(作法)空虚感と戦う
SNSが発展していいこともあるけど、同時に生きづらくもなっているんだろうなとも感じている。
いつ頃だろう?何者かにならなきゃという雰囲気が漂い始めたのは。
私が高校の時とかは情報がそこまで入んなくて、あくまでもドラマはドラマで現実は現実で、ただ自分がやりたいとか思ったことだけしか考えていなかった。
良くも悪くも卒業した仲間が何をやっているかなんて情報が入りにくく、こっちは自分の好きなコミュニティーにしか属していないから、比較がしにくかった。
でも今は常に情報が入ってくるし、身近な充実話も入りやすいし、後々話したい大ボスの「承認欲求」という呪縛から人は抜け出せないと思っているから、辛いよね。
さて、空虚感ってなんか突然襲ってくるような気がする。
何かふと張り詰めた気持ちが緩んだ時とか、たまに今でも襲ってくる。
空回りした時とか、頑張りすぎてふと我に帰った時とか、起こりやすいかもね。
多忙な時とかどうしても強いストレスがかかるときって状況によっては避けられないこともある。
個人的には、生きていく上で大事なのはすべて「心」の操縦によって変わってくるんじゃないかと最近思っている。
ネガティブな側面って実は裏側にはポディシブがあると思っている。
なにもない。ということはなんにでもなれるかもしれない。
どこにフォーカスしていくかで捉え方が変わっていく。
過去はすでになく、未来もまだわからない。その未知な状態で今にフォーカスしていくこと。その今の連続で未来の「今」ができる。
そういえば、高校生の時に夏休みとかの連休にはペンキ屋でバイトしてお金貯めたりしてたんだけど、地元の同級生の仲間も結構な人数働いていて、現場で友達数人で作業することも多かった。
案の定、親方の目を盗んで悪ふざけしだすんだけど、さんざん友達がふざけた後に、俺も真似してふざけはじめたところでよく見つかった。
今思えば、自分でもタイミングとか考えてないのかと思うけど、とにかく要領が悪くて、よく怒られていた。俺とは対象的に0氏という彼はとにかく要領がよく、恋愛でもよくやっつけられていた。その時、悟った。俺はそういう星の下に生まれたんだって。
きっと、何をやっても評価されないんだと。だから、ズルするのをやめた。勿論、要領が悪いから評価もされない。でも、しょうがない、そういう星の下に生まれてしまったんだから。
それから、1年くらいたって親方に言われた。お前が一番信用できると。
そして、O氏は要領がいいだけに本質的な努力の必要性を感じてないから、社会人になってそこそこ苦労していた。
話が逸れたけど、空虚感って、気合に対しておもうような結果が出ていないとかのギャップでも感じる気がする。その場合、そもそもそんなかんたんに結果がでると思っているのが間違いで、なるほど、次はもう少しこうしてみようなど目を改善にむけてみたりするのはどうだろうか。
あとは、そもそも空っぽと感じても「どうせもともと0(ゼロ)だから」と思うようにしている。今まで手にしてきたものって実は、そこまで重要じゃなかったケースも多いし、失ってもどうにかなることも多い。それよりも自分に時間と緩さを与えて優しく接してあげることも大事だと思う。
あと、他人との比較で空虚感を感じるのであれば、そんなに貴方のこと見てませんよって言いたい。たまたまその比較の人たちが運がいいだけのこともあるし、まったくこの先どうなるかなんてわからない。
解剖学者の養老孟司さんが言っていたけど昔は学校で嫌なこととかあったりしても、自然が身近だったから、そこにいくことで一人でも川のせせらぎとか聞いて心を落ち着かせたりできたって言ってた。
嘘と思うかも知れないけど、自然の中での散歩は本当に効果あると思う。
気持ちいい風を感じて、花を見てきれいだなと眺め、川のせせらぎを聞いて癒やされたり、適度な肉体疲労を感じることは心身にとてもいいらしい。
忙しい時とかストレスが多かった時期はそんなに思えなかったりしたけど、本来上記のように自然を感じれる状態が正常なんだと思う。
人生焦らず、太陽の下で自然に触れ合って、自分の不完全さを抱きしめてほしい。
いつか気持ちのいい朝がやってくるサ。