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ナイトクラブとゲイ友と幽霊👻80'sマンハッタン生活 #マンハッタンのクラブライフ

私は還暦を過ぎた今でも現役のクラバーである。
純粋に音楽を楽しんで踊るクラバーである。
好きな海外DJが来ると、次の日朝から仕事でも必ず踊りに行く。
昔から友人知人はクラブDJが多い。

ニューヨークに住みたかった最大要因は、マンハッタンのナイトクラブで踊りたかったからだ。

私はもともと洋楽が好きだったが、15歳の時にディスコデビューしてから踊ることが大好きになった。と言っても、バブル時代のジュリアナやマハラジャで扇子持って踊っているような踊りではない。

80年代、六本木の飯倉片町交差点近くにあった「CLEO PALAZZI」は、客の半分以上が外人で、モデルなども多かった。当時はまだディスコと呼んでいたが、狭く薄暗く外人と遊び人しか来ないようなクラブだ。

DJの選曲もロックやニューウェーブの他、日本のディスコではかからないような曲ばかりだった。ダンスフロアーは狭かったが、皆、音に入って踊っていた。

日本のディスコ特有の、輪になったり、同じ踊りをしたり、扇子持ったり、騒ぐようなのは好きではなかった。

日本在住の外国人もそれが合わないから、ここに来ていたのだろう。他に「TOKIO」など外人が多い店もあったが、私は「CLEO PALAZZI」が一番性に合った。

80年代中盤にあったクラブ

「Paradise Garage」「Boy Bar」「Area」「Pyramid Club」「Palladium」「Milk Bar」「Tunnel」「Save The Robots」「Trucks」「The World」「Nells」「Dance Teria」

どれも当時よく行ったクラブだ。もちろん40年も前のことなので現在はどのクラブも消滅している。

中には観光客が来ないクラブも多く、日本人は全く見かけない店も多い。

「Dance Teria」はニューヨークに着いて初めて行ったクラブだ。
マドンナを発掘したマーク・カミンズがDJだった。4階建てで、いろんなタイプのフロアーがあってウロウロするのが楽しかった。ここでは、クイーンズ在住の年下の日本人グッドルッキングガイに私から告白して付き合いだした甘い思い出もある。

「Paradise Garage」は、現代のDJ達にもお馴染みのクラブだ。黒人ゲイ専門のディスコであり、ハウスミュージックの伝説的なDJ、ラリー・レヴァンがプレイしていた。ラリーがプレイする時には、一緒に行っていたマークが「今ラリーだよ!」と教えてくれた。ラリーがかける曲で一番好きだったのは「Ralphi Rosario feat Xavier Gold」。

ハウスミュージックに感動したのは、その鼓動だった。「Paradise Garage」では、ドンドンドンドンといわゆる4つ打ちの大音響が五臓六腑に響いた。パワフルでむちゃくちゃかっこいいと思った。

そのハウスは40年経った今でも変化し続け、音楽のジャンルとしてしっかり根付いているのは嬉しいことだ。

「Save The Robots」は、知る人ぞ知る超アンダーグラウンドのアフターアワー・クラブで、入口は何も書いていないただの鉄のドアだった。ドアをノックすると中から鍵を開けてもらって入る。他のクラブで遊んだ後、午前4時過ぎから行く店で、ここでは説明できないが飛んでるクレイジーな店だった。

「Nells」は観光客もほぼ来ない、coolな遊び人が集まるお気に入りの箱だった。

250人収容のこじんまりしたクラブで、Rocky Horror Picture ShowのNell Campbellの店。Andy Warhol, Jean-Michel Basquiat, Keith Haring,Debbie Harry, Princeなど、アート界、作家、音楽界や映画界などの有名人達が遊んでたようなクラブだった。(もちろん「Palladium」や「Tunnel」なども超有名人が遊んでいたクラブはたくさんあったが)
有名人は水曜日に集まるのでストリートにリムジンがズラーーーと並ぶ。

若かりし頃のLaurent Garnierもここでプレイしたことがあると自伝にあった。

水曜日以外でも、この店のドアマンのチェックは厳しい。
ファッションだけではなく、店に合わない客は何時間待っても絶対入れない。いつも20人近くがロープバリアの向こうで待たされていた。(TunnelやPalladium、Paradise Garageなどデカい箱はそれほど厳しくはなかったけど)
「Nells」は大好きな店だったので、当時の親友、ユミちゃんと一緒だったり、一人でも毎週1、2度通っていて、ドアマンは顔パスで入れてくれた。

世界最大の放送局ABCの番組ディレクターの子にナンパされ(背が高くて結構なイケメンだった)一度だけデートしたが、やはり言葉の問題で面倒になりやめた。今思えば勿体無いことをした。

まだまだ、クラブの話になるとキリがない。
昔々の話ではあるが、私の人生の一番楽しかった時期なので、記憶は深い。


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