男子高校生が女子いっぱいの吹奏楽部に入ればハッピーだろうか、いやそんなことはない。
バシッ!
一瞬のことだった。
腹部に大きな衝撃を受け、気づいたころには宙に身は投げ出されていた。
地球に引き寄せられるようにして落下が始まり、次の瞬間には毛虫の体は地面にたたきつけられる。
毛虫をたたき飛ばした彼女はそのまま口を開いてこう言った
「それで君は反省しているの?」
最上級生全員に囲まれる中、静かに僕は答えた。
「いいえ、僕は間違っていません。」
✜✜✜
これは僕が高校一年生のとき春先にあった出来事の話である。当時僕は一切経験の無かった吹奏楽部に入部し、初めての楽器に四苦八苦していた。
中学ではバドミントンをやっており、名の知れる選手ではなかったものの所属していた学校が強豪の一角であり、中学での経験者が少なかったためか、顧問の先生やキャプテンに直々に勧誘され、さらには初めからスタメンの約束までしてくれるほどだった。
しかし僕はバドミントンのことを思うと気が重くなった。閉め切りのサウナ状態の体育館の中で行われる激しい運動、口に血の味が広がるのは日常茶飯事の基礎練習。そして、そもそも相手に勝利することにやる気を感じない。そんな日々を三年間週七日で送ってきたのだ。これをまた高校生活で繰り返す気にはならない。
そんな中クーラーの効いた部屋の中で優雅に座りながら活動をしている団体がある。しかもなんということだろう。麗しき女性たちがこちらに向かって笑顔で手を振っているではないか。吸い込まれるようにして、あれよあれよという間に入部してしまったのが、そう吹奏楽部だった。まさかこれが僕の華やかな高校生活の終わりの始まりなのだとは知る由もなかった。女の子が大好きで夢いっぱいで入った部活を引退するころには、女性に対する夢の一片も持てないリアリストになっていた。
✜✜✜
事の発端は部活が目指す目標について疑問を持ち、それを実際口に出したことだった。
部活は地区予選敗退の常連校であり、いわば弱小校の位置づけである。しかし僕が入部した年は以前強豪として名を馳せた時代の名指揮者が部活の顧問として再任したということで、より気合が入っていたようだ。
そんな中掲げていた目標が
「全国大会出場」
である。
部室の壁にも堂々と張り出されていた。
まさか、と思った。
今まで思い返す限り一回も勝ち上がったことがない団体が、実績も明確でない指揮者が戻ってきたというだけで全国大会に行くというのはあまりに都合がよすぎないか。
当時の僕はこれに疑問を持って投げかけた。
そしてこれは意味がない目標であるという意思の表明をした。
このことを伝えた直属の先輩は非常に優しい先輩で、怒るどころかあまりのショックに過呼吸に陥ってしまった。
この事態を受け最上級生である三年生全員が緊急招集を掛けられ、裁判が執り行われたのである。
もちろん被告は僕だ。
✜✜✜
冷静さの裏に怒りと疑念の透ける表情が円形に並び、僕はその中心に立つ。
まるで本当に裁判だ。
僕が入部する前のあの天使のような笑顔とやさしさは勧誘用のものだったということが確固とした事実として現れる。今では地獄の業火のごとき怒りの炎と、氷のような冷酷さをまとう鉄仮面を身にまとっている。
周囲は桜並木になっており、花はとうに散り青々とした葉が生い茂っている。
部長が僕の目をじっと見つめる。
風が吹き、葉が揺れる。そんな風景を目の端に捉えながら、こんな状況でも穏やかな心になれる自分にあきれながら、時間が止まったかのような感覚になる。
彼女はおもむろに口を開いた。
「なんであんなことを口にしたの?」
僕はとうとうと説明した。
今までの実績から考えて現実的ではないこと。誰も心の底から全国大会に行けると思っていないこと。目指せていない目標など掲げる意味がないこと。ちゃんと現実的にみんなが目指せる目標にすべきであること。
彼女は僕の話を受け止めて、もう一度質問した。
「夢のような目標を掲げてはいけないの?頂点があるならそこを目指すべきじゃないの?」
僕はまた同じことを論理的に説明した。
現実的ではない目標などいくら掲げても無駄だ。もう一度言うが定めるのであればみんなが同意して目指せるものにすべきだ。
空気はどんどん張りつめ、今にも空間が割けるのではないかと思われるほどに緊張感が満ちていくのが分かる。
しばらく押し問答を続ける中で、木の上からなにかがゆっくり落ちてきた。
毛虫だ。
そしてある先輩の肩に乗った。
いつもであれば悲鳴を上げ、取ってくれとひと騒動起きるところだがこの時は違った。
文字通り虫けらを見るような視線を肩に落とし、淡々と親指のはらに中指をあて力を込める。
そして獲物と対峙した狩人のごとく、対象を目掛け寸分の狂いもなく弾丸と化した中指を解き放った。
毛虫はなすすべもなく宙を舞い地面に落ちた。
僕は同情の目を向ける。
悪気はない。間違ったことをしているとも思わない。でも力のあるものには蹴散らされるだけなんだ。
部長は毛虫に一瞥をくれることもなく、話を進める。
「それで君は反省しているの?」
もう論理的な対話など成り立っていないことなど明らかだ。彼女たちが求めているのは仲間とプライドを傷つけたことに対する謝罪なのだ。
でも僕は謝らない。間違っていないのに謝ってしまったらなにか大事なものを失う気がしたからだ。
僕は怖気づくこともなく返す。
「いいえ、僕は間違っていません。」
ここで押し問答は第二回戦の開幕のゴングが鳴り響く。
謝らせたい先輩と謝らない僕。
ここまで来たらお互い意地だ。
副部長は遣いを出して、僕と仲のいい先輩を召喚した。
そしてその先輩に僕の指導不足ということで謝罪を要求した。
先輩はすんなり謝罪し、帰還した。
三年生の一人は勝ち誇ったように言った。
「彼はあなたのせいで頭を下げたんだよ。」
なにを言っているんだこいつは。
と心の中で思った。
どう考えても謝らせたのは三年生じゃないか。僕は悪いこともしていないし、そもそも彼をこの場に呼んでいないし、謝らせてもいない。
もう意味が分からないと思った。
皆立って話すことに疲れを感じ始めるころになり、裁判は終盤に近付く。
「じゃあ、あなたはこの部活の方針には同意できないということだね。退部してもらいましょう。退部届は職員室でもらえるから。」
おいおい、なんで辞める流れになってるんだ。別に上級生だろうがなんだろうが部活を辞めることを指図する権利なんかない。
ただいくら自分がそう思ってもこの状況は打開できそうにない。
さて、どうしたものか。
相手はどうしたって僕に辞めて欲しいみたいだ。どうにか妥協点を探そう。
「先輩が引退するまで一切楽器に触らないで、部室の掃除しているので辞めないというのはどうですか?」
自分の中での妥協案をぶつけてみた。
「目障りだし、そんなのいても意味ないから辞めて欲しい」
と一蹴された。
そもそもなぜこんなに相手を怒らせてしまったのか。
相手の目標を目指す気持ちを踏みにじってしまったからだ。三年生の彼女たちは今までの二年間、指揮者に恵まれず必死の努力もむなしく地区予選の敗退を続けてきた。多くの人たちは中学から続けてきた人たちだ。最後の夏くらい夢だとしても頂点を目指して、自分たちのベストを尽くして、やり切りたいと思う心は分かる。
この気持ちを同じくすればいい。
言葉は違えども。
自分だって部活にかける気持ちは同じだ。今まですべてをかけてやってきた。圧倒的に少ない未経験者の中で孤独に苦汁を舐め続けてきた。教えてくれる先輩もいない中、練習しすぎて唇が大きく腫れるほど必死に頑張ってやっと音が出た楽器も使い物にならないと、叩けば音が出るからと打楽器に回された。それでも部活の一員として力になりたかったし、自分に負けるわけにはいかなかった。
重苦しい沈黙の中、必死に思考を巡らせ言葉を探す。
「僕は僕のいけるところまで全力を尽くしていきたいと思います。」
心なしか先輩たちの氷のような表情が少し溶けた気がした。
「じゃあ明日から頑張ってね」
どうやらこれで一件落着のようだ。
退部の危機は免れたし、自分の信念もなんとか曲げずに済んだ。
そしてなにより少し、ほんの少しかもしれないが、本当に大事な部分は共有できたのではないかという感覚があった。
✜✜✜
今思えば不器用すぎて笑ってしまう。でもあまり変わっていないように思う。あまりにも愚直で論理的に相手と話そうとしてしまう。本当に大事なのは心を通わせることだ。心を通わせるために真正面から正直にいくことも大事だが、そうでない方が伝わりやすい場合もある。コミュニケーションは言語で論理的に話すことがすべてではない。身体的なものもあるだろうし、論理的でないことも多分にあるだろう。
「相手を理解したい。」
この気持ちを常に最優先においてなりふり構わずすべてを傾けられるような人になりたい。同時に自分のことをもっと伝えたい。どうしたら受け取りやすい形になるだろうか。そんなことを常に考えて話せる人間になりたい。時には何も考えずに好きに話したいと思ったり、圧倒的な表現の前に殴り倒されたいと思ったりもするけれど。
こうありたいと思う反面、ネットなどの不特定多数の目に触れることが想定される場合それは非常に難しく感じてしまう。正直苦手だと感じるし、発信も受信もあまり気が乗らない。でも大きな可能性も同時に感じている。ネットの方も手探りだけれども歩を進めていきたい。今、こうやって筆をとっているように。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
では、また。
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