自分が大丈夫≠みんなも大丈夫
君はまだおなかがケニアになれていないから、ウガリはあまり食べられないよね?お米とパンを食べなさい。あと卵かな。水はお店で買ったものを飲みなさい。水道水は絶対に沸かさなくてはいけないよ。牛乳も一度沸かしてから飲むんだよ。
任地訪問したときに配属先の人が言ってくれました。
語学学校の先生も、外国人が、ケニアで生きていく知恵を授けてくれます。
思い返してみればタイに行った時も、君たちは氷食べたらおなか壊すんだっけね、水いるよね、買いに行こう。と。
自分たちが当たり前のように暮らしている環境で、客人はきついかも、気にかけてあげなきゃと思えるのはすごいことだと思います。普段自分たちが気にしないところに意識を回すのって、ふつうはできないことだと思うのね。少なくとも私は得意ではない。
日本の「私がこれだけ頑張っているんだからあなたも頑張れるでしょ」という風潮、良くないと思います。そこまで強要しているわけではなくても、「私が平気なんだからきっとあなたも平気なのに」と思ってイライラしたり、私はしてしまうんです。でも他人と自分では大事にすることも、逆にそのために犠牲にすることも、許容できることも、気になることも全部全部違うんですよね。何にお金をかけたいのか、何は節約するのかも、いつ他人と一緒にいたくて、いついたくないのかも、全部全部。それを「なんで?」と考えてもしょうがなくて、そんな理由なんて人の数ほどあって、違う人だから違うんだと受け入れられないと自分も他人も苦しくなるばかり。
頭ではわかっていても、なかなかそれを心から受け入れるのって難しいなと、各任地での家選びに関する話をしながら思う、今日この頃です。
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