川崎駅周辺をふらふらしてみた
好き~です。川崎あいのまち~。
昔、地域の副教材に歌詞が載っていたのですが、あの清掃車(きれいなブルー・ドラえもんカラー)の音楽には歌詞があるんです。「多摩川のほとり」とか「やさしい鳥の声」とか。結構、素敵な歌詞だったと思います。がち地元です。
小学校のときには、全校生徒(たてわり)で歩いて多摩川の河原に遊びに行っていました。天気のよい午後は遊びにいっていたから、校長先生が理解のある方だったのでしょう。段ボールで草の上をすべったり、いい小学生時代だったな。
さて、JR川崎駅の東海道線(橙と緑の電車)で学校に通っていたのですが、同じ時間で通うから電車で某有名男子校の生徒さんと一緒になっていましたね~。それだけですけど。当時は3つのホーム(東海道線・京浜東北線・南武線)しかなくて、駅内もがらんとしていたのですが、今では。。。
駅をでて東口を左手へ。ラゾーナに続くデッキがあります。
さいか屋が川崎を撤退したと聞いたときはショックだったんですよね。神奈川の百貨店なんですけれど(今は藤沢にしかないのかな?)昔は西武デパートも丸井もあって、化粧品もおしゃれ小物もあった。当時の会社員はなんとか手に届くお値段だったんですよね。(給与がそれなりにあったので)クリスマスコフレを買いに池袋西武とか行ける時代があったのですよ。ブラック企業の新人会社員であってもそれなりにお給料がもらえた。
モアーズの上層階に釜めしやがあって、休日には家族でよく行っていたのだけれど、その釜めし屋を何年か前に偶然見つけたことがあるんです。アゼリア地下街。オーナーがかわったけれど、同じ釜めしやだと聞いて胸あつでしたね。
このあたりのバス停から病院に通っていました。川崎市民病院は、ドラマ「白い巨塔」の撮影につかわれているおしゃれな建物です。(わたしの出産時は工事中でした。)
「花とステンドグラスのある街」こんなキャッチフレーズがあったのだと今更知る。子どもの頃、親に連れられて商店街で買い物をしていたんですよね。右の建物はさいか屋だった。わたしが成人した頃には一階に「コムサ」があって。
銀杏がいっぱい。川崎の街。
川治屋。美食家の父は魚を丸ごと買ってよくさばいていた。母は魚の調理を嫌っていたけれど、なんだかんだでよく魚料理を作ってくれた。子どもの頃のほうがきれいにお魚を食べていたかもしれないな。
商店街で店の宣伝。手作り感がたまらなく好き。
商店街の放送で宣伝していた店からの眺め。おいしくいただきました。で、歩いていると気がつかなかったけれど、ちゃんとステンドグラスらしきものを発見!
最近では、川崎ハロウィンパレードが行われるようになりましたが、チネチッタができた当時はおしゃれなデートスポットでした。イタリアの街並みを模したとされています。ここであきるほど洋画をみました。
福山雅治が写真展をやっていたんですよね。ファンではありませんでしたが、横浜に住むバイトの娘さんも「川崎に遊びに行く」とか言っていたな。川崎がおしゃれな街として認識されはじめた頃だったのだと思う。2000年代前半かな?
螺旋状の道の上のほうにはちょっとしたチャペルもあります。
このあたりにいたときに噴水ショーがはじまりました。上からみるとちょっと「しょぼい」のですが、近くで夜イルミネーション付きでみるといいかも。オペラ風の音楽とともに噴水が出るショーでした。
チネチッタにきてやたらと写真をとっていました。どれだけチネチッタに思い入れがあるんだか(笑)
オープンしてからずいぶん時間が経っていて、なつかしくて不思議な感覚になります。あくまでも美観を大切にしてほしいので安易なイラストとのコラボは反対!(アニメ絵ののぼりをみかけました)ノスタルジックなイタリア幻想に浸れる地域であってほしいのです。
チネチッタを撮っていたら、電池残量が少なくなる。駅と反対側に行くと、旧東海道や川崎市民病院とか郵便局沿いの道(箱根駅伝で通る道)があります。その道沿いに駅方向に歩いていくと稲毛神社があります。(画像なくてすみません)
稲毛神社は銀杏の見ごろ。もう葉が大方おちていて、すっかり冬。
対人のところに「年下に頼られる」とあったのですが、占いというより予告。(今週日曜日、若干頼りない年下のパイセンと仕事をします、汗)
そういえば、今年はいろいろな変化があったのだけれど、挨拶にいけていなかった「川崎」の街。銀杏の葉が見ごろのうちにくればよかったな。わたしは元気です。土地にはかみさまみたいなものがあるような気がして。お世話になった川崎という街に挨拶した小旅行でした。