中学生男子と弁当
私が通った中学校は給食ではなく、弁当だった。
毎朝母が作ってくれる弁当を持って行くのだが、
いつも出来上がるのは登校時間ギリギリだった。
狭い家の狭い台所で、私と一つ上の兄の二人分を同時に作るため時間がかかるのだ。
幸い家から学校までは、猛ダッシュすれば
約6分で着く距離だったため何とか間に合っていたが、朝はいつも壮絶な状態だった。
当時は冷凍食品は今ほど豊富でもなく、
母もできるだけ手作りのものを食べさせようとして奮闘してくれていた。
毎朝早くから用意し、弁当を持たせてくれた
母には感謝しかない。
しかし、である。
これだけは言っておきたい。
いや、言っておかなければならないことがある。
それは、弁当の中身がご飯だけだったとか、
おかずの汁でご飯がべちゃべちゃだった
などといった類の話ではない。
問題は、弁当箱を包む
弁当包み(ナフキン)である。
中学生の私にとって最も悩ましかったのは、
弁当包みの柄が
「けろけろけろっぴ」
だったことである。
誤解のないように述べておくが、
私は別に「けろけろけろっぴ」をバカにしているわけでも、卑下しているわけでもない。
サンリオキャラクターで好きなキャラは
「ハンギョドン」だし、初めて買ってもらった
自分の財布は「ザ ラナバウツ」だった。
小学生の頃の愛用ノートは「ぽこぽん日記」か「キョンシー」のどちらかだったくらい
サンリオキャラクターに親しんでいた。
そんな私も、思春期にはそれなりに周囲の目が気になった。自意識過剰にもなり、カッコつけたくなる年頃なのだ。
その15才前後の少年が、ナフキンとして「けろけろけろっぴ」を学校で使うことは相当な覚悟が必要であった。女子に(勿論男子も)見られたら恥ずかしいという気持ちで頭がいっぱいなのだ。
15才、歌手 尾崎豊に言わせれば
『盗んだバイクで走り出す』
などという年頃だ。
『覚えたての煙草をふかし、
夜空を見つめながら 自由を求める15の夜』
なのに、私といえば
「けろけろけろっぴ」のナフキンで弁当を包み
遅刻寸前で猛ダッシュする15の朝
なのである。
違う…こんなのは違う。
こんなことがまかり通って良いものか。
私は母に断固抗議した。
「何でけろけろけろっぴしかないん!?
他に何かあるやろ!」
「何が恥ずかしいことがあるかね!
持っていきなさい!」
分かっちゃいない。
母は分かっちゃいないのだ。
中学生男子が、けろっぴで包まれた弁当を
カバンから出すことの意味を。
あまりの私の剣幕に母が
「そんならこれ持って行きなさい!!」
と言って出してきたのは
「みんなのたあ坊」
だった。
おいおい、ちょっと待て。
我が家は男兄弟だぞ。
なんでナフキンにこんなファンシーな柄を
取り揃えてんだ。
繰り返すが、私は「みんなのたあ坊」をバカにしている訳でも、卑下しているわけでもない。
「たあ坊の菜根譚」を読んで心が救われたことがあるし、「ウメ屋雑貨店」のシャーペンを兄は愛用していた。
何かは忘れたが「ぼ、ぼくねずみ小僧だい」の何かを誰かが大事に持っていたくらいサンリオ製品を家族で愛用していたのだ。
しかし、それでもクラスメイトの前で、
女子が見るかもしれない中で
「みんなのたあ坊」で包まれた弁当を
カバンから出すわけにはいかない。
何たって、ささいなことでもカッコつけたい
中学生男子だからである。
「たあ坊」を堂々と差し出された私は戸惑った。
時間が無い。
このままでは遅刻してしまう。
もはや選択の余地は無かった。
私は「たあ坊」で弁当を包み、
半泣き状態で家を飛び出した…
それからというもの、兄と私は
「けろけろけろっぴ」と「みんなのたあ坊」以外のナフキンの取り合いが朝の日課となった。
取り合いに敗れた日の昼食時は、
弁当箱を出す時にクラスメイトに感づかれないよう最速でナフキンを取り去るのだが、そんな時に限って気付くヤツがいるものである。
「え!?なんでたあ坊なん?」
と敢えて言ってくるやっかいなヤツがいる。
そんな時、私はこう答えたものだ。
「いやぁ・・まあね」
と。
兄が「たあ坊」を使った時、
どのようなエピソードがあったのか。
それはまた別の話。
兄の口から明かされるその時まで。