見逃す訳にいかない。
見逃す訳にいかない。
正義の味方が言いそうなセリフだ。
今までこういったセリフに関して、
「なんとなくかっこいい」
くらいの、漠然としたイメージを抱いていただけで、特にその意味を考えたことはなかった。
しかしこの年(何歳かは内緒♪)になって、この言葉の意味について考えさせられるきっかけがあった。
某動画共有プラットフォームにて。
横断歩道で歩行者が歩き出そうとしているにも関わらず、ノンストップで走り抜けていった対向車を目にしたパトカー。
すぐさまサイレンを鳴らし、その車の追跡を始める。
――という動画を見た。
この動画の視聴をきっかけに、
「見逃す訳にはいかないというのは、こういうことか」
と、腑に落ちたのだ。
自分がどういう思考プロセスをたどったのか、文章に落とし込んでいきたい。
まず、俺はパトカー(に乗っている警察官)の気持ちになって考えてみた。
横断歩道をノンストップで走り抜けた、対向車を目撃する。
「人が渡ろうとしていたのに、危険だなあ」
リアルな自分自身の立場としてなら、そう思って終わりだ。
別に、追いかける義務なんてない。どちらかと言うと、放っておく方が賢明だとすら考えるだろう、こちらに利益も義務も無いのに、わざわざ面倒なことをしようなどとは思わない。
だが、警察官となるとそうともいかない。
彼らはルールを破るものに対して、厳しくあらねばならない。
人々の安全な生活を、守らなければならない。
そう、つまりは、安全を脅かす対象について、
「見逃したかったのだとしても、見逃す訳にはいかない」
のだ。
対向車に乗っていた人が、自分の親友だったり、身内の誰かだったとて。
立場上、その行為を見逃す訳にはいかない。
そこまで考えて、
「正義の味方だって、悪行をする輩を、好き好んで懲らしめているという訳ではない」
と思い至った(中には好戦的な正義の味方もいるのかもしれないが)。
人類に対して好意的な感情を抱くために、必要な思考に一歩近づけた、気がした。
俺は、人は好きになりたくても、自分の身は守りたい。
そう考えているから、どうしても、
「だとしたら、初めから人を好きになんてならない方が良い」
と考えてしまいがちなのだ。
何というか、人を好きになろうとすると、色々と恐い。
だが、 今回の気づきを通して、
「人の行為と存在価値」
を切り離す見方もあるのだと、気づけた気がする。
これからの自分は、「罪を憎んで人を憎まず」な考え方で、生きていくのだ。