柏崎刈羽原発の50万Vケーブルの交換について
前回の記事の続きです。
前回の記事にも書いたように東京電力は2007年の中越沖地震に伴い柏崎刈羽原発では多くのトラブルを起こしていますが、現在でも柏崎日報も伝えているように、現在でも管理区域内などで、水のしみ出し、コンクリートのひび割れなどが報告されています。そのような重大なトラブルがありながら、6,7号機の再稼働を政府と一体で進めようとしています。
先日、大島堅一氏のある動画が目にとまりましたので、まずご覧ください。
大島さんは産経新聞に載った新潟県連の自民党議員までも柏崎刈羽原発の再稼働をいぶかっている事を取り上げられて、東電の考えはおかしいと言われています。私も産経が良くこんな記事を書けたなと少し驚いています。
ところで、2007年の中越沖地震によって、苛酷事故一歩手前までいった、柏崎刈羽原発ですが、中越沖地震当時の安倍晋三氏は長崎での遊説を取りやめて、官邸に引き返し、ヘリコプターで柏崎刈羽原発にのりこみ、腐った顔で、「作業員を増やして、目に見えるところは急いで隠せ!、再稼働も急げ!」などと号令を発したおかげで、私も50万Vケーブルの交換作業に行くこととなったという事です。
さて、当時の東電の柏崎刈羽原発の50万Vケーブルの交換についてですが、ノルマどおりにはいかない事は必然的な事で、安い賃金のうえで、偽装請負あたりまえの作業の内容は以下のとおりでした。
上の画像の記載にあるように「1~5号機については、変圧器防油堤の復旧工事において、50万V電力ケーブルが干渉するため撤去し、ⅭⅤケーブルに取り替える。6,7号機の0Fケーブルは補修、再使用」とあり、まず、それに伴い、6,7号機のOFケーブルのスネークの修正から作業に入りました。
(スネークの意味は長くなるのでここでは書きません。分かる方だけ、下の図をご覧ください)
当時、OFケーブルはトラスに収納されていたので、スネーク修正は「図4」となり、元受けの監督が寸法を見て私たち作業員が地震によって、乱れたケーブルを少しずつ動かすのです。距離的には旧洞道内でしたから、6号機や7号機からでも階段を入れても1キロ近くあったと思います。
続く)
おまけ動画
実は上の動画を原発宿舎で一部見ていたら、班長にいきなり怒鳴りとばされたれたのです。