友人がネタ提供をしてくれたので-1-
過去投稿:2017/10/13
友人提供のネタも書こうかな? って思った話。
僕の友人にこんなことを言う奴がいる。
「時の流れを早く感じる奴は人生の見方を見直した方がいい」
これは彼女の意見に過ぎないが、彼女はよく口癖のように言うのは、この言葉だ。この言葉の真意はこうである。
彼女の中で、「時の流れを早く感じる奴」とは毎日がつまらない人であるらしい。彼女の言う通り、子供のころ、小学生のころなんて、一日が長かった。今よりも睡眠時間も長かったのにそう思う。これはどういうことなのか?
曰く、子供の時などは毎日が未体験なことばかりで、見新しくそれが人生がつまる、言い換えれば時の流れを遅く感じさせる要因だという。それは僕も賛同できる。ただ時が過ぎていけば、未体験のものが減り、人生がつまらなくなる、時の流れは早くなるのは仕方がなく思う。
ただ彼女は述べる。
「それはいつの間にか知ったかぶりをしているだけで、常にすべてのことが未体験なのだ」
確かに人生において重複することはない。限りなく似ている場合はあっても、同じものはない。しかし、彼女がいうことはいささか理想主義すぎるとも感じた。人間は成長する生物なのだから、未体験だと思えなくなるのは仕方がないのでは? それを伝えると彼女は言い返す。
「成長しているのというなら、感性も成長させればいい。人間は経験に頼ることで観察眼や感性を失う。観察や感性の立ち位置から考えれば、人間は退化しているんだ、成長なんかしている奴は一握り」
随分と否定的な意見ではあるが、これも僕は賛同しかできない。不満そうにうなずく僕に彼女は笑顔で言った。
「でもさ考えてみて! 子どもなんかより活動的で出来ることも増えた大人がすべてを未経験だと思えるようになって、感性や観察眼も経験のように積み重ねて成長させれば、毎日はどうなると思う? なんてすばらしい日々が続く思わない? 絶対、時は早いなんて感じない! むしろ年を重ねれば重ねるほど、時は長く、人生はつまるものになるんじゃないかな! 私はぶっちゃけ毎日がすーごく長いしね!」
もしかすると、僕らは成長と勘違いして退化しているかもしれない。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:暗雲の富士山