう」だけでどうしてわかったの?
本当にこの中にお金があるの?ママ?
そんなことが一瞬で頭をよぎり母を見ていた。
グランパは静かにうなずいた。
母は「受け取れない」と言って断った。
私は、(なんで断るの?お金だったらもらえばいいのに。
東京のグランパはお金持ちなんだなぁ)、と思った。
何も知らなかったから。
母は東京のグランパに「いいから、いいから」と言われ、最終的にその封筒を受け取った。
私は良かったと思った。
東京のグランパは母が物心つく前に東京に出稼ぎに来て以来、母たちのところに戻ってこなかった。
母とグランパがこのとき会ったのは数十年ぶりだった。
グランパは東京の小さなアパートで静かに暮らしていた。
グランパは北海道の漁師町出身で、競馬などギャンブルにはまり、母たち一家は貧しく大変だった。
仕事を求めて北海道から東京に出稼ぎに行くことは珍しくなかった。
グランパは東京の暮らしが落ち着いた頃、祖母を東京に呼び寄せたが祖母は断った。
祖母は小料理屋を切り盛りし、3人の子どもを育てた。
母はそれを水商売と言う。
グランパは借金を残して東京で亡くなった。
私が14歳の頃だった。
★東京のグランパについての記憶はこれがすべてです。
プライバシーに配慮して多少脚色したところがあります。
当時の私から見たリアルをできるだけそのまま書きました。