東京のスイッチを入れた日

「引越し」という言葉は、どこか現実から逃げるための魔法の呪文のような気がする。特に、それが若者にとっての上京の引越しとなると、その魔法の力は一層強まる。僕がその呪文を唱えたのは、ちょうど父と別れる前日だった。父は不安そうな顔で荷作りを進める僕を見つめていたが、僕は必死で前を見ていた。どうしても視線を合わせたくなかったからだ。

東京のアパートに到着するや否や、僕は「便利さ」と「孤独」の二重奏を体験することになった。便利な電車、数多くのレストラン、そして24時間スーパー。地元にはなかった便利さがそこにはあった。しかし、その便利さの中に潜む「何かが足りない感」は、しっかりと僕に存在を主張していた。まるで、自動ドアの向こうに見える「人生のエッセンス」が取り払われたような感じだ。

一人暮らしが始まると、すぐに水道光熱費が僕の財布に突き刺さるように感じられた。電気代、ガス代、水道代、まるでリストの中の数字たちが突然増殖し始めたかのように。その合計額を見た瞬間、僕は思わず口から「うそだろ?」と声を漏らしてしまった。ああ、これが東京の洗礼かと納得しながらも、どこかで「父がいればなぁ」と思ってしまうのだった。

引越しの前夜、父が言っていた言葉が頭の中で繰り返し流れていた。
「東京での一人暮らしは便利だが、大変だ」と。あの時は半分にらんでいた言葉が、今になってじわじわと実感として身に染みてきた。便利さというのは確かにありがたいが、その背後には「手に入れるもの」と「失うもの」のバランスが存在するのだと。

ある晩、アパートの窓から街の灯りを眺めながら、僕はふと気づいた。父との別れの日が、僕に何かを教えていたのだ。あの瞬間、父が言葉にしていた「便利さ」と「寂しさ」、その間にある微妙なバランスが僕にとって重要だと知ることになった。便利さだけがすべてではなく、家族や愛情、そして「心の温もり」といったものがどれほど大切かということだ。

東京の街はどこまでも続いているようで、僕はその中で小さな一つのピースとして存在している。便利さに囲まれていると、ついついその「何かが足りない感」を忘れてしまいそうになる。しかし、たまに思い出すことが大切なのだ。父との別れの日が示していたように、僕がどこにいるかよりも、何を感じ、どう過ごすかが大切なのだと。

結局、東京の生活は僕に「便利さ」と「孤独」、その間にある「足りないもの」を教えてくれた。そしてそのすべてが、僕にとっての大切な学びとなった。水道光熱費の高さは、ただの通過点に過ぎない。それが僕の成長の一部であり、東京での一人暮らしが僕に与えた新たな課題であったのだ。

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