「青の姫 The Blue Princess」第十一章(創作大賞2024ファンタジー部門)
第十一章 商人 ー 交換する人
ある村を出て、さあ、これから次の目的地まで長い道のりを行こう、と、はりきって青が歩きだしたとき、呼びとめる声がしました。
「そこのお前さん。ちょいと、ちょいと。こっちへおいで。」
ふり向くと、近くの木陰の岩に腰をおろした誰かが、手まねきしています。
いぶかしく思いながら、近よっていくと、それはかっぷくのよい、しかし足腰はひきしまった初老の男で、きせるたばこを一服していました。長い白髪に帽子をかぶって、大きなかぎ鼻、あいそのよい笑顔を浮かべています。
たばこからちょっと口をはなすと、煙を吐きだしながら、
「靴のひもが切れそうだ。そのままじゃ、なんぎするよ。」
足元を見ると、たしかに右足の靴ひもが切れかかって、結ぼうとしてもちょうど長さが足りません。
男はふところから、一本のひもを引っぱりだしました。
「これを試してごらんな。」
それを受けとって、古いひもの代わりに通すと、ちょうどぴったり。
「ありがとうございます。」
「おっと、礼にはおよばん。というのは、わしはこれで食っているんでな。どんなものでもお代はいただくよ。」
青は、ちょっと赤くなりました。この人が行商人だとわかったからです。
「ただのひもじゃないよ。山の民が日夜、山をのぼりくだりするために編んだものだから、ちょっとやそっとじゃ切れんはずだ。」
この先はとうぶん、人里もなく、長く歩くことになるでしょう。こんなひも一本が旅を左右することを、長い旅の中ですでに青は知っていました。
「おいくらですか。」
いっしゅん青の顔を見て、商人が言ったのは、青がこれくらいなら出してもいい、と思っていた値でした。
「まいどあり。」
お礼を言うべきなのは商人の方だったのです。
わずかな金を受けとると、またたばこをくゆらせながら、青をながめていました。
「えらく長い道を行くようだね。じゃあ、こんなものもいるんじゃないかい。」
青はこのとき初めて、商人の後ろにとても高い、大きなかごがあるのに気づきました。それはしっかりした作りで、背中に背負うための太いひもがついていました。商品はかごをあけると、あれこれと取り出し、青の前にひろげ始めました。
折りたたみ式の歯ぶらし、何でも切れて、手におさまる、ふたつきの小刀、やけど、切り傷、かゆみと、何にでもきく小さなぬり薬。旅にちょうどよい小さな石けんが三つで一組になっているもの。
「手ぬぐいはどうだい。これは薄いようだが、すぐに乾くし、熱いときや寒いときは首に巻いているとぜんぜんちがうよ。それから― 」
青が日ごろ、あればいいのにと思っているものや、切らして、ふべんを感じているものばかりでした。
「あっ、これ。ちょうどこんなものがないか、さがしていたんです。これも、これもだ。」
かごの中によくもまあ、こんなにあれこれ、つめこんでいるものです。
けっしてむだなものを押し売りしているのではなく、青を注意ぶかく見て、選んでいるようです。たれ下がったまぶたの下の小さな眼は、おどろくほどするどく見ているのでした。
いくらか、と青がたずねて、商人の言った値が高く、ためらっていると、「じゃあ、これでどうだい」と、少しずつ値を下げていき、青が買えそうなところで、ぴたりと止めるのでした。高すぎも安すぎもしません。
やりとりをしながら、商人はこの先の道のりや、次の村のことなど、それとなく教えてくれるのでした。
そんなこんなで、青はたくさんのものを買ってしまいました。
たくさんの小銭が入っている、古ぼけた、しかしじょうぶな袋をちゃりちゃり言わせながら、商人は笑いました。
「ぜったい後悔しないよ。あんたの旅をずっと楽にしてくれるものばかりさ。わしだって旅人のはしくれだからね、わかるさ。それに売らなきゃ、『ごみ』をかついでいるだけからな。必要な人に、ぴったりの値で売るのが商いってもんさ。」
かごの中に、あるものがのぞいているのを、青は思わず、見せてほしい、とたのみました。
それは、細かな銀の細工がしてある小さなさかずきでした。
城にいたころ、父王が青に誕生日のお祝いにおくってくれたものに似ていたのです。
なつかしくなって、急にそれが欲しくなりました。しかし、本当にこれを買うべきでしょうか。
さかずきを手に、迷っている青を見て、商人はにやりと笑いました。
「おや、目が高いねえ。ちっこいが、そいつはけっこうな値打ちものだよ。だが、わしはすすめんよ。今のあんたにゃ、手にあまるだろう。なくしたらと、いらぬ心配もするだろう。だいたい、あんたには荷物にならない、どんな大きさにもなる立派な器があるじゃないか。」
そう言って、自分の両手を合わせて丸く、受け取るような形にすると、飲み干すしぐさをしました。
「うん、この手、ってやつは、まったくたいした道具だよ。これを使って、何だってやれるんだからな。あんまり言うと、わしの商売、あがったりになるんだが。」商人はぽんと手を打って、笑いました。
「そのこぎれいなものに思い入れがあるようだが、気持ちだけでものを買うと失敗するよ。誰でも、今の自分てやつを、よくわきまえなきゃいけない。これをまちがえると人生まで失敗しちまう。」
今度はかごの奥から一本の瓶を出して、その中に入っていた飲み物を茶わんに注ぐと、青にすすめました。
「このふた付きの瓶は旅の途中、ぜんぜん中身がもれんのだ。実にべんり。」
青が一口飲むようすを見守って、自分も、くっと茶わんをかたむけます。
「味はいかがかな。これはこの先の三つ目の村で、近ごろひょうばんのりんご酒でな。わしはこれから、今あんたが出てきた村へ行くんだが、村人たちに飲んでもらって、気に入るようなら、次はたっぷり売ろうと思っておるんだ。うん、うまい、うまい。」
酒がまわって、赤ら顔がますます赤くなりました。口の方も、ますますのってきたようです。
「なあ、あんたは信じないかもしれんが、わしはこのかご一つに百姓に売る道具も、貴族に売る宝石だって、もっているんだよ。
なんだって、使う人しだい、売る人しだい。見る眼があればなんだって、価値があるし、力を見せる。値が高いか安いか、じゃあないんだ。
旅人のあんただから言ってしまうが、わしの売りもんには、拾ったものも多いのさ。人がその価値を知らずに捨てているから『ごみ』になるんで、使い道がわかれば、ごみじゃない。ちょいと修理したり、磨いたり、見せ方を変えれば、まだ十分使える、売れるのさ。つまり、宝さ。そしてだいじなのは、それを必要としている人に見せて、正しい値で売ること。わしは、それがほしいと思うお客がどこにいるか知っている。だから、こうして歩きまわって商売しているのさ。なかなか骨が折れるがね。まあ、この足が動いてくれるうちはがんばるさ。(商人は自分の足をぽん、とたたきました)
あんた、字が読めるかい。たとえば、ここにえらく珍しい貴重な本があるとしよう。そしてあんたは大金持ちだとしよう。誰かがあんたに、これはすごい本だ、ぜひ買うべきだ、とすすめたら、さあ、どうする。そこに何が書いてあるのか。それがどれだけすばらしいものか。あんた自身がわからなきゃ、それはただの紙くずさ。たとえ大金で買われたとしても、価値がわからない者の手からはいずれ、はなれて、本当にそれを必要とするなら、貧乏人の手にでも、ただで飛びこむ。ものってやつは、そんな不思議な運命を持っている。わしはよく感じるんだ。ものも意志を持っている、わしらと同じように旅をしている、とね。
そんな不思議なものの流れを見ているうちに、あきんど魂ってやつが、目覚めたのさ。人とものを正しく結んでやる、そんなふうにものが売れたときのうれしさときたら、たまらんよ。」
商人は心から愉快そうに笑って、りんご酒を飲みほしました。
「まあ、もうちょっとこの老いぼれ商人の話につきあってくれ。
金とものについては、旅人は一番かしこくなけりゃならん。どうやって金を使うか、取っておくか、これが頭の使いどころ。まちがえりゃ、旅はそこでおしまい。
わしはいろんなところを回るが、ひどいのは都会だ。
人間てやつは平和で豊かだと、ものとのつきあいがいいかげんになるんだ。
ものが少ないときは、誰でもものを大事にして、工夫して、使う。どうやったら最大に使えるか考えるのさ。だがら、ものが本当に生きてくる。
だが、ものがかんたんに安く手に入るようになると、急にそれがたいしたものじゃないような気がしてくる。ほっぽりなげて、忘れてしまう。もっと新しくて、いいものがほしくなる。ひとつだって、ものと本気で向き合っちゃいないんだ。それが何のためにあるのか、どうやって使えばいいのか。知ろうともしない。そもそもなぜ、それを買ったのか、本当に必要なのか、思いだせもしない。結局、それは持ち主が自分のことをわかっていないってことなのさ。
売るほうもいいかげんさ。金がほしいだけで、ものの価値より高く売りつける。その後のことはどうでもいい。こんな買い手と売り手のあいだを行き来したものは気の毒さ。しまいにゃ、ごみの山。それでも何か足りないような気がして、また買う、売る、のくり返し。はあ、こうなると、ものを買ってるんじゃなくて、自分が買われちまってるな。」
青は王女として城に暮していたころ、何でも持っていて、不自由することがありませんでした。持っているのがあたりまえで、ありがたく思ったことがなく、またそれらがいくらの値がするか、まったく知りませんでしたし、知ろうとも思いませんでした。何しろ、自分で何かを買ったり、金をかせいだりしたことがなかったのですから。城にいたら、永久にそのようなことはなかったでしょう。ところが、今では何一つ、むだにはできません、小さなものを買うにもさんざん考えた末で、がまんすることがほとんどです。
今は持っているのは、体に身につけられるものだけで、すべてなくてはならないものです。
商人はじっと思いにふけっている青に、気楽に声をかけました。
「あんたもむだなものがあるなら、わしが買ってやるよ。旅人は身軽な方がいいからな。もっとも、そのようすじゃ、売るようなものはなさそうだ。」
それから、ふと青の足元に目をやると、いきなり手を伸ばして、生えている草をぶちり、ぶちりと引き抜き、腰から下げた袋に入れました。
「こいつを摘んで乾かしたものを、酒を飲みすぎたとき、煎じて飲むと、次の日に引きずらないんだ。小袋につめたら、飲んべえたちに売れる。あんたも酒をすすめられたときは、こいつを飲めば、次の日の旅も心配なしだ。さあ、少し買わんかね。」
二人の間で、かけひきはどこまで続いたのでしょう。
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