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孟子 覇道、王道、皇道
孟子曰、
持力假仁者霸、霸必有大國、
以徳行仁者王、王不待大、
湯以七十里、文王以百里、
以力服人者非心服也、
力不贍也、
以徳服人者、
中心悦而誠服也、
如七十子之服孔子也、
詩云、
自西自東、自南自北、
無思不服、此之謂也。
孟子 いわく、
力で支配しておきながら、
あたかも仁道に沿っているように
見せかける者は、覇者である。
だから覇者は
必ず大国を持たねばならない。
自らの徳に添い
仁政を行う者は、王者である。
それ故に王者は
大国は、必要としない。
殷の湯王は、七十里四方の領土で、
周の文王は、百里四方の領土で
天下の王者となった。
力で服従させている者は、
心から服従しているのではない。
ただ己が
手向かうだけの力がないから
従っているだけである。
ところが
徳により、服従させている者は、
心の底から喜んで服従している者である。
たとえば
七十人の弟子が
孔子に心服したのがそれである。
『詩経』の大雅、文王有聲篇に、
『西からも東からも、南から北からも、
人民が集まり、文王の徳を思慕して
服さない者はいない。』
とあるのは、
その事を言ったものである。
●覇道とは
孟子が唱えた
春秋時代の覇者の行なった
武力による権力政治
何が何でも
どんな手段を使っても
自分の我欲のため
支配したい思いで、のし上がる
力づく、強制
武力、権力、金力
征服
そのため、嘘もつく、策士になる
(悪知恵)
●王道とは
中国の儒教の概念で
先王 (王者) の行なった道徳政治
神から王権を与えられた人物が
仁義や徳によって政治するものであり、
平和的な政治を目指すもの
真のリーダーは
天命により選ばれている
化育
天地自然が万物を生み育てること
王道の徳がなくなると
革命が起きて
武力で倒され覇道となる
●帝道とは
帝王が国を治める道
仁徳を主とする政道
忠義
日本は、皇室制度
ゆえに、皇道 という
皇道は
国民の幸せのために祈られて
いらっしゃいます
神勅(しんちょく)とは
神の与えた命令、またその文書をさす言葉
天照大神の子孫が
君主となって日本を治めることは、
神の意志に基づくものであるとする内容が
共通しており、
瓊瓊杵尊の曾孫磐余彦が
神武天皇として即位して以来、
その地位が皇室によって
受け継がれてきたとしている。
戦前期にあっては、天皇が、
日本の国体であることの、
法制的・歴史的・宗教的根拠となった
(万世一系)
『日本書紀』の天孫降臨の段で
天照大神が、孫の瓊瓊杵尊らに下した
以下の3つの神勅(三大神勅)のことを指す
●天壌無窮の神勅
葦原千五百秋瑞穂の国は、
是、吾が子孫の王たるべき地なり。
爾皇孫、就きて治らせ。行矣。
宝祚之隆えまさむこと、
当に天壌と窮り無かるべし。
●宝鏡奉斎の神勅
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、
当に吾を視るがごとくすべし。
与に床を同くし殿を共にして、
斎の鏡となすべし。
斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、
亦吾が児に御せまつるべし。
さらに、この2つの神勅を併せて
「五大神勅」という
●侍殿防護の神勅
願はくは、爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、
善く防ぎ護ることをなせ。
●神籬磐境の神勅
吾は則ち天津神籬た天津磐境を起樹てて、
まさに吾孫の御為に齋ひ奉らむ。
汝、天児屋命・太玉命、
宜しく天津神籬を持ちて、
葦原中国に降りて、
また吾孫の御為に齋ひ奉れと。
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「鏡」は「知」
古事記では、
「高天原の八百万の神々が
天の安河に集まって、
川上の堅石(かたしは)を金敷にして、
金山の鉄を用いて作らせた」
「勾玉」は「仁」
岩戸隠れの際に
玉祖命が作り、
八咫鏡とともに、榊の木に掛けられた
「剣」は「勇」
記紀神話では
(須佐之男命、素戔嗚尊)が
出雲・簸川上(ひのかわかみ、
現・島根県安来地方の中国山地側、
仁多郡奥出雲町域)で倒した
八岐大蛇の尾から出てきた剣
のちに
日本武尊が譲り受け、
移動中、周りを火で囲まれた時、
自らの周りの草を薙ぎ、
火打石で草を焼いたときに
帯刀していたとされる
三種の神器は、三徳を表す