見出し画像

ポンコツなわたしと


たったいま

わたしのなかにあるものを

言葉にしなくて

いったい何を

言葉にするというんだろう。

画像1


入院中に書き溜めた言葉たちを

アップすることよりも

日常の生活を

優先してきた結果

置き去りになった言葉たちを

アップできないままでいることに

知らず知らずのうちに

わたしのなかに

罪悪感が湧いてきているのを

いまようやく自覚している。


そうなると

さらに身動き取れなくなるのが

わたしの常。


変に律儀に

順番通りに

記事をアップせねば、と

考えてしまうから

さらに

億劫になってしまい

たったいま

やりたいことをも また

封印してしまうことになりがち。


自分の「ねばならぬ」に

がんじがらめになって

身動き取れなくなることを

これまで

なんど経験してきただろう。

画像2

もう

やめよう。


そろそろ

この「常」を

変容させようではないか。


「常」とは

日常的に繰り返してきた行動であり

反復練習により身につけてきた習慣。

慣れ親しんできたものである。


これを変容させるには

まず

自分の「常」がなんであるかを

はっきりと
(いや、なんとなくでもいい)

知ること。


そして

自覚したものを

ただそのままそうなのだ、と観ること。

観察に近い。


そのことで

自分を裁いたり

罰を与えたりする必要などないのに

そうしている自分がいたら、

それもまた

まっすぐにみつめる。


で、

「常」を止める、変容させる、

と決める。



決めたら

あとは

愚直に

「常」に氣がつくたびに

「常」とは違う行動をし続ける。



何度も何度も

くりかえし。


画像4



さて、

そうして

わたしは

以前書き溜めたものよりも

「たったいま

書きたいことを

書く」

ことを選択している。


満月の今日までの

二週間ほど

尋常じゃないほどの

眠気を感じてきた。


何をしていても

眠いのだ。


やりたいことは

てんこ盛りで

朝には

「今日はこれとこれをやるぞ!」

と意気込んでいても

お昼になるころには

すでにまぶたがおちてくる。


昼食を食べるよりも

眠気を優先する日も

何度かあった。


本当は今すぐにでも

眠りたいのに

予定が入っていたために

眠りたいという自分のカラダの声を

無視する日もあった。


その間に何があったのかは

わからないが、

満月を迎えた今日は

その眠気が

ずいぶんとよくなっているのに

いま驚いている。


そして

ずっとしたかったことのひとつ

このnoteを書いている。


なんでもないようなことだけれど

こうして

パソコンに向かって

かちゃかちゃやっている時間が

本当にしあわせだ。


画像4

わたしは

わたしが

何をしている時がしあわせだったのかを

すぐに

わすれてしまう。


どうしようもないほどの

わすれっぽさだ。


だから

なんども

おもいだす。


おもいだしては

それをして

本当に自分の

どまんなかに

還ってくる。


そのくりかえしだ。


それでいい。



ポンコツな

わたしを

そのままに

いきていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?