物理が好きで1浪までしたのに、数学ができなくて大学辞めたい話。
大学辞めたいって、なかなか理解してもらえないことが多い。特に浪人していると、時間もお金もかけたのに勿体無い!という感情が働くようで、さらに理解してもらえない。大学生同士でも、共感してもらえることはあっても、実際に本気で辞めようと思っている人はあんまり居ないような気がする。みんな、なんだかんだ言いながら通えているのだから凄い。
辞めたい理由は人それぞれだけど、一番多い理由は学業不振や無関心で、これがほぼ半分を占めている。例によって私もそれである。大学の数学についていけなくなったのだ。単純明解だ。
今の私の在籍は、いわゆる<理学部物理学科>というところである。主に物質の性質とか、物理法則の探求とか、宇宙の誕生から物質の成り立ちまで幅広く扱うマニアックな世界だ。勿論それを学びたくてここに来たわけだが、待ち受けていたのは、高3・浪人時代には全く想像していなかった試練だった。
中学の時、物理学に出会った
私が宇宙に興味を持ったきっかけは、中1の時に読んだ『宇宙への魔法の鍵』という、スティーブン・ホーキング氏の本だった。「原子」という言葉を始めて知って、知らない世界を知る悦びを知って、宇宙の始まりと終わりに胸をときめかせる日々だった。その頃から私の夢は「宇宙の研究をすること」であり、そのために大学院まで行くことは必須条件であった。
物理と宇宙の本(言葉でわかりやすく書かれているやつ)をあらかた読み漁ってしまっても、理解できない数式がずらずらと並んでいる本までは流石に読めなかった。私の物理学に対する情熱はそこで冷凍保存されたまま高校に入学した。この冷凍保存は浪人時代に steins;gate というアニメに出会うまで続き、長い間冷凍室の奥底に眠ることとなる。そして、再び取り出した時にはぱっさぱさに冷凍焼けしてしまっていたのだ。
高校時代
皮肉なことに、高校生の時に一番できなかった科目は物理だった(体育と日本史を除けばの話だが)。数式も意味もイメージできなくて、高3の5,6月にやっと動摩擦力と静止摩擦力の区別がつくようになった。宇宙の研究をするならもちろん物理を選択するしかないのでとにかくやるしかなかった。おかげで、現役でのセンター試験本番では92点を取れるくらいに基礎ができるようになった。
このとき、進路に全く迷いがなかった訳ではなかった。宇宙への情熱が冷凍保存されている間、私の心を捉えていたのは世界史だった(きっかけは ヘタリア)。おかげで、世界の全部の国に行きたい!というとてつもなく壮大な夢ができたのはまた別の話だが、それまで物理に一途だった私の心が揺れ始めたのはこの頃からである。
浪人生、そして数学ができない
浪人したのは、行きたい大学に行けなかったからだ。結局は1浪しても落ちているため、今通っているのはひとつ下の、妥協して入学した大学である。(正直、今の大学なら現役で行けたんじゃないかな、、、)とひそかに思っているのは秘密だが、妥協して入ったはずなのに授業についていけてないのでもう何も言えない。
あれ、、、数学ができないな、、、、ということに気づき始めたのは、予備校に通い始めてすぐだった。他の教科はできても、数学だけは勉強の仕方がわからなかった。教科書レベルのことは分かるのに、入試問題には手も足も出ないということが続いた。解法パターンを頭に入れなければならなかったのか、慣れ不足なのか、とにかくそれは冬になる頃には取り返しのつかないところまで来てしまっていた。このときの数学に対する苦手意識と、どうしたらいいかわからないという混乱はしっかりと私に刻まれた。
大学生、そして数学ができないと物理ができない
勿論、受験のための数学と、理学部物理学科で扱う数学は立場的には別物だ。受験数学は「解くもの」であるが、大学、特に物理での数学は「手段」に過ぎない。しかし裏を返せば「数学ができなければ物理を扱えない」ということである。そして、私はそこにつまづいた。気がつけば、大学で習う数学の基礎レベルの理解すらできなくなっていたのだ。
大学1年の春学期、分からないことが積み重なって、薄い磨りガラスが何重にも重なっているように思考がぼやけるようになり、テストこそ無理やり暗記で押し通したものの、私の望んでいた学びはこれだったのだろうかという想いが日に日に膨れていくようになった。本当は何がしたかったのかも分からなくなっていた。中学生の頃の物理と宇宙に対する情熱は乾燥しきってしまい、この困難に耐えうるほどのしなやかさは無かった。
不登校まっしぐらです
そして、1年の秋学期から段々と大学に行かなくなり、年末から完全に不登校になってしまった。何かを見失い、ソシャゲに明け暮れる毎日を過ごした。学校に行っていなかったことは、4月になってやっと親に伝えた。「ゆっくり過ごしていいけど、大学卒業だけはしてほしい、そのあとはなんでもしていいから」と言ってもらった。
大学に戻ることに恐怖しか感じなかった私は、春と夏のあいだはアルバイトをしよう、と人並みに考えて働くことにした。が、勉強に関しては数学の教科書も物理の教科書も嫌悪の対象でしかなく、一切手をつけていなかった。
こうして、夏が終わるまで大学には一度も足を運ばずに過ごしていた。が、恐ろしいことに、時間が経つと人間は痛みを忘れるらしい。ゆっくり休んだおかげで、そろそろ大学に行って一年間の遅れを取り戻せるように頑張るべきかもしれない、と思えるようになってきた私は、秋からまた大学に足を運ぶことを決めたのである。
秋。期待に胸を膨らませて、今度こそちゃんと勉強するんだと、遅れてしまった分を取り戻すまではいかなくても、ついて行けるように毎日頑張ろうと思って、大学の敷地を踏んだ。
そして久々に、自分がいかに数学ができなかったかということを、まざまざと思い知らされたのである。
ある秋の日に、研究室で大泣きしながら教授に相談したことがあった。教授には「そんなに物理も数学も苦手で、でも科学が好きだからここまで来れた。見上げた根性だね」と言って頂いた。心が救われた気がして、僅かでも認めてもらえた気がして、とても嬉しかった。でも、心は救われても、その一言で数学ができるようになる訳ではない。質問しに行こうにも、どこがどう分からないのかが分からない。どこまで戻って学び直せばいいのか分からない。自分がどこまで理解できているのかいないのかも分からない。真っ暗闇だった。
そんな訳で、だんだん大学に行けなくなった私は、再び不登校になってしまったのだ。去年の12月だった。毎年12月になると不登校になるのは、寒いと登校しづらくなるからだと思う。
もう一度立ち上がれるか否か、挫折を繰り返して時間を無駄にするか
大学のカウンセラーの先生と今後どうするかということの話し合いを重ね、年が明ける頃には自分の道が大体見定まっていた。だが、肝心の大学を辞めたいという話はというと、親に持ちかけても持ちかけてもダメだった。卒業だけはしてほしいと譲らない。とうとう私の方が折れた。仕方ない、もう一度やってみるか、と。
ところでつい先日、大学のカウンセラーの先生に「あなたは危機管理能力が無いわね」と言われた。「低い」んじゃなくて、「無い」。もともと楽観的な人間なので、その言葉も軽く受け取っていたが、しばらくして、あれっと思った。
もしかして『大学に戻って卒業を目指す』こと自体が、私にとって無謀なのではないか。本当に私は、大学に通うことを続けられるのだろうか。このまま何もせずに春を迎えて大学に足を運んでも、きっと当たって砕けるだけだ。勉強の仕方を試行錯誤して探さなければならない。大変な道のりになる。本当に辞めなくて良いのか。
タイトルに『1浪までしたのに』と書いたけれど、大学に入学することと、そこで学び続けて卒業することは、全く別の問題だった。入学したことも、入学する為に努力したことも、抱えてきた夢も情熱も想いも、一切後悔していない。そこで得た経験は私だけのものだし、入学して初めて知ったこともたくさんあった。が、それと今ぶつかっている困難とは完全に別物だ、と私は思う。
今でも相対論やブラックホールの本を手にとると心が踊るし血が騒ぐ。それでも、20代の貴重な4年間(それ以上になるかもしれない)という時間をそこに注ぐことに、どうしても覚悟が決まらない。他にもやりたいことは色々あるし、時間切れになってしまってからでは遅い。
ただ、私自身大学を中退するのをためらっているのも事実だ。そりゃ、「学生」という身分は何ともお気楽で、大概の人は自分で生活費や食費を稼いだりしなくて良いし、世間からもそう思われている。その揺り籠のような温室から、自分から冷たくて厳しい一般社会に転げ出ようというのはかなり大きな決断だ。それなりの覚悟もいる。大卒というパスポートもない。世間は甘くないことを身をもって知ることになるだろう。
終わりに
今悩んでいることをただただぶつけただけになってしまったが、同じことで悩んでいる人がもしいたら、一人じゃないよ、という支えになったら嬉しい。そして、似たような経験をしたことがある方がいらっしゃっいましたら、アドバイスを頂けたら泣いて喜びます。
私は、試行錯誤と気合いと根性があれば、できないことは何もないと本気で信じている理想主義者です。数学も時間をかければできるようになると思ってる。ただ、何年かかるか分からないのが大問題なだけ。だから、「学生」というご身分に甘んじて、もう一年だけ挑戦してみようと思う。もし、それでダメだったら、、、諦めた方がマシかも。
願わくばあの時の情熱が、不死鳥のように帰って来てくれますように。