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ワークライフバランスについてのメモ書き

ワーク・ライフ・バランスの本当の意味考えたことありますか?

僕はありませんでした

お恥ずかしい。お恥ずかしすぎるかもしれません。
仕事でも、よく使ってたワーク・ライフ・バランスという言葉。今思うと間違った解釈で使って、というか解釈を吟味せずに使ってました。

ちなみに僕の中での定義は「仕事の量を減らして、プライベートの量を確保し、ワークとライフのバランスをとる」、くらいのものでした。

バランスをとるのではなく調和させる。量というより質

量のバランスをとると勘違いしていた僕ですが、さきほど前職で繋がった方がウェルネスについて説明してくれてる文書を読んで捉え方がかわりました。

調和というのは双方の活動が双方にいい影響を及ぼしてる状態を指します。だからこそ、量の話ではなく、質の話なのです。
僕が受け取った中で一番感銘を受けたのはここです。

ワーク・ライフ・バランスが機能する状態はワークもライフも全力で向き合えている状態で、決して制限をかけている状態ではない。バランスをとるという言葉に惑わされそうになるが、得てして、バランスとはバランスをとろうとしてとれるものではなく、両端にリーチし、拮抗することでとれるのである。つまり、仕事もプライベートも全力で向き合う中でしかそれは産まれない。

年々、誤った意味でのワーク・ライフ・バランスが取りづらくなってきた。自分一人で生きるならいざしらず。プライベートでパートナーができたり、子供のことを考える度に少しずつ仕事を制限する発想をしていました。
いままでのように無茶な働き方はできないな、もっと家族に向き合わなきゃ、と。

それは我慢や制限の発想です。でも同時にパートナーも別にそれを望んでるわけじゃないこともわかっていました。共に「パートナー(お互い)と家族に向き合い続けたい」とはよく言われますが、「だから仕事を制限してくれ」とは一言も言われたことがないんです。
つまり、僕が「バランスを取る」の解釈を間違っていたので、我慢や制限の発想しか出てこなかった、というわけです。

誤った発想の産まれ

僕のような誤った発想は、「そもそもみんな忙しすぎる」「家族に向き合う時間が少ない」という状況の中で「ワーク・ライフ・バランス」トイう言葉が大して説明もされずに流通したために偏った捉え方をする人が増えたのだと思います。

男性の育休周りでいくと、日本の男性は諸外国の人に比べて育児参画の時間を、割合で見ると高いというデータもあります。(育児参画時間の絶対値は少ないのだが、それは1日の中で仕事に時間を使いまくってるから)

だからワーク・ライフ・バランスというと、どうしても「仕事の時間削減(もしくは上手に調整する、とか、制度を活用する、とか)」とワンセットで語られがちなんだと思います。

選択肢を制限しないように

僕がまさにそうだったように、誤った解釈は選択肢を隠します。
仕事にもプライベートにも全力で向き合うことも、(特に日本の会社の構造上)家事育児に向き合う時間の創出も、いわんやその両立も何一つとして簡単なことではないと思います。
ただ、ワーク・ライフ・バランスの意味を間違えた結果、選択肢が、なくなると挑戦することもできなくなってしまいます。
この選択肢の無さこそが僕は良くないことだと思っているので、自分の備忘録も兼ねて今日はワーク・ライフ・バランスについてまとめてみました。

それでは、アディオスです!

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