バンド少年。
1981年の11月はアリスが解散するっていうそのことで頭がいっぱいでした。たぶん。のちに「解散コンサートの後楽園は寒かった」なんて現地でそれを見届けた友だちにも出会うわけですが、地方在住の中学3年生にはなすすべもなく。
その頃なんの音楽を聴いていたのか、あんまりよく覚えていない。まあ受験とかあったけど、野心もなんもなく地元の学校に行くんだと思っていたし、何も考えてなかったんでしょうね、たぶん。
だから寺尾聰が81年に流行った、と言われてもピンとこない。僕にとっては翌年なんです。82年。当時はそれくらいのタイムラグふつうだった。もちろん興味ある対象は限りなくリアルタイムだったけど、それ以外は緩やかに伝来してくる感じ。メディアも限られていたし。で、その82年、高一の夏休み、同級生が突然「おい、宿題一緒にやろうぜ」ってやってきて、「これ聴こうぜ」ってうちのステレオで爆音で「reflections」をかけて、宿題やらずに帰って行った(笑)。なんだったんだか^ ^。その時初めて聴いたハバナエクスプレスはインパクトありましたねえ。彼はテープ持ってきて持って帰ったから僕は記憶だけで長いことそのフレーズを追いかけていました。レコード手に入れたのは大学時代だったかな。
ライヴ盤も買った気がするけどどこいったかなあ。好きだったんだけど、とにかくキーが合わないからコピー出来なかったですね。今さんのフレーズ弾けるわけもなかったし、あのキラキラした音どうやって出すのかわからないしで早々に聴くだけになりました。
今週の木曜日にNHKで放送された寺尾聰の特番。
「バンド少年のなれの果て」というサブタイトルがまたバンド少年の心をくすぐるじゃないですか。寺尾さん、なんと御年77歳。さすがに歌うのも決して楽ではないでしょうけど、それでもすごかった。ルビーの指輪の頃の井上鑑はじめとしたバンド。後半は自らベースを弾いてまさにバンド少年的な演奏シーンも。こちらにはichiro氏がいましたね。オリジナルに加え、カヴァーも織り交ぜながら、さらには来し方を語りながらの45分、相変わらずというか、この人の「品のある感じ」を楽しめる番組でした。
トークの中で、お父さんの宇野重吉さんが亡くなった時、一年先の予定を入れていたことを知って、自分もそういう生き方をしたいと思ったって話は、ちょっと胸を打たれる感じでした。
前エントリの奥田民生本でも語られているけど、この歳になると「残り時間」とか「カウントダウン」とかいう言葉がどうも頭から離れないんですね。奥田民生はだからこそムダを嫌うって語っていたけど。年齢にとらわれず行きたいなあ。寺尾さんの境地に行けるか。そのためには健康でないと…なんて思うところがダメですねえ(苦笑)。
再放送が18日月曜日にあるようです。見逃した方ぜひどうぞ^ ^