知らない人と歩いて、人生の宝物になった映画「ニューシネマパラダイス」
フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。
tobari-moonこと戸張碧月です。
今回は、知らない人とゆったりとした時間を過ごし、その出会いで知った、
「名作中の名作」「キングオブ映画」「映画の中の映画」
(おすすめですけど、有名過ぎる映画で、今更かもしれませんが^ ^)
の紹介をさせていただきたいと思います。
先日、青い花をプレゼントでもらい、電車に乗っていると、知らない20歳程上と思われるお兄さまから話しかけられました。
花のことから、いろいろ話に花が咲き、もう二度と会わないかもしれないけれど、
「では、また!」と、別れました。
久しぶりに、知らない人と楽しく、長い時間話したので、ふと、昔のことを思い出しました。
その出会いの中で教えてもらった映画は、わたしの人生に大きな影響を与えるものでした。
そして、その人との思い出は、いつもわたしを楽しい気持ちと、人とはいいものだ、と明るい風の吹き抜けるような気持ちを一瞬で蘇らせてくれるものになりました。
もう、30年も前のことです。
昔の田舎の列車は、知らない人と話をしたり、お菓子や飲み物をお互い、渡したり、という事は、よくあったと思います。
そして、それはまさに一期一会でした。
学生だった頃の、帰省中の列車の中。
隣の、2、30歳?程年上の男性の方と、何をきっかけにか、話すようになり、
思わく、芸術のことなどで話がはずみ、
列車の途中駅の田舎の思い出話になり、
なら、その場所も目で見て確かめてみたいし、一緒に歩いてみようか、となり、
途中下車して、田舎の街を二人で歩きました。
年が離れていたその方は、
生意気な背伸びした学生だったわたしの話を、面白そうに聞いてくれ、
その人も、テレビや舞台や、伝統芸能の舞台役者の仕事をされていた方だったので、
その仕事に対するプライドみたいな真摯な感じも、活き活きとしていて、
わたしも、真剣に話を聞いていたと思います。
春の田舎の、たんぽぽや、オオイヌノフグリが咲く、暖かい春風の吹く中、
それはゆっくりとした時間が流れていました。
ほとんど、何を話したかは覚えていません(^◇^;)
ただ、その人にとってその地が、昔の懐かしい場所だったこと、
わたしも故郷のような懐かしい場所だったこと、
そして、音楽を勉強中の、
必死に知ったかぶりをしながら、いろんなことを吸収して学びたいさかりのわたしの真っ直ぐだった若さと、
芸術を極めて、日本中で活躍していたその人の、若さを楽しんでくれる余裕とが、
春の土と花の匂いが立ち込める道を、楽しく歩かせてくれたんだと思います。
1、2時間、その田舎の町を散策し、また一緒の方向の列車に乗り、それぞれの家に帰りました。
その時、その方が、一つだけお願いがある、と話し始めました。
もしも、これからどこかの持ち回りの映画館で、回ってきたら、どうしても観てほしい映画がある、と言うのです。
今では考えられないでしょうが、当時はまだ
DVDはなく、レンタルビデオも一本1000円位していて、レンタルの本数が少なく、販売価格は、一本一万数千円していたと思います。
とはいえ、映画館で一回の値段で二本以上映画が観れたので、上映があれば映画館に足を運び、多くの映画を一日中観ていました。
でもネット環境がないので、レンタルも上映もない映画は観ることはできなかったのです。
なので、口コミなどで良かった映画は、小さな映画館や自主上映のできるところで、細々と上映されていました。
その方が観てほしいという映画は、大きな映画館では観れず、レンタルもまだされていなかったけれど、名作として人気があり、都会などの小さな映画館や、自主上映で、あちこちで上映されていた映画でした。
その映画の名前は
「ニュー・シネマ・パラダイス」でした。
とにかく、そこはとても熱心に、
「この映画だけはいつか絶対観てほしい。」と言われたので、
わたしは映画の名前も含めて、しっかり覚えました。
そうして、その人とは下車駅で別れ、
お互い、数年、そんなに多くはありませんでしたが、文通をしました。
その人の、舞台も県外まで観に行ったこともありました。
そのうち、なんとなく文通はなくなり、引っ越しなどするうちに、連絡先もなくし、
もう、それきりになりました。
ちょっと、話は戻ります。
旅で別れた後、わたしは折に触れてその映画のタイトルを探し、ついに見つけ、観ることができました。
それは、
それは、、、、、
言葉には言えない素晴らしい映画でした。
わたしは昔、地元にあった「名画座」というひなびた映画館で、
一本の映画代で一日中、エンドレスでいろんな名画の観られる映画館に一人で居るのが好きでした。
ニュー・シネマ・パラダイスは、そんな、古き良き映画館の時代と、移りゆく現代への旅。
映画そのものの、歩みと、
そこに重なった自分自身の人生の流れが、
それは、それは美しい音楽と共に、
映像と共に流れてゆく。
映画なのか、
映画の中なのか、
わたしの人生が映画なのか、、、。
若かったわたしが観ても感動し、
それから、10年、20年、30年経っても、わたしの中で色あせることなく、
ずっと観続けている映画です。
年を重ねるごとに、観え方もかわるので。。。
その後、この映画は世界的に素晴らしい名作映画として、音楽もあらゆるコンサートやCMで使われる名音楽として、評価され知られることになりました。
なので、いつかは、巡り合ったかもしれない名作ですが、
あの旅で、わたしは若いうちに、その人からの情熱を受け取り、この映画に巡り合え、
いつもその情熱の炎をハートに灯してこられたのです。
楽しい春の散策の思い出と共に^ ^
最近の自分は、
肩をすぼめて、カバンを両手で抱えて、人に当たらないように、
迷惑にならないように、
気配を消して、電車に乗り、
トラブルを引き寄せないようにしていると思います。
隣に座った知らない男の人と、
一緒に話をして、
列車を降りて、散歩をして、、、
なんて、危険過ぎて、今では考えられない。
と思っていたら、隣に居た20歳ほど上のお兄様に話しかけられて、花やら猫やらの話で話に花が咲き、写真まで見せあって
(お互いの愛猫^ ^)
またね、と別れたので、昔の懐かしい体験を思い出しました。
もう、他界されているのかな。。。
(ご存命だったら、ごめんなさい!
でも、うれしい!)
お名前を思い出してみると
(もう、30年前(^-^;))
お名前を出してもいいのかな。。。
大阪の人形浄瑠璃の「中村貫禄」という方だったと思います。
ご存命なら嬉しいし、
そうでなかったとしても、いつも心の中で楽しい思い出として.居て、いつも感謝しています。
余談ですが、
この映画を紹介していただいて、
一生忘れない感動!と思っていたら、
随分たってから、たまたまつけた年越しのテレビ放送で、「ニュー・シネマ・パラダイス完全版」というのをやっていて観ました。
なんと、この完全版、結末が違う!!
そんなことある!?
と、かなりの衝撃でした。
映画監督が、当時のビデオのフィルムの制限時間の関係で、泣く泣くカットしていた部分を作り直し、えがきたかったところを作り直したんだそうです。
びっくりはしましたが、これもわたしは大人バージョンとして、好きです。
なんか、この方がリアルなのかな、と。
わたしは死ぬまでに、後、何回この映画を観るのかな。
その度、一緒に、
顔ももう覚えていない、隣の席に居た中村さんのことを、
そして中村さんと歩いた、あの町の春のあぜ道を思い出すでしょう。
映画の中の映画。
内容は書きませんが、これぞ映画。
映画を愛する全ての人に捧げられた映画。
旅の途中、人生で一つこれだけは、と、見ず知らずの若者に、観てほしいとお願いするほどの、映画。
それを観た若者が、年を経ながら、大事にかかえるような映画^ ^
ぜひ、おすすめです^ ^
春はもうそこまで来ています。
皆さまも、楽しい春の時間をお過ごしください。
ありがとうございました。
戸張碧月