motsu
しばらくぶりです。
更新していない数か月間。とりたてて大きな出来事はなかったのですが、この間にものすごく楽観的に物事を捉えるように変化しました。今回はその経緯について少しお話します。
以前、私は自分の境遇がいかに幸せかを考え、それを不思議に思ったり、不安に感じたり、これから先に起こる不幸への杞憂をしたりと大忙しでした。
私の兄は私のように考えることはないのでしょう。
兄曰くすべての行動の理由が「楽しいから。」だそうで、その楽観的な考えや、自己中心的な態度に羨ましくなったり腹を立てたりしていました。
兄のことをいくら大好きでも兄にはなれないし、気持ちも行動も、全部は理解できない。
何度もそう思ってきたはずですが、その何度目かにはたと気づいたのです。
一番近い肉親のことすらわからない自分が他人のことなんか分かってたまるか、と。
人間は、人間だということだけで、自分の価値基準で他人のことを推し量ることは往々にしてあります。犬や猫の気持ちがわからなくても不思議に思わないのに、人間同士だとなぜうまくいかないのでしょうか。
私を含め、多くの人が、自分と他人がまっっっっったく別の生き物であることをもっと認識すべきだと思います。
顔が、体が、違う以上に心が違うのです。もちろん、能力や性質、環境まで1から100まで全部が違います。
では、どうすれば、私が私として、面白く、幸せに生きられるのか。
たどり着いた答えは「自分」という個を確立することです。他人なんか関係ない、私さえ幸せだったらそれでいい。
本気で、もしくは強制的に何かに徹しているという方もおられるでしょうが、それでいて不幸ならばなぜ状況を変えられないのでしょうか。
恐らく心のうちにある恐怖や不安に勝てないのでしょう。どうせ私は、どうせ無理だ、、、、。はたまた変わることが面倒くさい。まぁいっか、こんなもんで、、、、、。私はお恥ずかしい話、両方当てはまります。
が、そんなことを考えていても、人生を楽しんでいる人は楽しんで生きているのです。これほど悔しいことはありません。羨んでいる場合じゃない、変わらないと!変えないと!……
兄は幼いころ重度の喘息を患っていました。大人になった今もたまに発作が起きるようです。兄はみんなと同じように野球やサッカーをしたい時にできませんでした。帰り道にしんどくなって同級生におぶって家まで送ってもらったこともしばしばありました。加えて、アレルギー持ちです。アレルギー性鼻炎なため常に鼻の調子は良くないし、動物が大好きなのに動物の毛がだめです。自宅で飼っている猫には触りたくても触れません。
私は兄よりいろいろ持ちすぎています。それでも、兄が羨ましいし、憧れる点も多いです。
それほどに、人は自分勝手で自分中心です。
自分にとっての「大したこと」は他人にとっては取るに足りないことで、その逆ももちろんある。それを考えたって仕方はないです。
それでは、楽しいほうを選ぼうじゃないか!!
、、、といった具合に私は楽観的な考えでいようと決心したわけです。
楽観的になると決めてから、暗い気持ちになると、「だめだ!考えても無駄だ!」と誰かに言われる気がします。その言葉をしばらく信じてみようと思います。(笑)
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