見出し画像

白目の落書き、夜の解読(1-2)

ピルストと申します。昨日も投稿して、今日も投稿するのかよ、と思われても気にしません。毎日投稿する気でいます。それから、前回の記事にスキを押してくれた方、本当にありがとうございます。励みになります!

ところで僕なんかでも、鏡に映った自分の姿を見て、寝癖とか目やになんかを落としたりします、人並みには。顔面の造形について一喜一憂する時期は過ぎましたが、今でも他人の視線というものは気になるもので、他人からどう思われるだろうか、という悩みから解放されるには、まだもう少し時間がかかりそうです。

とは言ったものの、「オリジナル」かつ「(自称)純文学」「ネット公開」するという、これほど厚顔無恥なことをしておきながら、いまさら人の目を気にしている場合ではないですね。

しかし、鏡というのは不思議な魅力がありますよね。鏡は数ある文学的装置としては有名です。鏡に映った自分の姿というのは、相対化された自分です。言い換えれば、観察できる自分です。これは文学と相性がいいみたいです。

機能としては、ドッペルゲンガーや、二人組系ですね。村上春樹の初期三部作の僕と鼠の関係は、ドッペルゲンガーの線で読むと、割といい感じに読めるみたいです。はい。

しかしですね、僕としては、鏡に自分の姿しか映らないっていうのは変な感じがするんですよね。だって、僕を観察する記述者はどこにいるんだっていう話になるじゃないですか。すごい気になるんですよね。まあ、どうでもいいですね。

0時を回っちゃったので、この辺で切り上げます。以下、前回の続きです。


 

 夢みがちな子どもたちの眼球を、通販サイトで購入した。
 ペン先0.1µmの油性ペンで、その白目にメッセージを書いた。貧しい子どもたちの眼球は、紙のように乾いているので、字が書きやすい。先進国の子どもたちの目は、ぬるぬるすべるので、字を書くのには向いてない。だから、せいぜいお風呂に浮かべるくらいしか、使い道がない。
 いつも、始まりと終わりが一緒になる文章を書くつもりでやっているが、うまくいかない。そのせいで、余白がなくなるまでびっしり書いてみても、失敗に気付いているから、いつまでたっても宛名が思い浮かばない。手を止めて、しばらく検討してみた。それでもやはり、だめだった。
 机の引き出しには、書き損じた眼球が、溢れんばかりに詰まっている。後は送るだけになった、子どもたちの真っ黒な眼球が、大きめのキャビアのようになって、押し込まれている。
 それが宝石のように美しいので、特に用事がなくても、なんとなく引き出しを開けて、ちらと見て、またすぐに引き出しを閉める。これがくせになっている。

『(半分ほど破れたピンクと青の花柄の便せんに、大人びた文字が、荒々しく食い込んでいる)
夜、地球の影、心のやわな者たちの昼、地球のふところ、老いの始まり、酷薄な静けさ ―― 隙間なく埋められた文字
 夜を解読するための方法を、先生は教えてくれませんでした。先生の役割は、夜をしっかり読み込めるよう、私たちを教育することではなかったのですか?先生のおかげで、私たちの夜はいまだに、手の付けられない、巨大な壁なのです。
 私たちは夜を読むために、あらゆる努力をしました。互いにひっついてしまった文字をはがすため、みんなでカッターを振り回しました。ふやかして柔らかくするために、バケツの水をかけてみました。ルーペを持ち出した人もいました。でも、すべてはじかれてしまいました。カッターの刃は折れ、バケツには穴が開き、ルーペにはどういうわけか太陽光線が集まってきて、持っていた手を焼きました。先生が私たちに教えてくれなかったせいです。
 夜は時間でもあります。いずれ太陽が昇ったら消えてしまいます。私たちは一体いくつの夜を見逃したことでしょう。そしてこれからいくつの夜が逃げ去っていくのを、指をくわえて見ていればよいのでしょう。
 私たちは今、星の光を使って、夜を割る方法を探しています。そのために、石切り場に行って、実際に花崗岩を割るところを見学するつもりです。とにかく、夜を章分けしないことには始まりません。それから節に分けて、文にするのです。私たちはこんな当たり前のことにさえ、今まで気づかなかったのです。
 先生が私たちのやっていることを知って、どんな反応をするのかは、分かり切っています。だからわざわざ教えようとは思っていません。先生の微笑にはもううんざりです。先生がそれをどこから拾ってきたのかは知りません。でもそれは、砂浜に半ば埋もれながら、太陽の光を反射してキラキラと光る、柔らかく巻いた貝殻ではありませんよ。ふと視線を下ろすとそれがあって、まるで拾ってくれと言わんばかりだった、というような出会いの運命は存在しませんよ。それはどこにでも落ちている、ごくごく平凡な微笑です。
 先生がそういう人であることは知っています。だから先生が、その芋虫のくそみたいに可愛らしい微笑を、見せびらかしていたとしても、特に何か言おうというつもりはありません。それは、大目に見てあげます。その代り口出ししないでください。』




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?