逃げてもいいんだよ

と、今、テレビでミッチーが言っていた。

同じ番組で伊集院静も言っていたらしい。わたしもそう思う。と、実際に逃げて、周りに迷惑をかけた人間が言ってはいけないのかもしれないけれど、つらくて、死にたいとしか思うことができなくなったら、その場所から逃げればいいんです。

環境が変わると、変わるんです。自分の思考も。

笑っていいんだ、とか、生きてていいんだ、とか、思うことができるようになります。いや、なりました。

今日、ふと、お風呂に入ったときに、両足の甲にある、手術の傷が目に入りました。右の大腿部にも大きな傷がありますが、普段は目に入りません。あとは腹部に腹腔鏡の傷があるかな。

それで思い出したのは、肘の手術をした女の子が、もう半袖の服を着ることができない、と悲しんでいたとき。

そうか、傷があることは悲しいのか!と

わたしの両足の甲の傷は赤ちゃんの頃のものなので、物心ついたときからありました。母や祖母、父、いろんな人とお風呂に入っていたので、自分だけにある傷なんだとは思っていましたが、特になんとも思わないし、靴を履けばみえないし、素足でサンダルは?と聞かれても、靴は矯正した靴しか履けないし、仮にサンダルだったとしても、別に恥ずかしいとも思いません。

大腿部の傷は、かなり大きいですが、それでも傷自体をみられることに抵抗はないですが、太い脚をみられることは恥ずかしいです。

なんにしても、肘と違って、どこも隠れているので、いつもいつでも、自分の傷が悲しいと思うものだとは思っていませんでしたし、今も、特には思いません。

ただ、がんばった勲章だよね、とか言われるのは、少し違和感があります。

傷ががんばった勲章なのか?傷がなかったらわたしはがんばっていないのか?なにをがんばったのか?さっぱりわからない。

そんなことを言う人いるの?と言われそうですが、たまにいるんですよ。

というか、そんな体の傷より、心の傷のほうがよっぽど重要でしょうが、と思います。心の傷は一度ついたら、本当に癒えない。なんなら死ぬまで癒えないです。傷をつけた人は忘れるけど、つけられた人は忘れないです。

あぁ、そういえば、悩んで悩んで死にたいと思っているときに、わざわざわたしにそれを言わせたり(そんなの人に言いたくないのに)、もしくは死なないでとか言ってくる人ほど、簡単に、いきなり関係をブチ切ります。

死にたいと言ってもいないのに、死なないでと言われても(実際に死にたいと思っていたとしても)、なんて答えればいいのかわからないし。でも、いきなり音信不通になったりするので、わたしは傷つきますよ、そりゃ。

死なないでと言われても、困ります。

なんでも話してと言うから、言ってみたら、それは病院で話したほうがいいと言って音信不通になったりするのも勘弁してほしいです。

病院でもカウンセリングでも言ってるだろうし、話してと言われなければ話さなかったのに、話してと言われて話して切られるのは、傷つきます。

あ、それも逃げたほうがいいに入っているのか?

危ない人間には近寄らないほうがいいという危険信号なの?それだったら、なんだかわかる気がするよ。君子危うきに近寄らず、ってやつね。そっかそっか、それか。だったらわかるよ。

なんか今、心がスッとしました。

そうか、そうだったのか。最近、いろんなことを悔い改めています。人間関係とか。悪いと思ったことは悪かったと伝えたらいいし、思えない人は放置しておく、という風に決めているのですが、大体放置です。

今、大切にしている人たちを、大切に想いたいです。人間関係の断捨離も必要です。必要なご縁であれば、またきっと繋がるので、放置です。

これも一種の逃げです。

いつも自分が悪いから、怒らせてしまったのかな?と考えていました。でもどう考えても違うな、と思う。それでも前は、なんか悪いことしてたらごめんね、と謝っていましたが、今は辞めました。

もっと言ってしまえば、自分はこう思っていると、相手を叩きのめしたい気持ちになったことも何度もありましたが、今はそれもしたいとは思いません。あ、心が弱っているときには、隠してある心の閻魔帳から、いじわるをした人に倍返しくらいでクリティカルに傷つくだろうことを言ってみたいと思っていましたが、そんなことを思うことも少なくなりました。

心の閻魔帳はなくならないと思いますが、なにかあっても書いて閉じる。

最近、いい具合にもの忘れしてくれるお年頃になったので、これ言ったのって名前なんで言う人だっけ?となるので、ちょうどいいです。

大切な人たちを、大切に丁寧にお付き合いしていけたらいいやと思います。無理はしたくないし、逃げたくないので、できるだけそんな状況は作らない。大切な人であれば、きっときちんと向き合えると思っています。

わたしはよく、人を信じて裏切られるのです。それを周りは心配してくれるのですが、だからといって、よく知らない人(会社で知り合った人とか)を最初から信じない、というのはできないし、信じなければどうやって付き合っていくんだろう?と思うのです。

結果として利用されたり、上手くいかなかったとしても、いつも人を信じて失敗するとは言われたくはありません。

だって、もしかしたらいつもかもしれないけれど、その中に何十年も仲良くお付き合いできる友だちになることができるかもしれないし、自分が心を開かなければ、相手も心を開いてくれないじゃん、と思うのです。

たしかに多いです。利用されるだけ利用されたり、いいように使われたり。そして実際に傷ついています。でも、だから人を最初から信じない、とはなりたくありません。

最終的にお金を恐喝された人だっていたけれど、その人もなにか理由があったのかな、と今では思います。

で?今日はなんの話をしてたんだっけ?あ、逃げることか。そうそう、逃げてもいいんです。逃げてばっかりじゃダメだけど、壁にぶちあたって、何度かチャレンジして乗り越えられないんだったら、逃げてもいいって、ミッチーも言っていました。

というわけで、心に、もう爆発してしまいそうな悩みを抱えている人は、いっそ逃げてみるのもオススメです。もちろん自己責任です。死んじゃうよりはずっといいですよ、と。

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