「古事記、八十神の迫害」の中の大屋毗古神(おほやびこかみ)
大屋毗古神 (おほやびこかみ) とは
五十猛神の別名です。
大穴牟遅神(オオナムヂ、後の大国主)の兄神たちである
八十神(ヤソガミ)は
因幡国の八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するが、
ヤガミヒメはオオナムヂと結婚するといったため、
八十神はオオナムヂを恨み、殺すことにした。
●因幡国 とは
オオナムヂを伯岐国の手前の山麓につれて来て、
「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、
お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令した。
オオナムヂが待ち構えていると、
八十神は猪に似た大石を火で焼いて転がし落とし、
それを捕えようとしたオオナムヂは
石の火に焼かれて死んでしまった。
オオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)は
息子の死を悲しんで高天原に上り、
神産巣日神(カミムスビ)に救いを求めた。
カミムスビが遣わした
キサガイヒメ(𧏛貝比売)と、ウムギヒメ(蛤貝比売)の
治療によりオオナムヂは生き返った。
オオナムヂの復活を知った八十神は、再度殺害を試みた。
大木を切り倒して楔で割れ目を作り、
そのなかにオオナムヂを入らせ、
楔を引き抜いて打ち殺してしまった。
母親は泣きながらオオナムヂを探して大木をみつけ、
すぐに木を裂いて取り出して生き返らせた。
母親は、
「あなたはここにいたら、八十神に滅ぼされてしまうだろう」
といい、木国の大屋毘古神(オオヤビコ)の所へ行かせた。
オオヤビコの所へ行くと、
追ってきた八十神が、オオナムヂの引き渡しを求めた。
オオヤビコは、オオナムヂを木の股を潜り抜けさせて逃がし、
須佐之男命(スサノオ)のいる、
根の堅州国に向かうようにいった。
●根の国 とは
國學院大學より
○木国 木国から根の堅州国へ行き、
後に出雲国に通じるヨモツヒラサカを通って戻るという展開となる。
木国から出雲へという繋がりは、
垂仁記のホムチワケの出雲行きの際にも見られる。
「ここになぜ突如「木国」が出てくるかといえば、
それは「大樹を切り伏せ」「其の木を打ち立て」
「其の木を拆きて」等、
もっぱら「木」というのがこの話の種になっているからである。
(中略)だが
「木(紀)国」はたんに木の国であっただけでなく、
その「キ」は、
オクツキ(墓)、アラキ(殯)の「キ」(乙類)とも
重なっていたらしいのである。
(中略)少くともオホナムヂが
「木国の大屋毘古神」のもとに逃れたのは、
そこが地下の根の国にゆく入り口の一つにあたると
見なされていたことを暗示する。」
大屋毗古神
伊耶那岐と伊耶那美の神生みにおいて
六番目に誕生する神にこの名が見えるが、
木国との関連を示す記述はなく、同神説と別神説とがある。
「屋」は家屋を意味すると考えられており、
これを木国の神とするのは、
家屋を木で造ることによる連想かとする
(集成「神名の釈義など」)が、
同じく神生みでは木の神として
久々能智神が生まれているので、
木神ではなく、家屋の神をここに登場させたことに
意図があるのかどうか、問題となる。
『日本書紀』神代上八段一書五には
素戔嗚尊の子、五十猛命が記され、
その妹として大屋津姫命の名が挙げられている。
『先代旧事本紀』(巻四)では
この五十猛命は、亦大屋彦神であるとの注記を付している。
紀八段一書の記事では
素戔嗚尊とその子神は樹木生産の神として位置付けられ、
また素戔嗚尊はその子神を紀伊国に渡したと
伝えているところからすると、
木国と大屋毗古神とが繋がることになる。
しかし『古事記』には特に説明がないので、
やはり木国との関係は不明といわざるを得ない
(谷口雅博「木国の大屋毗古神」『古代文学』48 号、
二〇〇九年三月参照)。