承認欲求だったり、未練だったり、執着だったり。
なんとなく、よろしくないイメージの言葉たち。(笑)
少なからず誰でもあり、そして人間の本能として備わっているものでありますよね。
承認欲求が強い時って、逆に言えば挑戦・行動しやすい時でもあると思っていて。
くれくれ星人にもなりやすいし、執着もするし、泥臭いけど。
行き過ぎた行動は大人として恥ずかしいことにはなるけど、人としての変容、成長期ではあるのだろうなと。
(ほんとは子ども時代に、許されるうちにヤンチャなあれこれを経験できていたら落ち着くのだと思ってますが、←犯罪はNGで
社会的・生理的欲求が満たされている前提がなかった場合は難しい人も多いのだろうとは思う。大人になって取り返せるなら取り返したいよね~)
そこで上手くいかなくて
後悔や未練をたらたらするかもしれなくても、
それこそ気が済むまでしたらいい。と思います。
よく、不登校になったけど学校に戻りたくて頑張ってるお子さんや親御さん多いけど、
うちもとことんやったけど、
やりつくして分かったことも、いっぱいある。
その間、ピントが合うか合わないかは別としても、少なくとも挑戦はしています。
言われて分からなくても、行動して腑に落ちてようやく見えて来るものはある。
周りがどうであれ。なんか諦めが悪いね~、外もみたら?他もあるよ?とか思われたって、そうしたいのならどんどんやったら良いと思うんです。
だって、何かを確かめたくて、行動するんだもの。
探求してるんだもの( ̄▽ ̄)
カッコ悪いこと承知の上で、他人の文句など言う暇もなく
カメさんの歩みでもコツコツやってる人、いっぱいいるよー♪
私は20代までは絵だけ描ければ良かった人間。
誰かが見てくれて嬉しかったし、絵にまみれて死ねるなら本望、ぐらいに思っていたのですが、
その私はもういないんですね。
当時は貯金を修行(やりたいことやる生活)にすべて投資していたのですが、
好きなことをするために難しいこともいっぱいやってみたり、人と繋がってみたら、
大切な価値を置く場所が、自然と変わっていきました。
私がやりたいことはあまりにも内側向きで、昔はそれでよかったのだけど。
ひとりでやったら逆に勿体ない気すら出てくるという、充実感や達成感も知り、そこからもしかしたら熟成が始まったのかもしれません。
子どもができたら、尚更それは強くなりました。
知らない感情を知り、命の使い方を学び続けてる気がしています。
他人の想いに痛く振り回されることもまた経験となったし、一時期学校と戦闘モードにもなっていたけど。←時間があったんだろうな〜と。
打ち破られた固定観念。
そこはむしろ嬉しい(ただのマゾ?笑)
10年後はどんな景色なのかな?って思うと、
行動なり継続なり、自分だからできることをしておくか!という「今」への原動力になる。
何にもないカサカサの桜の木が、春は必ず蕾をつけて、花が咲き、葉が生まれるように。
人も自然と移り変わってゆくようにDNAがある程度設定されているから、
許される環境があるならば、飽くまで本能のままに生きもがけ、、と
つい私はそう思ってしまうのです。^^
※ただし、子どもを利用して解消しちゃいけないよなーと思う。ここは自戒込めて。
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