「月がきれいですね」
「月がきれいですね」
著名な文豪の生み出した言葉だ。
愛の告白と同義だと言うが、愛についてはまだ良く知らない。故に、この言葉がなぜ、それと同義なのかよく分からない。
分からないのならば、考えてみるとしよう。
月がきれいですね、と言うタイミングはいつだろう?
まず、月が見えていることが想像できる。
それは夜だ。
月を見てもいないのに「月がきれいですね」と言う者がいれば、そいつは幻覚でも見ているか、もしくは寝ぼけてでもいるのだろう。
あるいは太陽を月と見間違えているのかもしれない。
更にひとりではなく、近くに誰かがいるはずだ。
それでいて、近くの者に対して、「月がきれいですね」と語りかけている。
ひとりで月を見上げ、「月がきれいですね」と独り言つ者がいるだろうか。
居たとすれば、なぜだか分からないが、その者はきっと寂しそうにしている。
寂しそうに、月を見上げてひとすじの涙をこぼしながら「月が綺麗ですね」と言っている絵が想像できる。
もっと重要なのは、「月がきれい」と感じていること。
その気になれば月なんていつだって見れる。
正確には天気の影響を受ける。それでも、見ようと思えば夜空を見上げれば高確率でそこにある。
だから、人によっては「月がきれい」なことくらい、わざわざ口に出すことでも感じることでもない。
しかし「月がきれい」と感じ、言葉にしている。
それは、その時、その場だからこそ綺麗だと感じているということがうかがえる。
夜空を共に見上げ、月がきれいですね、と語りかける相手がいる。
それは、苦労してやっとのことで登り切った山の頂にて、ただの塩味のおにぎりを「どんな料理よりも美味しい!」と感じることに通ずる。
感動があるのだ。
また、「月がきれいですね」と同意を求めている。
これが何とも憎い。
同意を求められるとどうだろう?
そうですね、とか、私はそう思いません、とか、返すことを強制するようなニュアンスが生まれる。返答を求めているのだ。
ちなみに私は同意を求めがちだが、同意されないことが多くて傷つくので、自衛のためにも同意を求めないように気を付けている。
さておき、「あなたはどう思いますか?」と尋ねていることになる。同意を求めている、すなわち、「あなたにもそう思っていて欲しい」という発問者の心が感じ取れる。
では、「月がきれいですね」は、相手に何を尋ねているのだろう。
言葉の意味をそのまま受け取るのならば、月を見て綺麗と思うかどうかを尋ねていることに違いない。
しかし、そうではない。厳密には、「それだけではない」のだ。
「あなたと見上げる月を、私は、美しいと思う。あなたは、私と共に見上げる月を、どう感じるだろう?」
みたいな意味が込められているのだ。多分。
あなたと見上げるからこそ、あの月が美しく感じる。それだけ言ってしまえば、それで十分過ぎるだろう。
そして、「あなたはどう思う? 私は、あなたも私と同じことを考えてくれていると良いなと思っているよ」みたいな意味合いが包含される。多分。
問いかけであることで、「奥ゆかしきプロポーズ」の構図が成立するのだ。
ふむ。こうして考えてみると、「月がきれいですね」という言葉は、まさに芸術だ。
正直、この言葉が愛の告白と同義だと聞いた時は、何がどうなったらそう言えるのかさっぱり分からなかった。
少し考えてみれば、なるほど、面白いほどに「愛の告白」である。
「月がきれいですね」の一文に、壮大なまでの意味が込められているのだ。
日本語ってすごいね。
しかしながら、私に好きな人ができ、実際にこの言葉を使ってプロポーズするかどうかと聞かれたら、使わないと答えると思う。
有名過ぎて、使うのが恐れ多い。
そうだな、自分だったら……。
「次の休み、何する?」
とかが妥当だと思う。
おわり
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