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人間は組み合わせなんだと思う

人間っていうモノについて語りたいっていう話。

今日のテーマは組み合わせです。それが人間の本質という話をしていきたい。

クソ理系の人ならはピンと来ているかもしれませんが、この世のすべての物体は生物から無生物まで、全てが原子によって構成されています。原子もまた陽子・中性子・電子によって組み合わされている。

この世に存在するほぼすべての者は何かの組み合わせによって構成されている。人間は原子の集合であり、その組み合わせの差異によって個人の差が生まれて、外見的な違いや病気やケガあったりする。

人間には(正しくは生物には)それを規定するわかりやすい概念・物質がある。それは俗に言う遺伝子である。人間の遺伝子はDNAという小さな二重らせん構造をした物質に保管されていて、それはほとんどの人間で同一であるが僅かな違いがあり、それは時に遺伝子異常や遺伝子多様性となり、人間という種であるという定義の中で、違う人間であるということを証明している。

さて、ここまで書いてやっと書きたい言葉の1つを出すことが出来た。遺伝子、つまりgeneが人間を構成しうる要素である。でも、人間はgeneでのみ構成されているのか? それは大きく異なる。geneによって規定されるのは、生物の外殻のみであり、そこに宿る精神や思想などのgeneによって保存されないモノがその外殻を満たすことでその人間を構成している。

その内部を満たすものがミーム(meme)と呼ばれるものである。memeを定義することは非常に難しいと私は思っていて、むしろgeneによって遺伝されない全てのものがきっとmemeになんだと私は思っている。

誰しもが人から・環境から、与えられた思想・教養・思考などを受け取り、それを自分の中で淘汰して一つにまとめ上げる。その人や環境から受け取るモノこそがmemeであり、そしてそれを人生をかけてまとめたモノが自分自身のmemeになる。

孔子の論語、プラトンのイデア論などと言った作品群は一種のmemeを形にしたものではないと私は思う。

重要なのは、memeはgene同様に自然選択を受けるということである。自然選択とはキリンが首が長いのと一緒で、キリンの先祖となる動物がいてその中にたまたま首が長く生まれた個体がいて、そしたらその形質が生き残るのに利便性が高かったから生き残りそれ以外はいなくなった。みたいな感じで生きる上で優位な形質を持ったものが残るというものである。

memeもそれを受けていると考えられ、我々が触れることができるmemeとは言わばすでに人間の歴史で自然選択を受けて生き残ったmemeであることが言えるだろう。

では、geneもmemeもどちらも未来に残るものであり自然選択を受けるものである。違いはそれがコード化されているのか(DNAとして表現できるか)否かだけなのか?

いや、memeには圧倒的に優れた部分、いやある意味で欠陥ともいえる部分がある。geneは自然的な意思つまりは人間やその他生物が作用できない意思、いわば神のような存在によって押し付けられる環境に対しての対応によって洗練されていく。対して、memeはどうなのか? memeはあくまで人間が意識を持つことによって生まれた概念であり、memeの良し悪しを決定するのは作り出した人間である。

どういうことなのか? それは逆にズームアウトした方がわかりやすいだろうか? 楽観主義も良いが悲観主義だって悪くない、主観的な満足度も大事だし客観的な指標も必要となる。

memeも良し悪しは人が決める。だから、あらゆる思想が肯定されうる。もしもこれがgeneであったらどうだろうか? geneであれば、おそらく否定されたものは絶滅するか、別の意味で肯定されると同時に別の種類の生物となり同一のgeneとは言えなくなる。

memeはその定義の不安定性から異常なまでの多様性を持っていると私は思う。そして、その多様性はいわば主観的な見方により、その個人それぞれが接してきた沢山のmemeから良い所切り出してくっつけた、いわば『組み合わせ』によって成り立つのだろう。

geneは人間の場合はアデニン・チミン・グアニン・シトシンといった塩基の組み合わせによってつくられている。じゃあ、memeはその人間がこれまで接してきたmemeの良いとこだと思った部分の組み合わせからなっている。

まあ、何が言いたいと言えば、「人間は組み合わせなんだと思う」っていうことだ。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:山麓から見えるあの風景

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