【RX 高岡】 2023.08.04 UCI Gran Fondo World Championships M45-49
スコットランドに入ってから”晴”の日などない。基本曇。時々雨が降る。時々青空も見える。けれど基本はどんよりと曇り。
レース当日も雨さえ降らなければ、と願っていた。
レース当日朝、まさかの快晴。遠くまで晴れ渡っており、まさか一日中晴れ?奇跡と言っても良い高コンディション。一層気が引き締まる。
4回出走して3回表彰台、5位一回。まだ優勝したことはない。
今年は長時間フライトもビジネスクラスで快適に過ごせた。
こんな良いことが連続して起きるなんて、今年こそは、念願に手が届くかもしれない。
いやいや、余計なことを考えずレースに集中して臨んだ。
スタート地点にある仮設トイレは10個くらいあるが、大勢の人が並んでいる。15分はかからないだろう、と思い小便をする為に並んだ。最高気温は18℃で風が強いので肌寒いコンディション。レース中の尿意というのは一つの大きな懸念事項であったので、スタート直前に出しておきたかった。
45−49歳のカテゴリーは197名。人数多いけど予選大会であるニセコクラシックで年代別優勝した私はPriority Boxという最前列に並んでスタートできるので、5分前にスタート地点に行けば良い。ギリギリまでトイレに行ってても大丈夫。
前の女性が腕時計をしていたので時間を聞いた。10:52だった。まぁまぁギリギリだけど、まだ大丈夫。彼女がスタート時間を聞いてきた。
45歳だからeleven o-fiveと答えた。イギリスだからfive past elevenと言うべきだったか。
時間迫っているから先にどうぞと譲ってくれた。ありがたく好意に甘える。
自分の番が来て30秒ほどで用を済ませて急いで自転車にまたがってスタート地点に向かった。
アナウンスでカザフスタンの英雄Alexandr Vinokourovが紹介されていた。
ロンドン五輪で金メダルも取っている元プロ選手の中でもトップ中のトップだから当然注目を浴びる。
今回50−54で参加するとは知っていた。
私がこれから45−49のスタートに向かっているのに50−54の注目選手を紹介していることに違和感を感じた。というかかなり嫌な予感がした。
顔から血の気が引いた。まさかそんなことはないよな。何かの間違いであってくれ。
今でもこのサイトのVIEW FULL SCHEDULEを見るとM45-49のスタートは11:05になっている。
ただ一方で数日前に送られてきたテクニカルガイドのタイムテーブルでは10分早まっていて10:55になっているのも見ていた。そして『10分違うよね。どっちが正しいんだろうね』という会話もしており、10分早まっている可能性があるというのも認識していた。
まぁギリギリで会場に着くわけでもないし、どうせ会場につけば分かるからいっか。とそこを調べて明確にしておかなかったおかげで、レース当日に10分早まっているかもしれないという認識がすっぽり抜けてしまっていた。
会場のアナウンスでVinokourovの名前を聞くまでは。
おかしいなと思った瞬間にそのアップデートされたタイムテーブルを思い出した。間違いであってくれと願いながらも、たぶん自分が失敗を犯したことをほぼ確信を持って認めざるを得なかった。
柵により並んでスタートを待つ選手と遮断された歩道を走りスタートゲートまで急ぐ。
やはり、スタートラインで待っている選手は自分のゼッケンとは違う色だった。
焦って、取り乱しながら、柵の向こうのコースにまず自転車を入れて自分も柵を乗り越える。日本チャンピオンジャージを来ているので目立っているだろう。スタート1分前というアナウンスを聞きながら一人急いでスタートしていく愚か者。
10:59、本来自分がスタートするべき時間から4分遅れて一人コースに飛び出す。
応援の作法として、一人大きく遅れた選手にも盛大な拍手を送るものだ。
とりあえずコースに飛び出して、はるか先にスタートしている集団をおいかけるべく走り出した。
どういうモチベーションで何を目指して走ればいいのか分からない。この日の為に準備に準備を重ねてやってきたのに、肝心の本番のレースを自らの失敗によりスタートできなかった。
この時の気持ちは到底言葉で表すことはできない。
風の強い丘陵地帯が延々続く。スタートしてコースに飛び出したばかりの大集団の速度を一人で上回り4分差を詰める事は絶対にできないことは分かっている。
むしろ、5分後スタート、つまり自分の1分後ろでスタートした50−54の集団に追いつかれるのは時間の問題。自然に走って大集団に飲まれてそこのレースを走ることにした。
一つ頭にあったのは2017年の初参加のALBI大会。序盤早々に3人で抜け出して、超快速ローテーションで逃げ続けたら7分先にスタートした5歳下のカテゴリーの先頭集団に合流した。
ロードレースなので展開によっては集団が牽制状態になりペースが遅いまま進むということもある。
50−54のレースで少人数の逃げが発生して自分がそこに入って、①ローテーション回してハイスピードを維持、②44-49のレースがゆっくりペースで進む、という条件が揃えば、5分前にスタートした集団に追いつく可能性はゼロではない。
※ちなみにルール上、他カテゴリーとの混走・ローテーションはOKと明示されている。ただし意図的に遅れて後ろのカテゴリーを待って特定の選手のアシストをすることは禁止されている。
こうしてスタートしてほどなく50−54の集団に入ってそこでレースをすることになった。自分が数年後に走るカテゴリーのレースの下見という位置づけにしよう。このレースでの先頭集団には必ず入るようにして、あわよくば少人数の逃げを決定付けて、僅かな望みに賭けたい。
さすがのVinokourovは常に集団前方の良い位置を走っている。最初はそのあたりに位置していたが、スタート9kmほどで右折して農道の細い道に入ってからは、ズルズルと番手を下げる。
気合入れて集中して走れば前方でも走れるけど、なんとなく嫌いな道でまだ気持ちの切り替えが出来てない・モチベーション低い状態ではあまり攻めた位置取りを出来ない。ある程度までポジション下げたら、もう一番後ろに居た方が安全で走りやすい。
農道は道幅は5m未満と狭く小さなアップダウンが連続する。集団の中にいると前も見えないし、アップダウンのたびに速度が低下してブレーキをかけるのがとてもストレス。
少し集団から離れてその集団の速度低下の時に追いつくような走りをするとストレスが大きく減る。
農道から幹線道路に出るところもわかっているので、そこで少し脚を使えば前にいけるし、この序盤で決定的な逃げはおそらく決まらない。
最初の50kmくらいはアップダウンを繰り返しながら登っていくのだが、ペースは遅い。特に最初の30kmほどは非常に遅い。
このカテゴリーでレースをしようと決めた後、展開によっては45−49に追いつくほんの僅かな望みもあるかなと思ったけど、序盤のペースが遅かったのでその望みはなくなったなと思った。
最初の登りパートの後半に6kmほど登りが続く峠があり、その最初の部分が急勾配なんだが、そこではシッティングで調子良く走れて今日のコンディションの良さが確認できた。
登りでもやはりVinokourovが強くて、キツイ場面では必ず前にいるし、登りの後半で皆が疲れた頃にペースアップすることもしばし。
下りは攻めずに適当に順位下げながら下る。つなぎの平地部分が道幅広く真っ直ぐなのでそこでポジション上げる事は容易。
序盤からジェルを随時摂って後半に備えておく。
60km過ぎから始まる峠はちょっと長くて序盤キツイ。約7km、15分45秒、315W。
ここの前半の急勾配区間で190cmくらいありそうなドイツ人がアタック。自分も反応して続けてアタック。今日はけっこう踏める。キツイけど、自分のアタックの後に追いついてきた選手はそのまま休んで自分が少しペース落としても誰もそこから上げてこない。なので再びペース上げてキツイ勝負に持ち込む。
この山の頂上付近でVinokourovの強烈なアタック。一人が反応。自分もヴィノは絶対に行かせまいと追いかけて頂上前に合流。その時点で4人になったけど、下った後にはまた20名ほどの集団になっていた。
しかし登りで勝負がかかった時にどのくらいの人数の勝負になるのかはわかった。
細かなアップダウンをこなして最後の山までの区間。
集団は大きいんだけど、とにかく皆前に出てこなくて、前を走るのは5名程度。ヴィノクロフが一番積極的。ペースが下がるとアタックしてペースアップ。ヴィノクロフのアタックには皆ついていく。
せこい走りをする選手が多いけど、それは実力相応で前を走る脚がないのがほとんど。
レース中の何度かのペースアップの走りを見てると、最後本気で仕掛けたら確実に数人の勝負には持ち込める。
94kmくらいで左折してから一気に10%超の登りに入る。そこはそんなに追い込まないでも先頭で通過できた。今日は登りが調子良い。
その後も勾配変化がありながらもペースは落ちない。自分は数番手につけてペースアップやアタックには積極的に加わっていく。
左に鋭角に曲がってから10%ほどが暫く続く区間。ここからが勝負と決めていたのでペースアップする。数人はついてくるがそこからカウンターアタックされることはないので、緩急つけながら断続的にペースアップして人数を絞っていく。
頂上近くなり緩い斜面でまたしても強烈なアタックはヴィノクロフ。アタックから一人でも行ってしまいそうなスピード。追う意志のある選手を確認しながらタイミングを計ってブリッジする。頂上で3人+自分に。
かなりのペースアップなので後ろとは大きな差がつく。
何度か峠を越えてその度にペースアップして吸収してを繰り返したけど、この峠では本気で勝負を決めにきた感はあるのでたぶん後ろから合流はないだろうなと感じた。
ここで人数絞ったら後の下り基調はひたすらハイペースのローテーションで回す。というのは全く私が考えていたレース展開。それをそのまま展開出来ている。唯一違うのは、自分のカテゴリーじゃないレースに参加しているという点。。
一人が頂上越えてから合流して、4人+自分。ここからはチームTTのように走りたい。そう思っているのはVinokourovと自分。他はローテに入ったり入らなかったり。ヴィノクロフがローテーションを飛ばすことはほぼなかった。
下りをかなりのハイペースで巡航していた。これは絶対に後ろの集団は追いつかないと確信が持てた。
あと、もし45−49のレースでこのような少人数の逃げにならずに大集団で進んでいたら、高速巡航にはならずに牽制のまま進んで、我々の少人数ローテーションが追いつくという可能性もゼロではない。そういう意図があるから私はとにかく死力を尽くしてペースを上げて牽引する。
50−54の4人は表彰台に乗りたいという思惑から、ローテーションをスキップする人が出てギクシャク。積極的に牽くのはVinokourov、自分、もう1名くらい。
途中右折してから1.5%程度の勾配で緩い登りが続く区間で、右折前からVinokourovがペースアップしてコーナー後アタックから一人少し抜け出す。
優勝争いがかかっているので後ろも必死で追っていて、差が広がらない。どうせ協調して先頭交代しないだろうと期待していないからか、追走も単独先頭固定でVinokourovを逃さない。
Vinokourovを捕まえて少し集団が休んだところでアタック。
Vinokourovが逃げた時に追走ローテに加わるのは50−54の世界チャンピオン争いに影響を与える事なので良くない。
ただ私が集団からアタックするのは、無視すれば選手はカテゴリーの勝負に集中できるし、それを利用してアタック・ペースアップするのならそれは全員に均等に与えられたチャンスなので、特に問題ないと思っている。
私のアタックは放置されしばらく一人で泳がされた。この先30kmを単独で踏み続けるつもりもないので、一旦集団に吸収される。
ラスト25kmくらいで一旦街中を通り500mくらい登る区間がある。登りで仕掛けられる最後の区間なのでそこで全力アタック。ここは決めていたので下から坂終わるまで全力でいった。Vinokourovがすぐ後ろについてくる。
登り終えて3人+自分。そこのアタックで1人脱落した。
これで50−54の3人は逃げ切れば表彰台は確定。そこから逃げはうまい協調体勢になり良い感じで進む。
私含めた4人でローテーション回して快調に飛ばす。
大きな集団に追いついては抜かしてを何度か繰り返す。万一45−49の集団が牽制状態で遅かったら、、、という淡い期待を持ちつつ4人でハイスピードを保つが、結果的にそういう奇跡は起こらなかった。
当然第4集団、第3集団、第2集団と追いつくに従い集団の選手は強くなる。
最後10km切ってから捕まえた大集団は45−49の第2集団のようで、追いついて追い抜いても皆がついてきて大集団の前を牽引するかたちになった。
これを機にペースを上げようという選手がローテーションに加わったりしたので、4人逃げはここで終わりにして、集団に入ってラストに備える。
4人でフィニッシュまで行ったら、当然世界チャンピオンを決めるスプリントには加わらずに勝負を見届ける予定だったが、混合になった集団でそこには45−49の選手も大勢いる。20位か30位か50位か、その時は全然分からなかったけど自分のカテゴリーの順位もあるのでこの集団でスプリントをすることにした。
最終コーナーはこのゲートの間を通るんだが、レースの時は更にバリケードでゲートの前まで細くなっていた。
ちなみにここに侵入する前は幹線道路の広い下りで、そこから鋭角に右折してこのゲートを通る。その後はこのゲートの道幅で緩い上りが400mほど続き、ラスト200mほどは平坦。
スプリントに向けてペースが上がる中でうまく前方キープして、このゲート進入はうまいことアウト側から3番手で入ることができたのでスムーズにスプリントに移行できた。
入り口狭いので後ろになればなるほどブレーキングでの減速が大きくなり加速に余計な力を有するので、このスプリントはゲートの入りが超重要だと思っていた。
理想的な3番手で入って、案の定前2人はスプリントするけど、マックスで600mももたないので、300mくらいまで牽引してもらってから自分のスプリントを開始。
最後は後ろ見たら集団を大きく離して余裕をもってフィニッシュ。
結果は45−49のトップ+3’15の31位。5分遅れの集団でレースをしているので、1’45は詰めたことになる。
↓↓ リザルトページ
45−49のレースをちゃんと走れていたら、先頭集団から遅れるというシナリオはなかったはず。そしてそこで勝負を楽しめたはず、、、
世界チャンピオンをかけての勝負とはどんだけ楽しいものか。
今年しっかり準備して臨んだパフォーマンスでの相対的な位置は確認できた。来年また同じようにやればまだ可能性はあるはず。
2位、3位、3位、5位、31位
今年はIgor Kospeさんが不参加だったりと、千載一遇のチャンスのように思えたが、5回目の世界チャンピオンへの挑戦は大失敗に終わってしまった。
結果にはなんら結びつかなかったけど、50−54のレースを経験できたのは将来につながると思う。
今年46歳。4年後は50−54で走ることになり、その時に今と同じくらいのパフォーマンスであれば世界チャンピオンになる可能性がじゅうぶんあるというのが分かったのも大きい。
たくさんの方々に応援していただいてはるばるスコットランドまで来たのにあまりにもお粗末な失態で、本当に申し訳ない気持ちで失意のどん底。
けど気持ちを入れ替えて次に向かって進まないといけないので、とりあえずこのことは早く忘れて次に集中したいと思う。