アートマネジメントの学び方〜ネットTAM講座マラソン(7~8月)
こんにちは。アートマネージャーのてらだです。
アートマネージャーとしての知識の土台を作るべく、5月から読み始めたネットTAM....(読み始めた経緯は、5月に書いたnoteに書きました。)
予定よりだいぶ遅れたものの、全340本の記事を、全て読み切ることができました!
ネットTAM購読マラソン、完走です!わーい
ネットTAMの記事は今後も増えていきますし、アートマネジメント学習に終わりはないので、ここは一つの通過地点です。
とは言え、今回「全て読む」目標を立てそれを達成できたことは自分にとって自信になりました。業界の先輩方の多様な「アートマネジメントとは」に触れられたことで、自分の視野の偏りにも気づきました。また、noteで10本づつ記事をまとめ、それに対してコメントを書いたことも、自分自身が、アートマネジメントの現場や業界を「どうしていきたいのか」考える訓練になりました。
特に、アートの現場を改善する取り組みや組織の事例やをインタビュー形式で紹介する「芸術環境KAIZEN事例集」シリーズは読み応えがありました。今では有名なサービスや組織が、始まった当時どれだけ「当たり前」でなかったか、それはどんな思いで始まったのか語られます。このシリーズは、10本全部がおすすめなので、今回のまとめには載せません(笑)
ここまでネットTAMを読んできてよかったのは、「今当たり前でないこと」も、自分たち次第では「当たり前にしていける」んだ、と勇気をもらえたこと。先人たちが作ってきた環境をベースに、自分たちが環境をアップデートしていかなくては、と奮い立たされたこと。
「そんなの無理だよ」と最初から決めつけるよりは「こうなったら最高だよな」という理想を持って、今ここにない世界を求めてもいいんだよな、、と気付けたこと、です。
前置きが長くなりましたが、最後の「刺さった/モヤった10本」をどうぞ!
Happy Spiral with Art(高橋 雅子)
医療や地域社会、子どもや学校にアートを届ける活動をする筆者による「アートとは何か?」という話。
独立して初めてオーガナイズしたのは、アントレインド(Untrained)といわれる、美術教育をまったく受けていない、全米のアーティスト38人の作品と作家を紹介する展覧会でした。刑務所でハンカチに自分の体験を描く人。奴隷解放後85歳にして突然おびただしい量の絵を描き出した天才。ゴミ捨て場から漁ったもので絵を描くNYのホームレス。土と砂糖で一日中楽しく絵を描く元農夫。神の啓示で制作が始まり家も庭も創作物だらけにした牧師。(中略)彼らの多くはかなり本能的に創作行為をおこなっていて生存に必要不可欠にさえ見えました。祈りや救いのようでもありました。この展覧会は、「アートは余裕があって成立するもの。食べることが先決」という見方へのささやかな抵抗だったことを懐かしく思い出します。
メモ:話がずれるけど、これを読んで思ったこと。自分で選んだ人、気がついたらそこに流れ着いていた人、そこにいるしかない人。アートに限らず、ある「世界」を構成する人たちがそこにいる理由は様々。けど、そこにいる人たちというのは(あらゆる意味で)「そこにいるしかない」人たちでもある。創造環境での不健全な習慣や問題は、もちろん一概には言えないけれど、一部の人だけとか、「上の世代」だけの問題ではなく、この世界を構成する人たち全員の共犯で、その土壌を作ってしまっているのかも・・・。これまで、弱い立場にある人の搾取やハラスメントを「誰かのせい」だとどこかで思っていたけど、自分だって、直接関わっていなくてもその土台にある考え方を内面化してきてしまってきたかもしれない、ということに、最近人と話したり文章を読んだりして思った。
豪華客船にないもの:アジア・ソサエティー美術館(手塚 美和子)
ニューヨークのアジア・ソサエティー美術館キュレーターの筆者が、「小規模な美術館」が果たす役割について語る。
ニューヨークにはいくつもの「豪華客船」的な美術館があります。メトロポリタン美術館しかり、ニューヨーク近代美術館しかり。これらの大規模な美術の御殿は、コレクション数もさることながら、集客数も毎年かなりの桁をうちだします。この都市へ初めて訪れる観光客は、アートが好きであろうがなかろうが、とりあえずこういった御殿へは足を向けるものです。でもニューヨークが本当に美術のメッカとして現在も位置するのは、実は数々ある比較的小規模な美術館の活躍にも多くを負うのではないかな、と私はずっと思ってきました。
メモ:「豪華客船」的な美術館、という表現にビビっときました。これは劇場や演劇にも同じことが言える。その都市をある分野の「メッカ」として位置付けるのは、いつだって、数え切れないほどの小規模なスペース。そして、そういう一つひとつ名前を挙げられない、数多あるギャラリーや小劇場やライブハウスにしか果たせない役割もある。当たり前なことだけど、舞台芸術業界の端っこで働き始めた自分にできることはなんだろう?と勇気をもらえました。
無題(遠藤 水城)
都会から滋賀県のある集落に引っ越したキュレーターによる筆者が、自らの新たな生活様式について綴る。
今までずっと都会に暮らしてきて、自分の生活スタイルの中に、朝はとりあえずぐだぐだするとか、古本屋にぷらっと行くとか、話題の映画を見に行くとか、コンビニで新商品のおやつを買ってしまうとか、お腹が空いたらそのへんのラーメン屋に入るとか、眠くなるまでインターネットに没頭するとか、さまざまな情報と人間関係の中で自分がなすべきこととなすべきではないことを計測するとか、俺は人とは違うんだぞということをさりげなく示すマナーを模索するとか、おもしろくないものやどうでもいいことに悪態をつきつつ、批判してもしょうがないからなんとかポジティヴなことだけやろうとするとか、まあでも思うようにいかずに結局毎朝ぐだぐだするとかが定着していたわけですが、そういったことの諸々が物理的にできないようになると、これまたありきたりなことをいいますが、さまざまな別の豊かさに気づかされます。生きるためのスタイルではなく、生存するための技術の方が圧倒的に必要になります。今僕がしているのは、自分自身の生存の様式を、もう一度ゼロから構築し直すようなことで、もちろんできないことだらけでシビアなのですが、都会の方から見ると単にのんびりしているだけなのかもしれません。思うに以前は、いろいろと「嫌な」ことが多かったのですが、最近は「きつい」ことの方が多いです。肉体的に。ただ、精神的には全然嫌じゃない。
メモ:これを読んで真っ先に、コロナ禍で変化した私自身の生活について考えた。4月頃からの私は、まさに「自分自身の生存の様式を、もう一度ゼロから構築し直す」ことをしていた。そのタイミングで大学を卒業し会社に就職したので、そりゃ生活は変わるんだけど、それとは違うレベル感で、自分の生き方が明らかに変わった。学生時代は、家=寝る場所というくらい、毎日朝から晩まで外におり、外食も多かった。移動時間はSNSを見たりメールを返したりし、隙間時間には本屋やカフェに入った。止まっていられない質なので「動きたい」欲求の赴くままに動き、充実した気分で帰宅しそのままベッドに倒れ込んだ。それが今では、基本在宅勤務なのでずっと部屋に籠もっている。朝は始業までに時間があるのでランニングやストレッチをし、朝ごはんを食べた後に掃除をして勉強する時間もある。仕事が終わったら近所のスーパーに食材を買い出しに行ってから晩ご飯を作る。お風呂に浸かってもまだ時間があるので、本を読んだり、Zoomでイベントに参加したりして、22時か、遅くとも23時には就寝。何かしら常に刺激を探して走り回っていた学生時代から、毎日似ているけれど、少しづつコツコツ積み上げていく様な最近。住む場所が変わったくらいの大きな変化があったし、今はそれを案外楽しんでいる。
40周年の節目を迎えて(二村 利之)
名古屋の七ツ寺共同スタジオ代表が、自スタジオの歴史とコンセプトを振り返る。
私はかねがね、演劇が総合芸術の名のもとに美術や音楽を支配するあり方に対して疑問を抱いていた。
メモ:なんで演劇を「総合芸術」って呼ぶんだろう?10代の頃から薄々感じていたけど「そういうもんなのか」と自分を納得させてきたこと。。。演劇を「総合芸術」と括ってしまうと、今度は「芸術とは何か」みたいな問いが出てきてしまって、そもそも「演劇」「美術」「音楽」とかを「芸術」って括ることにも違和感を感じる。この違和感を思い出させてくれたことに感謝。
舞鶴発〜新たな地図を描く(森 真理子)
尺度や物の見方に自由と幅の広さを持つことで、人間の生活の豊かさが問われるのではないかと思います。その選択肢を無限に増やす可能性が、アートや芸術表現の重要で優れた点ではないでしょうか。
メモ:これは「豊かさって何?」問題になるけど、「選択肢を無限に増やす=豊か」ではないと思う。ある一定以上、多様な視点を持ってしまうと、それはそれで生きづらくなってしまうこともある。選択肢が増えることで、私たちは生活の中で無数の可能性から一つに絞り込むという作業を強いられ、着実に消耗する。アートは確かに、新しい物の見方や視点をくれることがあるけど、それは必ずしもいつも人生にポジティブに働く訳でもない。
穴(あるいは、僕のマネジメント論)
アートにおける「穴」についての考察。
この点において、美術館はある特定の文化モード、すなわち収集、保管、調査、展示と強く結びついているが、現在では、そこからの距離を保とうとする傾向がみられる。ただおもしろいことに、土と違って、ものが美術館に運び込まれるとすぐにそれは死に至り、そして死に続けることとなる。あるいは、美術館は少なくとも、ものは決して変化しないという神話を抱えている。結局のところ、美術館は組織であり、歴史を可視化するためには、むきだしの土から遠ざけなければならないとされている。すべてのものは、美術館の建物の中に収容され、展示ケースや額、保管庫に納められる。私たちがアートを鑑賞するときでさえも、キュレーションによる知識とガイドの説明に保護されている。
メモ:この文章自体、まだそんなに噛み砕けていないけれど、「ものが美術館に運び込まれるとすぐにそれは死に至り、そして死に続けることとなる」の部分は、「魚がスーパーに陳列されるときにはもう死んでいる」ということかな? 違うかな(笑)わからないけど、作品が観客に観せられるときには「もう生きていない」ことがあるのは、感覚としてなんとなくわかる。まだ生きてる魚を食べてる鳥や哺乳類は美味しそうに食べるもんなー。何を美味しいと思うかは人によって違うけど、みんな一番美味しいと思う食べ方で食べて欲しい。
瘡蓋とキャラメル(千葉 正也)
こんな書き出しではじまる、執筆者である画家との彼の友人たちのリアル(?)。
俺は最長で1日16時間制作します。風呂と飯で2時間、あと6時間は睡眠です。これを2か月つづけるとだいたい5キロから10キロ痩せます。ああ。もちろん世の中にはもっと働いてる人もいるに決まってるけど、俺はこれ以上は制作しません。制作で疲れて眠る前に、同じように制作で疲れて眠る人たちのことを思い出します。
メモ:ネットTAMのコラムの中で、一番毛色が違う文章。小説のようでもある。ポジティブともネガティブとも言えないけど、この文章がコラムに入ってることは印象的だった。ただ、締め括りの「『アートマネージメント』をちゃんと、やっている人たちは、そういう思い出を肯定してくれる人たちだと思うので、この場を借りて心から感謝します。どうも、ありがとうございます。」がなんだか気になった。もちろん、アーティストが作品制作に傾けるエネルギーは肯定したい。けど、「『アートマネージメント』をちゃんと、やっている人たち」って誰を指しているんだろうか? この文章は誰に向けて書かれているのだろうか? 助けを求めているのか・・・?
小さな斧(森 隆一郎)
「震災復興におけるアートの可能性」シリーズの第3回。いわき芸術文化交流館アリオスマーケティングマネージャーの「小さな」取組の数々。引用は、その中の一つから出てきた、美術家の藤浩志さんによる言葉。
アートをやろうとして、アートに取り組むと、どうしても既存のアートをフォローしてしまい、その結果アートっぽいモノになってしまう。物事に取り組んだり、考えたりするときに必要なのは、常識にだまされず、こだわらず、ありえない手法で物事を捉えなおすこと。たとえば、会議テーマの1つである<子育て>や<学び>について、<子育て>や<学び>自体をがんばるのではなく、自分の好きなことを突き詰めて、その先に<子育て>や<学び>を捉える。そういうアプローチのしかたが<アート>の視点と呼べるのではないか。
メモ:「アート」は、語源を辿れば「技」や「技術」、(リベラルアーツなど)「学問」という意味もある。彼の言葉を言い換えれば、自分の興味あるテーマを探究することを糸口に、人生におけるそれぞれのフェーズで起こる出来事や問題に向き合う技、それがアートということか。ただ、その「自分の好きなこと」「興味あるテーマ」を見つけるのが難しいということもあるのかもしれない。私はよく「そんなにやりたいことがはっきりしていていいね」と言われる。ただ私からすると、「はっきりしている」という状態が先行していたわけではなくて、「はっきりさせてみてやった」という感じだ。長い間、「将来何があるかわからないので、将来のためにいろいろ(中途半端に)やる」状態が続いたのち「(なんでもいいけど)何か一つに焦点を合わせて、今を生きる」ことに興味を持った。そこからは、まず、今自分がやってることを「やりたいこと」と仮定し、「やりたいこと」に集中できる道に少しづつ自分を誘導したという実感だ。人生に元々意味なんてないし、死ぬまでにいかに有意義に暇をつぶせるか、と思ってるので、どんどん「仮」の気持ちで進めていくのが、今のところ「今」を楽しむために私が心掛けていることだ。(また本文から脱線しまくってしまった・・・)
女川常夜灯「迎え火プロジェクト」(海子 揮一/小山田 徹)
「震災復興におけるアートの可能性」シリーズの第6回。被災地の対話の場を創造するプロジェクトの一環として開催された女川常夜灯「迎え火プロジェクト」についての記録。
ろくに自己紹介もなくとも、焚き火の前では気軽に話し合い、無言でいることも気にならない。会議室の机の上ではなかなか話せない様なことや、すてきなアイデアがドンドン湧いてくる。焚き火は本当に凄い。地元の方々も、震災当日、命からがら避難した先で焚き火を熾し、方々で熾る火を見てお互いに励まされたということを繰り返し話してくれた。想像を超える壮絶な焚き火だっただろう。
メモ:震災の話ではないけれど、話し合うときに、みんなで何か一つのモノを見る/囲む/持つことは、人をリラックスさせ、認識の土台を共有するのに役立つ。トーキングオブジェクトやグラフィックレコーディング、Zoomミーティングでは、Googleドキュメントを議事録としてみんなでみながら進めるのもよくやることだけど、あるのとないのとでは話の進行のスムーズさが段違い。前に使って面白かったのは、4人グループで小さな円になって椅子に座り、その4人の膝を「脚」にして円形の段ボールを机として使うアイデア。誰か一人でも離れてしまうとバランスが崩れるのと、段ボールもそんなに大きくないので、かなり4人が近寄らないと机が支えられない。全てに共通しているのは、話が詰まったらそのモノ自体を話題にできるということ。「その人たちの間に何を存在させるか」は、コミュニケーション・デザインの視点からいろいろ可能性があって面白い。焚き火は、その最も原始的で歴史あるオブジェクトなのかもしれない。
繰り返し問い続けている、芸術・文化の可能性(大澤 寅雄)
「震災復興におけるアートの可能性」シリーズの第16回。筆者が震災から4年後に考える「芸術・文化の可能性」とは。そして、企業メセナ協議会「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド(GBFund)」について。
しかし、あの時点で「変わらなければならないのは自分なのだ」と思っていたのでは、すでに遅かったのかもしれません。私たちは、震災を境にして歴史が大きく転換したような気分になりますが、それ以前から社会全体は大きな転換期を迎えていたのです。
メモ:「私たちは、震災を境にして歴史が大きく転換したような気分になりますが、それ以前から社会全体は大きな転換期を迎えていたのです。」これは、そのまま「震災」を「コロナ」に置き換えられる。これは、価値観を否応なしにアップデートする機会なんだ、と解釈してみる。そして、この「歴史の転換」を自分の主体性のエネルギーへと変換していく。
社会が変わるのを期待するだけではなく、自分が変わるんだ。
芸術や文化を通じて社会を変えるのは、
芸術や文化を通じて私自身を変えていくことでもあるんだ。
私が変わらなければ、社会が変わることはないんだ、と。
今回も今回で、意識の流れるままに冗長な文章を書いてしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
そして何より、アートの世界を生きる先人の知恵と思いと思考を長年に渡って多様な角度から蓄積しているネットTAMには尊敬の念しかありません。
これからも一愛読者として、更新を楽しみにしています。