「泊まれる出版社」を立ち上げた夫婦が、建築家との協働の先に見つけた価値と自信
神奈川県真鶴町──。神奈川県で唯一の過疎化地域とされるその町に、出版事務所を併設したユニークな宿がある。
宿泊とセットで提供されているまち歩きツアーで真鶴の魅力に触れ、それをきっかけに移住した人も40名を超えるそうだ。
若手建築家ユニット、トミトアーキテクチャ(以下、トミト)が設計した「真鶴出版2号店」の建築は、若手建築家の登竜門ともされるコンテスト、SDレビュー2017に入選し建築界でも注目を集めた。
地域の暮らしに新たな影響を生み出すプロジェクトを讃えるROCAL REPUBLIC AWARD2019では大賞を受賞している。
古くからの景観を守るために制定された真鶴町独自の条例、「美の基準」を深く読み解いて設計された建築は、室内にいながら真鶴の町に佇んでいるような、町と地続きの空間が実現されている。
竣工当時、施主も建築家も30歳前後という若いチームで進められた設計は、事業としての「真鶴出版」にとってどのようなプロジェクトになったのか。
建築家が関わることによって生み出された効果や影響について、真鶴出版を運営されているご夫婦、川口さんと來住さんにお話を伺った。
真鶴出版の川口瞬さん(左)と來住友美さん(右) ©加瀬健太郎
真鶴出版2号店(左)へと続く路地
坂の多い真鶴町では、町の至る所から海を見下ろすことができる
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──ずっと泊まってみたいと思っていたので、ようやく念願叶いました。「泊まれる出版社」というコンセプトがとても面白いですよね。単に旅行者として宿泊するだけではわからない、真鶴の魅力に触れられる場なんだというイメージを真っ直ぐに伝えていると思います。「泊まれる出版社」のコンセプトや、まち歩きツアーをセットにしたプランなどは最初から決めていたんですか?
川口:最初は出版と宿泊は別々のものとして考えていて、いまみたいにひとつのプロジェクトとして合致するとは思っていませんでしたね。僕は元々編集をやっていたので出版業をやりたくて、真鶴の魅力を伝えていきたいという思いから「真鶴出版」というネーミングを先に決めたんです。その後に宿の名前を考えていたときに、いくつか候補があがったなかで屋号を「真鶴出版」にすると「泊まれる出版社」というコンセプトになってキャッチーでいいね、という話になって軽い気持ちで決めました。
來住:宿の方もまずできることからやってみようと、自宅の一部屋を宿泊客に貸し出すことからはじめました。最初はなかなかお客さんも来なかったんですが、ネットで見つけてくれた海外からの旅行者の方が泊まってくれることが多くなって。真鶴のお店だと英語のメニューとかもないので、通訳も兼ねて町を案内するようになったのがツアーのきっかけでした。
川口:結果的にいま出版の事務所と宿を併設するかたちになって、最初に掲げたコンセプトを体現している感じですね。実際に来てもらって真鶴の町や人と宿泊客をつなぐことと、出版業で真鶴の魅力を発信することは、どちらもやろうとしていることは同じだと考えています。
背戸道(せとみち)と呼ばれる狭い路地。來住さんによるツアーでは、「さわれる花」「実のなる木」など「美の基準」に掲載されている真鶴ならではの事例を紹介してもらいながら町を散策できる
商店街のおすすめのお店の紹介や、偶然の人との出会いを通して真鶴での生活が想像できるツアーにもなっている
──自宅の一室を貸し出していた1号店から、出版の事務所兼宿として独立させた2号店に移転したのが大きな転機ですよね。2号店の設計をトミトに依頼した経緯を教えて下さい。
來住:リノベーションということもあって、当初は自分たちでDIYすることも検討していました。ただ知識もスキルもないので、もしどなたかにお願いするなら自分たちと同じ目線で考えてくれる、若い方がいいなと漠然と考えてましたね。
川口:発注者と受注者、のように明確に立場が分かれる関係には違和感があって。普段本をつくるときでも、デザイナーさんやイラストレーターさんは大御所ではなく世代の近い方と一緒に考える関係をつくっています。家づくりでもそれと同じなんじゃないかなと。
──リノベーション会社など、会社として請け負っているところではなく、個人で活動している建築家に依頼したいというこだわりは最初からあったんですか?
川口:ゲストハウスの設計をたくさん手掛けているmedicala(メヂカラ)さんの存在が大きいかもしれません。いい雰囲気だな、と思うゲストハウスは大体medicalaさんが関わっていて。実際に泊まりに行って空間も体感したりしました。それもあって建築家の方にお願いするということに抵抗はありませんでしたね。
來住:わたし達のなかで、真鶴といえば小松石、みたいなイメージもあったので、自然素材や古材なんかも取り入れて、真鶴の町に馴染むような建築ができればいいなと思っていて。でも普段なかなか建築家に会う機会もないですし、どんな人がいるかもよく知らない。それで建築家探しは難航してたんです。そんな時に、以前真鶴出版のことも取り上げていただいたウェブマガジンのcolocalの「リノベのススメ」というコラムを読んでいて、ふと(真鶴出版と同じ)神奈川県の事例も探してみようと調べてみたらトミトのことが出てきて。
真鶴の特産、小松石が積まれた石垣。隙間が生まれやすく、植物の繁殖に適しているという
川口:記事を読んで、トミトの設計への取り組み方にも共感しましたし、歳が近いこともあってまさに探していた人が見つかったという感じでした。
來住:ちょうどトミトが設計したシェアハウスCasacoでのイベントにおふたりが登壇される日があったのでご挨拶して、一度真鶴に来ていただけることになって。そこからはトントン拍子で話が進んでいきました。
──先日発行された『小さな泊まれる出版社』にも設計のプロセスが詳しく書かれていますね。実際に設計を経験してみて、トミトに依頼した効果をどんなところに感じますか?
來住:自分達では絶対に思いつけないプランになったのは当然あるんですが。そのためのプロセスとして、わたし達の意見をそのまま反映するのではなく、深く掘り下げて本質的な思いを汲み取ってくれました。たとえば、「オフィスと物販の機能を宿に同居させて欲しい」という私たちのお願いに対して、トミトは「ホストとゲストの関係性が曖昧な空間になったらいいんじゃないか」と提案してくれました。真鶴は小さな町ということもあって、買い物するときでもお店の人とお話しが弾んだり、お客さんがお店のお手伝いをはじめて、誰がお店の人だかわからないみたいな、曖昧な関係性が心地いいんです。トミトにも町を案内しながらそんな真鶴を体験してもらいました。トミトはそんな真鶴での体験を一度抽象化して、実際の空間に反映できる要素に変換してくれたんです。最終的に1階のリビングは、できる限り明確な境界線は設けずに、少しずつ高さが違う3つのエリアに分かれたひとつの大きな空間になりました。同じ空間にいるけど視線が交わらないようにすることで、異なる機能が違和感なく同居するようになったと思います。
1階エントランスには物販コーナーが設けられている。外を歩く人の生活が伺えるほど大きな窓は、解体された近隣の郵便局から譲り受けたもの
川口:最初のうちは、部屋数などの条件や、真鶴のまちづくり条例である「美の基準」に則ったデザインにしてほしい、など簡単な要望だけお伝えしました。それに対する提案をかたちとして見せていただくことで、自分たちが本当に大切にしたいことはなんなのか、明確になっていったと思います。設計期間は本当に楽しかったですね。その代わり工事期間は大変でしたが……(笑)。
來住:真鶴の町並みに感じる魅力も、設計に取り込むにあたって抽象化して再解釈されていました。「背戸道が連なる風景」を、「いろんな要素がヒエラルキーなく複雑に混在する状態」と定義し直して、実際の空間に落とし込んでいく。そうやって物事を深く掘り下げて思考される様子にはいつも驚かされました。
川口:個々のデザインを町全体、社会全体の背景を踏まえて決定していくプロセスに立ち会えたことは、出版事業にとっても良い経験になったと感じます。放っておくといろんな事が流れていってしまうなかで、一つひとつの事象の意味をきちんと考えたり、社会的な背景とつなげて考えることの大切さを改めて実感しました。結果的に同じアウトプットになったとしても、説得力が全然違いますから。
1階リビング。家具や雑貨は1つ1つ選び抜かれ、多様性が生まれている
來住:わたし達のこれまでの活動を、建築としてパッケージングすることで、足元を固めて次に進めたと感じています。LOCAL REPUBLIC AWARDという賞に応募する際、トミトのおふたりとプレゼンテーションを作ったんですが、真鶴出版の活動を社会的に定義づけていただいたことで、自分たちの小さな活動が体系化されて社会に接続されて、改めてその価値を認識できました。結果的に大賞をいただいたこともあって、『小さな泊まれる出版社』をつくるうえでも、自信をもって取り組めましたね。
──それは大きな経験ですね。建築のプロとお仕事をしたことで、町や建築に対する意識はどのように変わりましたか?
來住:町を見る解像度が大きく変わりました。それまでは建物を見ても新しいか古いか、くらいしかわからなかったんですけど、町の構造がどう成り立っていて、だからこういうかたちになってるんだな、とか思うようになりましたね。
川口:出版業界で仕事をしていると、なんとなく「建築ジャンル」なる分野があって面白いらしい、というのは耳に入ってくるんですよ。その面白さが少しわかるようになりました。
──真鶴出版の宿泊者に提供されている真鶴のまち歩きツアーにも反映されていますか?
來住:ツアー自体は設計の前後で内容は変わっていないですね。ただ、真鶴出版の建物を、「ツアーの出発点であり終着点」としてトミトが定義づけてくれたんです。わたしたちが真鶴の町並みに感じた魅力を反映してデザインされている建物が起点になっていることで、町歩きの前後で建物の見え方も変わっているんじゃないかなと期待しています。実際、ツアーが終わったあとに建物についてとか、真鶴の町についていろいろ質問してくださる方は多くいらっしゃいますね。
川口:建築のメディアにも取り上げていただいたことで、建築関係の方に来ていただくことも多いです。注目する所が他のお客さんと違うので、すぐわかりますね。
2階宿泊室。元々の不整形な形状を生かして机やベッドが配置されている。机上には川口さん選定の書籍が並ぶ
──真鶴出版の建築がきっかけとなって、真鶴に良い建築が増えていくといいですね。これだけ真鶴のことを深くリサーチして誠実に向き合ったトミトが、今度はリノベーションではなく新築物件を手掛けたら面白い建物になりそうだと期待してしまいます。
來住:本当にそう思います。移住して真鶴でお店をはじめられる方もいらっしゃって、相談を受けることもあるんです。トミトのこともご紹介したりするので、いつか実を結んだらいいなと思ってます。
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「真鶴出版2号店」の設計・建設プロセスについては『小さな泊まれる出版社』に詳しいのでそちらもぜひご参考ください!
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