泉鏡花『高野聖』における語りと異化効果
この小説の最大の特徴は、その語りの構造に見ることができる。幻想小説として、また奇怪小説として、『高野聖』が他の作品と一線を画する点は、この小説が単に奇怪で幻想的な対象を描くだけでなく、それ自体一個の奇怪な造形物として完成しているという点だ。三重の入れ子構造、回想を用いた時間の多重性を活用し、作者は読者を幻想世界に導く巨大なからくりを作り上げている。その構造の壮麗で複雑であるがゆえに、読者はリアリティーの正常な水準を失う。つまり、現実から非現実へのグラデュアルな変遷の途中、読者はほとんどその道程を意識することなく、非現実或いは超現実的(シュルレアリスティック)な世界へとすでに迷い込んでしまった自らを発見し、驚嘆する。この構造は人間の恐怖心とそれが掻き立てる美意識を効果的に引き出している。
ヴィクトル・シクロフスキーの提唱した異化という概念を用いて説明するならば、泉鏡花は『高野聖』において現実と虚構の境界を陥落させることによって、日常と地続きの幻想世界を生み出し、日常を異化したのだといえるのではないだろうか。異化とは、正常であると慣習から信じ込んでしまい、もはや疑わなくなった(自動化した)日常的な出来事を新たな光のうちに見つめなおすことで、その異常性を体感することだ。この小説には繰り返しと連続によって摩耗し薄められた日常にゆさぶりをかける力がある。
この小説を読む不安それこそが、この小説を読む最大の楽しみではないだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?