自分で自分を満足させようね
携帯小説がすきで、読んでいると書き手さんの考えに触れることもある。
その中で「自分で自分を満足させようね」と書いてあってハッとした。
わたしは自分で自分を満足させられていないことに気づいたのだ。
わたしのすきなものは、推しや携帯小説で、どれも「誰かが作ってくれた作品」なのだ。
だから、観るものや読むものがなくなると心が枯渇する。
あまりにも推しや小説に熱を注ぎすぎるから、がんばってコントロールしたりするんだけど、反動でまたどハマりする。久々にふれると生き返る感がハンパなくて、心のオアシスだなとしみじみする。
そんくらい推しや小説のことはすきなんだけど、推しや小説に満足させてもらってるんだよね。
そう考えると、書き手さんは自分で自分を満足させてることになる。
自分で書いた作品が自分を満足させていれば、わたしのように「読むものがない!」と枯渇することはないのだ、作り出せるんだから。
それってめっちゃいいな、と思った。
推しに熱を注ぐのはもちろん楽しい。だけど、推しも1人の人間なのだ。心酔しすぎると辛いこともある。
推しや小説に満たしてもらってる満足度の割合を少し減らして、自分で自分を満足させられたら、もっと楽しいと思う。
自分で自分を満足させるには、なにがいいのかな〜。