どこに向かって走るのか、 それが何より重要で、 目的地も大切、けどそれプラス どうしてそこに向かうことにしたのか、 どうやってそこまでたどり着くのか。 それがないと走り出せないの。 ここで生きるにはノイズがとてもうるさくて。 本当は興味なんてないくせに、興味のあるふりして根掘り葉掘り。 またほかのだれかとの話題にされるだけ。 今はそれがとっても苦しくて、 その苦しさに 自分の感覚やゆっくり息をしてゆっくり周りを見渡す余裕さえなくて、 それなのに時間は着々と進んでいく。
私の「好き」は、気づいたときにはもう自分への呪いだから、
振ると、からからと音を立てそうな私、 中身の詰まっていない、あるとすれば安っぽいプライドと どこから湧くもわからない妙な人生への自信、というのか、どうにかなるという青い考え、が、飛び跳ねると、いっちょ前に健康な骨と肉のカンカンの中でからからと音を立てて踊りだしそう 何も詰まっていないのに、演じることだけは上手で、 小さいころからそれだけを頼りにして生きてきた あ、あとは観察力なのかな、 こうすれば相手を喜ばせることが出来る、評価される、 反感を買う、嫉妬を買う、 良く
”みらい”の話をしよう、 他でもないわたしの、わたしたちの。 「いきる」ということを 生きる というと今まではとっても大きく感じていた わたしには向いていない、と いつだって”今”に不安があってこわくて、こわくて、 こわくて。 未来って、その”今”が続くことでしょう? 考えるだけで、 足がすくむし、心臓がきゅぅとする。 その感覚でさえ、生きているからなのだけれど。 自分は、ほかの人の感情を受け取りやすいほうだ、 それは意図的ではないし、無意識的だし、感覚的な話になって
夢を見ている、 ずっと、 そんな気がする。 現実逃避のような、いや、 それとも、長い白昼夢のような、 そんな日々 現実ではないとわかっていて 断片的なもの 現実にはいずれ戻ってしまう 幻想のような、 でも確実に「私」になっている日々、 予期せずに、予測できずに 涙が出そうになることもあったり、 自分へのにくい部分なんて棚に上げて フワフワして でも罪悪感なんてなくて いや、 たまにあったり、 愛が深くて ふかふかで、 将来とか、未来とか どうでもよくて 今のこの夢
#ファッション #ファストファッション #古着 留学を機に、手持ちの服を見直した。 一時期話題になった『こんまり式』を脳内フォルダから引っ張り出し、少し意識して、ときめくか、ときめかないか、 その『ときめく』の基準はほかの誰でも、流行りでもなく、自分軸のものか、自分の『表したい自分』になってくれるか、 結果、半分以上の服を手放して、リサイクルに出すことにした。 ファッション業界の実情を学んでから、新品の服を買うこと、特にファストファッションに抵抗があった。まあ正しくは、い