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【ルーツ】ルーツ探しの発端① わたしの子どもの頃と出雲大社


わたしの、ルーツ探しの発端

それは、今から遡ること、
昭和51年8月の夏休みの事

わたしは、母方祖母と、
茨城県に当時住んでいた、叔父の家に数日、
宿泊することになりました。

まだ、仙台に新幹線もない頃で、
常磐線の鈍行列車で、
水戸駅まで行って宿泊し、
翌日、鹿島神宮に参拝しました。
ご祭神は、武甕槌大神さま
神武天皇元年創建の由緒ある神社さんです。

その2日後、祖母と、電車で、
千葉県の佐倉駅まで行き、乗り換えて、
香取神宮に参拝しました。
ご祭神は、経津主大神さま


叔父の休日は、筑波山に行ったり、
いろいろな観光名所を巡りました。

わたしが、県外の神社を
初めて参拝したのは、この2社です。
この時は、神社にも、神様にも
興味はありませんでした。

大正生まれ、しかも5月5日の
端午の節句の誕生日の、
母方祖母は、独り旅が大好きで、
ツアーにも、独りで参加して、
絶対に他人と一緒に行くことは
ありませんでした。
なぜなら、他人と歩くと、
「面倒だった」からです。
他人に縛られるのが大嫌いでした。
しかし、あの当時、
インターネットもない時代でしたが、
緻密に時刻表で調べ、
宿泊先も自分で予約し、
いかに旅に慣れていたか、わかりました。

ただ、この2社が、後々、
わたしに関わることになろうとは!
思いもしませんでした。

その旅から帰宅して、数日後、

エアコンのない時代でしたので、
蚊が入るのが嫌で閉め切って、
その晩は就寝しました。
ところが氣がつくと、
顔に生暖かい風が当たっている!
目を開けてみると、
天井の隅に女性の幽霊がいて、
わたしを観ていました。

「うわっ!」布団をかぶって、また見ると、
もういませんでした。
窓をみると、
閉めたはずの窓が開いていました。

それからです。
わたしが、時々、
予知夢を見るようになったのは。

ある時の夢は、
テストの問題がすべて見えました。
これは実際にそのまま問題が出ていて、
怖くなり、一問だけ間違えて書きました。
それだけが間違いでした。

ある時の夢は、階段から落ちて
下の壁にぶつかりそうになりました。
まさにそのまま落ちましたが、
下の窓が開いていたため、
ケガなく助かりました。

それからそういったことは、
就職した後も、ずっと続きました。

伯母のがん宣告も当てましたし、
見知らぬ霊に憑依されたこともありました。
憑依は、たまたま知っている
拝み屋やさんにお願いして、
外してもらったこともあります。

23歳の時、不思議に
「般若心経」を覚えたくなり

空で言えるようになりました。。

その時、今は亡くなっていますが、
仙台市青葉区八幡町で、
易占いをされていた、
土田先生と遇うのです。
数年間、娘同然に仲良くさせて
いただきました。

「わたしの占いを引き継いでくれないか。
会社を辞めてやってくれないか。」
家庭の事情から
お断りしたこともありました。
ホントは、
勉強したかったです。
それよりも、
日々の生活が困窮していたので、
稼ぐことのほうが重要だったのです。

土田先生の家には、
「天上天下唯我独尊」
黒光りする、お釈迦様が
飾られていました。



しかし、わたしが28歳のとき、
先生は、高齢から稼業を辞めます。
その時、
「これを肌身離さず持ち歩きなさい」と、
呪文を書いた紙を渡されました。
それが後に
「サムハラ神社のサムハラの文字」
だったことを知るのです。
そして、最後に、わたしに言った言葉は、

「あなたは、
最期のひと息まで神仏と
関わる運命、
人助けする運命である」


土田先生は、
早朝毎日欠かさず、
八幡町にある三居澤不動尊に
お参りしてから、
皆様を占っていました。

「辞める」 その言葉を聞いた時、
自分の中に

「よし!お世話になったのだから、
自分修行で、
毎月28日ご縁日に、
三居澤不動尊にお参りしよう!」

そのように、湧いてきて、5年間、
毎月続けて満願といたしました。

それからほどなくして、

街で、ベンチで荷物整理しているときに、
見知らぬおじさんに声をかけられて、
世間話をします。
すると、
「わたしは、◯◯神社の職員です」
と言う。
「今度、神社関係者で、
出雲大社に参拝するので、
あなたもご一緒しませんか」と言われ、
仙台から、島根県なんて
なかなか容易に行けませんでしたので、
「お願いします」と言って、
神社関係者と、その家族のツアーに
入らせていただいて
出雲大社を参拝することになるのです。

しかも、毎年のように!
それは素晴らしいものでした。
神社関係者扱いですので、
国宝おにわふみも何度も歩きましたし、
ご祈祷も素晴らしいですし、
出雲大社教、千家達彦管長先生の講話も
直に聴けました。
あの時は幸せでした。

街で遇った人なので、
普通なら「知らない人なのに」と思って、
断るはずなのですが、
直感的に「これは出雲に行かねばならない」
そう思いました。
そういう思いになったのも
不思議なことです。

おかげさまで、
平成20年4月20日に、
出雲大社 仮殿遷座祭に出席。

あの晩、18時から斎行されましたが、
出雲大社の上空四方から龍神雲が現れ、
御本殿の上で、一塊になり、
龍神の御顔となりました。
それが大きな口を開けて、
聴こえぬ声で吼えたのでした。
あれは一生、忘れることはできません!
こちらは斎行している間は、
一言も発することができないのですから、
龍神雲を指して、
あの場所にいた人たちが、みんな驚き、
見上げていました。

出雲大社の仮殿遷座祭に出席した翌日、
奉祝祭に出席して、
御本殿の内部を拝観いたしました。
もう感激でした!
60年に一度の御本殿の
屋根修復の時期に、
しかも出席できたことに、
自分が生きていることのありがたさを、
これほどかと思うほど、思い知りました。

しかし、
この仮殿遷座祭から帰ってきて、
半年後、

わたしを出雲大社へ導いてくださった、
おじさんは、急逝してしまうのです。
残念でなりません。
もっと、もっと、ご一緒したかったです。
ほんとうに感謝しかございません。
ご冥福をお祈り申し上げます。









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