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英語教育合同ゼミ2021

毎年恒例、3大学の英語教育専攻の合同ゼミに参加しました。昨年の合同ゼミの際に、「来年は信州に集まってみんなで蕎麦打ちをしましょう」と言って終わりましたが、残念ながら叶わず。昨年に引き続き今年もオンライン開催となりましたが、非常に充実した合同ゼミでした。私にとって4回目、そして最後の合同ゼミを振り返ります。

まずはアイスブレイク

例年のごとく、まずは参加者のみんなが打ち解け合えるようにアイスブレイクから始まります。今年は、Kahoot! というWebサービスを活用して、参加者一人一人についての自己紹介クイズを行いました。まずはグループに分かれて自己紹介をしてから、グループメンバーと協力しながらクイズを作ります。クイズを作る過程で自分のことについていろいろ話して、グループ内での仲が深まることを期待していました。そのためグループ内ではクイズの答えは分かってしまいますが、全体でのクイズ大会のときに他のグループのクイズを楽しめればいいかなと。グループごとに考えてもらったクイズは Google docment に入力してもらい、それを私が裏でひたすら Kahoot! にコピペして全体でのクイズ大会の準備をしていました。みんなが作った自分自身についての4択クイズが本当に面白くて、盛り上がってくれてなりより嬉しかったです。「○○さんに最近起こったハプニングは?」「○○さんがバイト中に接客したことがある有名人は?」など、その人のユニークなエピソードをうまくクイズに落とし込んでいて、もっと話が聴きたくなるようなものばかりでクイズで終わってしまうのがもったいないくらいでした。

全体でのクイズ大会の時は、その人のクイズの前にその人の名前を呼んで返事をしてもらい、どの人についてのクイズなのかが全員に分かるようにしました。このアイスブレイクは私と2人の後輩と一緒に企画しましたが、アイスブレイクで大切にしようとしたことは、参加者全員がその場の一員として受け入れらていることを感じることができること。ブレイクアウトでのグループワークは4、5人で行うので、比較的簡単に打ち解けられると思いますが、全体で集まると20人を超え(例年だと40人以上いたので今年はかなり少ない方)、特に初めて参加する3年生にとっては、この合同ゼミというコミュニティーへの所属感や受容感、安心感を得ることは、オンラインだとなおさら難しいように思います。だからこそアイスブレイクでは、全体でのクイズ大会の時に一人一人の名前を呼んで顔を見て、全員の存在が互いに認識され、受け入れられていると感じることができるような工夫を大切にしました。クイズも、その人のことを少しでも知れるように、自分のことを知ってもらえるように、自分自身に関するクイズをすることで、参加者同士の緊張がほぐれ、みんなにとって心地よい場、安心できる場を作ることを大切にしました。

合同ゼミの閉会式で先生方からコメントをしていただいた時、一人の先生が今回のアイスブレイクについて参加者の関係づくりの点から言及してくださいましたが、企画側として込めた願いというか意図を受け取ってもらうことができたのは非常に嬉しいことです。その先生がお話ししてくださったように、今学校教育でもオンライン授業が取り入れられていますが、オンライン上で効率的・効果的な学習を目指す以前に、子どもたちの関係性づくり、誰もが所属感や受容感、安心感を得ることができるような場づくりが優先されるべきであると改めて感じました。

アイスブレイクの企画で大切にしたことを書きましたが、この活動にした根底には、「Kahoot! での自己紹介クイズは絶対楽しい!」と、企画の3人で試しに Kahoot! を使ってやってみた時に自信を持てたことがあります。Kaboot がいい感じの BGM を流しながらクイズ大会の雰囲気を完璧に作ってくれるので、Kahoot 様様です。


卒論・修論の進捗発表

今年は12名の学生が各々の卒論・修論の計画・進捗状況について発表しました。毎年思うことですが、英語教育の研究テーマは本当に多種多様です。これまで英語教育について広く学んできたと思っていても、まだまだ知らない領域があるなあと痛感させられます。その人がその研究テーマに辿り着くまでにどんな歴史があるのか、非常に興味を惹かれます。

昨年に引き続き、コロナ禍という状況は研究にも大きな影響を与えています。英語教育研究は参加者を集めてデータを採ることが多いですが、実際に対面で集まってデータを採ることを望んでいても、オンラインでデータを取らざるを得ないこともあります。合同ゼミの最後にある先生が、「思った通りにいかないこともあるかもしれない。でもそのこと自体が研究の価値を下げるわけではない。データの偏りや足りていないことを分かっていることが重要で、それを論文の中に包み隠さず書くことが大切。」と仰っていて、私自身今修論に取り組んでいる身として大切にしたいことです。

私が修論の研究で何をやっているのかというと、一言で言えば、

「教員養成学部で英語教育を専攻している学生が学校教員にならないという選択をする」という等至点に至るまでのプロセスを,その個人を取り巻く歴史的・文化的・社会的な文脈,影響との関係の中で描き出す

というものです。詳しく書こうとすると長くなり過ぎてしまうので、また別の機会に修論について記事を書いてみたいと思います。ここでは、私の発表に対する質問についてだけまとめておきます。

私の発表後、ある先生から、「『学校教員にならない』をどう定義しているのか。」という質問をいただきました。それに対する私の答えは、「小学校・中学校・高校などの公教育の教員にならないということ。ただ、『英語教師にはならない』とか『公教育の教員にはならない』など、『学校教員にならない』の意味は当人によって様々でバリエーションがある。」というものです(実際にはここまで整理して答えられてなかったと思いますが)。

それに対して、公教育や民間教育など様々な教育者の立場がある中で「教員にならない」ということどう位置付けるのかという垂直方向の軸と、「教員養成課程をやめる」のか、「卒業後すぐにはならない」のか、「永久にならない」のか、などの水平方向の軸があるというご指摘をいただきました。特に水平方向の軸についてはあまり考えてこなかったので、新たな視点を得ることができて良かったです。

ただこの研究を始める前に研究者にとって「学校教員にならない」という同じ現象に見えていたものが、実際にインタビューをして分析することを通じて、「学校教員にならない」の意味が当事者によって様々に異なるということが見えてくる、つまり研究者の事前の想定が覆されるというのがこの研究の醍醐味でもあると思っているので、事前に「学校教員にならない」を狭く定義せずに、その意味の豊かさを研究を通じて明らかにしていきたいと思っています。そこには、当事者の将来への展望(「今は教員にならないけど、将来なりたくなったらそのときに教員の道もある得る」)から、現在の選択の意味がより鮮明になることもあるでしょう。

他にもいただいたコメント等を参考に研究を進めていきたいと思います。


さいごの合同ゼミを終えて

私が学部3年生のときに初めて合同ゼミに参加してから4年が経ち、今回で4回目の参加となりました。3年生の時は、研究ということに関して右も左も分からず、先輩方の発表を聞いて、「先輩すげー」ということが一番でした。発表者に限らず、発表を聞いた学部4年生や院生が鋭い質問をしているのを見て、「なんであんな鋭い質問ができるのだろう」とただただ先輩方の豊富な知識や批判的な考察に圧倒されるばかりでした。年に1回の合同ゼミですが、私はそんな合同ゼミで他大学の学生や先生方の姿に刺激をもらって育ってきたと思っています。院生になってからは、私が見てきた先輩方のように、周りの学生に少しでも刺激を与えることができるように、「先輩すげー」と思ってもらえるように、そしてそれが日々の学びの活力になってもらえるようにと思いながら合同ゼミに参加してきました。果たして後輩にどのように見られているかは分かりませんが、今後も合同ゼミがいろんな先生方、いろんな学生たちと互いに育ちあう場であることを願っています。

合同ゼミは、今でも一緒に集まって読書会などをしているメンバーと出会えた場でもあります。この毎年年に1回の合同ゼミで得られたものは計り知れません。合同ゼミの存在に、本当に感謝です。

来年、名古屋行きたかったな〜。



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