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毎日応援 141

「絶対できると思えない」ということは、その通りできないかもしれない。でも「できるんじゃないか」と可能性を想像してみることは、これからの時代、ほんとにものすごい可能性をひろげるんじゃないかと思う。

これまでの経験で、ピアノを弾いた事がない人が、常識を超えてまるまるピアノを弾けているのを見てきたり、
修験の師匠たちが、燃える炎の中や真っ赤に燃える炭の上を歩いても、護摩木を焚くお不動さまのメラメラ燃え盛る火に手を入れても、紙がその火にふれても、天ぷらの油に手を入れても、何ともならないのも見てきて、

他にも、全く食べない人から、とにかくいろんな種類の常識とは違う現実を現す人達を見てきて、人は、肉体を持っているけど、その肉体すら意識で変えることができるのが人間なんじゃないかといつも思ってきた。

それは、これまでは不思議だな、面白いな、で終わってきたけど、実はもっと大切な事で、
これからは、意識で病気も現実も変わり、絶対にありえない、できないと思っていたことも、できるようになるんじゃないかと思った。


前に、熟練の技術者の技を持つ人の脳を調べて、
全くの素人の脳に、熟練の技術者の脳の中で起こる電気信号を再現して送ると、
何の経験もない素人が、同じ熟練の技を再現できた、という結果報告を読んだ。

そのやり方をすると、ピアノ未経験者に、ピアノ熟練者の脳の電気信号を同じ場所で再現すれば、
何の経験がなくてもピアノがいきなり弾けるはずだと書いてあった。

これからの時代は変わる、と。

でも、それは絶対違うと思った。

人はそんな電気信号を送ったり、人間を機械化させたりすることは必要ない。

それは真逆のことで、
人は、ありのままの肉体で、意識の連動でそれができると思う。


六法全書でも何でも、手を当てるだけで、中身がわかる、と言う人に会ったことがある。

科学者で、いろんな技術を開発して大きな会社を作っている人だったけど、
そんな話は他でも読んだりしていたから、ほんとに居るんだなと話を聞いたり見たりしていたけど、

その人がじゃあ、脳を検査して、シナプスに電気信号を送っていたかと言うと、全くそんなことはない。

人の身体の中に、機械はいらない。


人は、自分の可能性を知ろうとすることがまず、必要なんじゃないかと思った。


勉強しなくても、意味がわかる、
学ばなくても、そうしようと思えばわかるし、表現できる、
病気になる必要がない、
食べないとダメということはない、、、。

とにかく、ここが想像力の働かせどころ。


それは無理だよな、の無い世界で想像してみる。


そして、それは子どもの得意技。
それを大人が潰しているから、
せめて邪魔しない(^◇^;)


子どもができる、と思うことは大人が邪魔して、いろんな「無理」という価値観を植え付けなければ、
実現できる、一番近い位置にいるように思う^ ^


つい先日、毎日応援で紹介した「ド級」の人が、YouTubeの中で言っていた。
「もげた腕も生える」。。。

信じることができた世界では、人は神であり、愛であるから、そうなるって。


それは、考えたことはない。。。


いや、あるか。


トカゲがしっぽを切られた後、しっぽが生えるのを見て、
人間も生えたら、と思っていた😮



そういえは、うちの亡くなったおじいちゃんは昔昔のことだったけど、
指を機械で真ん中くらいから、飛ばしたけど、
拾ってくっつけて治した。

医者にも行かず。
というか、そんなことで医者に行けるような時代じゃなかったと思う。
一人で落とした指を押さえてくっつけ続けて、ぐるぐる巻きにして、くっつけて治した。

ちょっと指が曲がっていたから子どもの時に聞いたら、教えてくれた。

でも、おじいちゃんは治ると信じたから、そうしたし治ったと思う。


機械で飛ばした指をくっつけて治ったわけだから、指が生えてきたわけではないけど、
それくらい、ありえない可能性を探してみることは、これからは必要なんじゃないかと思う。


真っ赤に焼けた炭や、木の燃える炎の中を歩いたら、
人の足は火傷して、服も燃えて、大変なことになります、なんて、ほんとに信じてたら、

人はいつまでも、意識と肉体がそこを超えられることすら考えられない。



修験の師匠たちは、正絹の服すら燃やさない。炎の中でも。

火傷もしない。


わたしは、火渡りの行の修験者のみんなの後について、わずかに燃える炭と火の中を歩いて、

熱かった(^◇^;)


でも、その後、冷やしはしたけど、足全体がただれた火傷になってもおかしくないと思ってたけど、何一つ、跡すら残っていなかった。

これは、お不動様の火だから火傷はしない、と言われたけど、
ほんとに不思議だった。


こういうことを信じてほしいとは思わない。
わたしも経験して、この目で何度も見て経験しなかったら、理解もできなかったと思うから。

ただ、人の観念の話として、
もっと、人間の中にある、大きな大きな可能性について、自分で知ろうとしないといけないんじゃないかと思った。

あまりにも、学校やニュースや、社会では人間や、意識や肉体の可能性について語られることがないだけでなく、

最近は人間の体は機械と繋いだり、機械に変えて行くといい、ということが情報として出始めたから。

命はそんなものじゃない。
もっと可能性とパワーに満ちたものだと思う。


みんなはどう思うだろうか。



大好きな松本零士先生の漫画、アニメの「銀河鉄道999」では、機械の身体を手に入れて不老不死を手に入れようと宇宙に銀河鉄道で、出るけど、
人の身体と、人間という、命の限りある存在の素晴らしさに気づいて、旅の最後の選択を変えて、機械人間の元の星を滅ぼすことになる。


わたしは、昔は自分の持っているものの素晴らしさに気づいてなかったけど、死にかけてからやっとこさ、気づいた(^◇^;)

でも、まだまだ自覚が足りなくて、その都度冷や汗をかいている(^◇^;)


みんながもうすでに宝物。
奇跡そのもの。


可能性を広げていけるの、楽しみですね^ ^



いつもありがとうございます。



今日も健やかで安心の時間が沢山流れていますように。



戸張碧月

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