新会社設立のお知らせ①
この度、私、猿田伸幸は、長野県松本市にてRYOZO VISION 株式会社を設立し代表取締役に就任いたしました。
松本は私が高校時代を過ごした街。
東京に出てきてからは田舎には盆と小学に帰ることしかなかったんですが、
たまたま7年ほど前に、親族の結婚式で11月に松本城に寄った際に、世界中から観光客の方々が来てらっしゃるのを見て驚きました。
私の学生時代は、せいぜい駅で登山に来ている方を見かけることがあるくらいでしたが、欧米、アジア、様々なところからお城目当てに来ていらっしゃって驚きました。
海外から多くの方は来ていましたが、受け入れる体制が不十分の様に感じ、何か自分に出来ることはないかな?と考え始めたのが、今回の法人設立の一番最初のきっかけとなりました。
いつか地元で!という気持ちもありましたし。
松本市街は、松本駅と松本城の間に観光資源がたくさんあるのですが、その城下町の中でも蔵作りの街並みが素敵な中町。
その寄った時にとある物件を見つけ、事業プランもイメージできたので交渉したのですがそれは叶わず。。。。
その後コロナが来てしまい一旦松本への想いは中断することになりました。コロナの期間も何か出来ることはないかとちょこちょこ帰っては模索しました。松本だけではなく故郷である安曇野市でも出来ることがないかといろいろと検討していました。
そんな中、SARUでも大変お世話になっており私も個人として大変お世話になっている安曇野放牧豚の藤原さんに、料理人を紹介したいとお知らせいただき出会ったのが、今回の新会社設立メンバーで取締役に就任した、竹下涼。
地元の生産者さんの元を足繁く通い、地域を愛する彼のお料理を食べさせて貰った時に、彼の郷土愛、技術、舌は間違いないと思いました。
彼には数年、東京で一緒に働き信頼関係を構築した上で、戻って一緒にお店をやろうと話し、東京に出てきてもらいました。
彼の不幸は早々に起きてしまいました。
出てきて直ぐにコロナに罹ってしまい、味覚、嗅覚を失ってしまい運動感覚も落ちてしまったんです。
毎日悩んだんでしょうし、生活の変化の影響も大きかったのでしょう。
その後、何年も出ていなかった持病のてんかんの発作が出てしまった。
ご家族もいる身であり何かあったら取り返しがつかないと判断し、一旦彼には地元に戻ってもらいました。
それから2ヶ月くらい経ち、コロナの熱でやられてしまった脳の海馬が回復したのでしょう。
劇的に味覚、嗅覚、運動感覚が回復し、再度上京の判断をしました。
それから、彼は地元の食材を積極的にお店で使い、気合の入った仕事ぶりを見せてくれました。
一緒に松本近郊の産地もいきました。
順調に行き始めて良かったなと思い安心した頃、また症状が出てしまった・・・これ以上は周りのスタッフにも影響を与えてしまう。
私は彼と話し退社して貰う事にしました。
「もう料理人として仕事が出来ない」
お医者さんの診断も受け、失意のどん底だったと思います。
障害者として生きて行かなければならない、就職も容易ではないでしょう。
何よりも家政科の高校に入って以来、料理人として生きて来た。
それを突然辞めなければならない。
まだ短い時間の信頼関係だったけど、彼の料理、地元への熱意は本物で絶やしたくない。
そこで私は話しました。
「松本で会社を作るから、そこで取締役やらない?取締役であれば自分たちの会社であるし労働者でないので雇用の規定から外れる。
これからは料理人ではなく、「信州料理家」として生きていくのはどう?
ただ、万が一のリスクを考え、彼以外に料理をする人を雇わなければならない。
そうなると人件費は重いから自身の報酬は限りなく少なくなる。
それでもいいなら一緒にやらない?」
ご家族のご理解もあり、その方向で行くことを彼は決断しました。
彼が開発に専念しその商品を現場でしっかりと具現化する。
松本の皆さん、観光でいらしている方、国籍も問わず楽しんでいただけるものは何だろうか・・・・そこで目をつけたのはラーメンでした。
松本には各ジャンルのラーメン店はあるが地元発祥のラーメンはない。
地元の食材でそれにチャレンジしよう!ということで新しい挑戦が始まりました。
内容は秘密ですが、地域の食材をフルに使い、且つ料理人の技術がなければ生み出せない一品。
器も地元の陶器を学び全てにおいて地元に拘る。
実は商品はほぼ完成したのですが、難儀したのが物件。
いいと思った物件は貸していただけない。
ラーメン屋は嫌だと言われたり、また私が東京からだったから弾かれたのかもしれない・・・けどどうしても妥協したくない。
松本行ってラーメンの試食、物件探し、夜は地元のお店に勉強と少しでも人脈を広げる。
そんなことを半年も続けていたと思います。
冬が来て、餃子を試食した後、なかなか物件が難しいなと、中町をとぼとぼ二人で歩いていた時、私の高校時代の同級生の実家だった布屋旅館が改修工事が始まっていました。
「あれ?」と思い入口を見ると、「リニューアル後、朝食を提供していただける方を探しています」の張り紙。
ひょっとして物件見つけるまでの間、繋ぎで商売に、そしてマーケットの勉強にもなるかもと思い、私は同級生に、そして竹下は張り紙にあった連絡先に問い合わせることにしました。
同級生のご実家は売却されてオーナーチェンジされたとのこと。
オーナーさんに連絡したところ、日替わりで3人くらいに朝食やって貰うから商売としては難しいがご興味あればとの事。
それでも立ち止まっていても仕方がないから、勉強になればと思い、竹下個人で受けさせていただくことになりました。
そこからは竹下が自身の力で生み出したのが、『朝食専門店』農人-note-。
最初週2、3日営業と聞いていたのがGWのオープンの頃には週6日に笑。
だいぶ話が違うな〜と思いましたが、その信頼を得たのも竹下の実力だよなと思いました。
彩り華やかで、地元の食材への愛が溢れ、素材を活かし和なのにどこか洋のエッセンス。洋なのにどこか和のエッセンス。
この独自の世界観は、ぬのやさんに宿泊されるだけでなく、街を訪れる方々、街にお住まいの方々の評判となり、竹下にとっても大いに自信となりました。
そんな中、中町でこの夏出会った1軒の物件。
この物件の出会いで、私たちは法人設立に本格的に事業開始に向け動き始めていきました。
少し長いのでこの続きはまた次回。
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