タンポポは咲く場所を選ばない
順序を逆にした話をしたいと思った話。
皆さんには好きな花はありますか? 私は好きな花が3種類あります。それを枕として語りたいと思います。
1つ目が「葵」の花です。とても艶やかな発色をしているのにもかかわらず、形態はどこか素朴に感じるとこが大好きで、呼び名も漢字の絵面も好きです。
2つ目が「青いバラ」です。青を指定しているのには意味があって、私はこの花の花言葉が好きなんです。かつて、青いバラは存在しない・作成することが無理だと考えられており、その意味から花言葉は「不可能」でした。しかし、生物学と化学、物理などの発達でそれは作成可能になり、花言葉は「夢かなう」が追加されました。。このエピソードが好きすぎて好きです。
3つ目が「彼岸花」です。あの真赤で花火のような形状が好きです。でも、それは入り口だけで、墓場に咲いたり花を咲かせるタイミングでは葉をすべて散らしたり、その生態の奇妙さ・異様さにミステリアスな魅力を感じ、そのせいで酷く惹かれるものがあります。
さて、今回のお話は、そんな「彼岸花」から着想を得た話です。私にはスピーチという観点で、凄いなと思う人が3人ほどいます。えっとここでは身近な人というわけではなく、私の中である意味で神格化・またある意味で悪魔崇拝的に、そんな意味ですごいと思ってしまう3人を紹介させていただきます。
1人目は「松岡修造」さんですね。かつて他の記事にも書かせていただきましたが、彼の言葉にはとんでもない熱量を孕んでいて、その熱意はまねできない。まるで、太陽を帯びた言葉を放ちます。それには色んな意味で敬服します。まあ松岡修造さんの話は別記事を参照してもらえれば……。
さて2人目と3人目ですが……正直、あんまり歴史的にいい人じゃないというか、ずばり大罪人ですね。これが今回のタイトルと最初の彼岸花の話に繋がります。素晴らしい才能は正しい心に宿るわけではないし、歴史的正義に寄り添う訳でもない。タンポポは咲く場所を選ばないし、彼岸花は怪しくそこにあります。少しでもそういう犯罪に敏感な人は不快に思うかもしれませんが……。では
2人目は「テッド・バンディ」です。まあ詳しくは語りませんが、アメリカの死刑囚です。罪状はとんでもないほどに残忍で、同じ人間とは思えないです。俗に言うサイコパス(正しくはソシオパス)という生物を絵にかいたような存在だと思っています。しかし、彼が裁判中に残した自己弁護は多くのメディアを動かし、そして様々な人に影響を及ぼしました。その異常性を深くは語りませんが、その異常性の根源たる部分を私の推測ながら書かせていただきます。
彼はとんでもないほど賢く、IQ160と言われています。裁判官が「良い弁護士になっただろう」と言わせるその技術はその天才性から来るものなのでしょう。ただ最も恐ろしいのはその天才性ではないです。実際のとこ天才性の部分だけ切り出すなら、東大生の平均IQは125という話を聞きますし、どの学年にも少なくとも3000人くらいはIQ120オーバーの人材がいてもおかしくないわけで、他の有名大学の高IQ層を加えれば、天才性という部分はやっぱり重要じゃないと思います。
彼の本来の異常性はその「自覚と自信」だと思います。自分が天才であるという自覚、そしてそれを巧みに利用した自分には出来るという自信、これが彼の犯罪を可能したんだと思います。これは犯罪だけでなく、私の言いたいスピーチの技術(話術)にも応用可能で、それがただでさえ異常な天才性を増長させている。
何度もいいますが、私が凄いと思うのは彼の天才性とそれを増長させる「自覚と自信」であって、彼の行為は異常であり普通に非人道的だと思います。それを踏まえた上で、次の人も歴史的大罪人と自覚したうえで紹介します。
3人目は「アドルフ・ヒトラー」です。こちらも詳しくは語りませんが、やはりとんでもない存在です。彼の政策のせいで、亡くなった方は数えられるものではないですし、その遺恨は世界中にまだ残っている。やはり、許される方法ではないと私は思います。でも、2人目同様その話術には異常なほどの力を感じます。
彼はドイツという国を動かし、まさに「独裁者」を語る上では避けられない存在でしょう。彼には圧倒的なカリスマ性があった……とは私は思いません。正しくは生まれてすぐにカリスマ性があったのではなく、スピーチを続けることで後天的に得たカリスマ性だと私は思っています。その証拠に彼のスピーチは言語がわからないはずなのに、強いメッセージ性を感じる。2人目同様に強い「自覚と自信」を感じる。しかし、圧倒的に違うと思うのは、2人目は天命の才能によってえた「自覚と自信」、対してこちらはスピーチを続けることで活動を続けることで得た施行と経験によるもの。
誰も初めは歩けなかったように、それを施行と継続を続けることで得たものだと私は感じました。ある程度は天性のものがあるのでしょうが、それ以上に努力から生まれる技術面を感じる。
私はかねてから思うのです。残念ながら順調からは素晴らしい才能は芽吹かない。理由は順調の中で人よりできるのは「目立たない」から。ただ人よりも出来る人に成り下がってしまう。ただのすごい人になってしまう。残念ながら才能は逆境でこそ輝いてしまう。野原に咲くタンポポだってあるのに、なぜ路上のタンポポがフィーチャーされるのか? そういうことです。
荒廃した土地から美しい花を見つけるのは簡単でしょう。では、美しく咲くように管理された植物園でより美しい花を見つけるのはどうしょうか? 私はそこが人類がずっと持ち続けているのに解決されていない問題だと思います。不良が良いことをたまにして褒められるのではなく、ただ純粋に良いことをし続ける人を見つける難しさ。
今回は「好きな花」と「すごい話術」をそれぞれ3つ挙げながら、「才能はどこに宿ってもおかしくない話」と「すごい才能は逆境でばかりフィーチャーされる話」をしました。
さて、タイトルの最初の文章を回収をしますと、いつもなら記事を「話したいテーマ⇒比喩・具体例」という形で作っています。今回はそれを逆で考えました。そういうことでした。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:名古屋にあった球体