薔薇/Aestheticism Cafe&Bar ROSALIA店長
〝新井薬師〟の名で親しまれ、御府内八十八箇所にも数えられる真言宗豊山派の寺院『新井山 梅照院 薬王寺』。 〝子育薬師〟〝治眼薬師〟とも呼ばれ親しまれてきたこの寺院は、一体どのような場所なのでしょうか?今回はそんな、中野区新井の『新井薬師』を歩きます。 1.新井薬師について・由緒(諸説あり)開山は新井の地に本拠地を置いた新田義貞の家臣・窪寺氏と伝わります。伝承によれば、薬師如来と如意輪観音菩薩が二仏一体となった御本尊は、新田氏代々の守護仏でしたが、新田義興の代に安置していた
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺として発展し、現在の上野恩賜公園一帯に広大な伽藍を形成した江戸の大寺院『東叡山寛永寺』。現在は上野恩賜公園となり、その敷地内に伽藍が点在する程度で、往年の姿はありません。 かつて、江戸幕府の下で隆盛を誇った『東叡山寛永寺』とはどのような寺院だったのでしょうか。今回は、現在も伽藍が点在している上野恩賜公園とその周辺を歩きます。 1.東叡山寛永寺について・創建江戸時代のはじめ、徳川家康─秀忠─家光の三代にわたって仕え、信頼の厚かった天台宗の高僧・天海
ずらりと並ぶ赤提灯、華やかな花魁道中、 落語や歌舞伎にも登場し、今なお人々を魅せる『吉原遊郭』。339年続いたそれも、今は高級ソープ街となり、地名や看板に名が残るばかり……。 かつて隆盛を誇った『吉原遊郭』とはどのような場所だったのでしょうか。今回は、そんな『吉原遊郭』の跡地、現在の台東区千束エリアを歩きます。 1.吉原遊郭について1603年、徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くと、政治の中枢としての江戸城下の整備が急務となり、作業に従事する人を関東中から集めるよ