番外編 孔子とその弟子(顔回)
みなさんには、「師匠」と呼べる人はこれまでに何人いたでしょうか?
人でも、自然でも、動物でも、その時に気がつけば、みな我が師なわけですが。
それでも、人の師匠があると、自分の核を作り独り立ちできるまでの、道先案内人となり、師匠は、自分の人生において、かけがえのないものとなるのですね。
孔子には、3000人弟子がいたと言われています。電気どころか、本や紙すらも無い時代に3000人もいたとはすごいことです。その中で、孔子が彼は素晴らしいといった弟子は、顔淵(顔回)という人でした。顔淵は、孔子のことをこう言っています。
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顔淵は、大きなため息をついていった。
孔子はを仰ぎ見れば見るほどますます高く、堅い岩石に穴を開けようと切り込めばますます堅くとても及ばない。(中略)
先生は、順序を踏んで私たちを教導してくださる。学芸をもって私たちの知識を広めてくださり、その帰納・要約として礼儀を教えてくださる。学問をやめようと思うことがあっても、(先生の魅力に触れると)やめることができない。
しかし、私は自分のすべてを傾けて学び実践してきたので、先生のあり方がしっかりと眼前に立って見える感じがある。
それで従ってゆけば良いのであるが、そうかと言って先生にとても及びつくことがない。
(子罕第九の十一)
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さらに、孔子が顔淵(顔回)について、こういっています。
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先生がおっしゃった。
しかと話をして、その内容を実践して怠らなかったのは、弟子の中でおそらく、回(顔淵)だけであろう。
(子罕第九の二十)
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師弟関係が素晴らしいものですね。