自我の居場所
3年前に今の師匠に出会って「自我の崩壊」を経験した。
「真理の探究」をテーマに精神世界の本を読みまくり、これはと思う人のセミナーに行き、ワークをし、グッズを買いまくって試し、それまで信じ切っていたもの、人よりたくさん勉強して自信をもっていたもの、仕事にして人に教えていたもの全て、全てを土台からひっくり返された。全否定であった。
よく「自我つまりエゴが落ちる」=覚醒として、得も言われぬ快感、愛しかない世界の体験。などの話を聞くが、私の場合は本当に何もない草一本生えていない果てしなく広い荒野にたった1人で放りだされたような気持になった。しかしそれは一種の快感でもあった。
なぜなら、探求すればするほどぶつかる、解決しない疑問や微かな違和感にアッサリ答えが出たからである。
それから「おもしろい」と思うものが無くなって行き、会いたい人が減って行き、欲しいものが無くなっていった。
毎月1度のセミナーで聴く師匠の話だけが唯一「おもしろい」と思えるものになった。こう書くと「え?洗脳?依存?」と言われそうだが、決してそういう意味ではない。私の長年の数々の疑問にサクサク答えがでる唯一の時間だからである。
師匠とは個人的な話をしたことはほとんどないのだが、そこはエネルギーで全部バレていたらしく、先日「ロニさんは、へんてこりんな登り口から虚無に行きついちゃった人だから、もう少し現実的な欲で人生回してもいいんだけど、モチベーションがかからなくてやっかいな人ではある」と言われて心底驚いた。そうか「虚無」だったんだ。私が今いるところは。。。
何かやりがいのあるものを見つけなくては!と焦っていたところだったので
「もうしばらく虚無を熟成させてください。今のところは現状維持でいいかな」と言われて気が楽になった。
この境地は人には説明できない。夢も希望もないが心は落ち着いていて絶望はない。
ところで最近Twitterで遊んでもらってる山田さんの「自我がどこにあるか」という話がツボにはまった。自我の在り場所。私の新しい自我の居場所。
それを定めるための日々にしようと思っている。