【現代ホラー異聞録 山神の血印 ~おはなしの集う山~】(10話目/全10話)
狭間
石原は一ヶ月ほど入院した。退院後は仕事を辞めて実家へ戻った。
できれば地元から離れたかったが、右腕の義手が出来るまでは家にいなさいと母親が譲らず、勝手にアパートも解約されてしまった。
石原は、周りからは精神を病んで自傷をしたと思われていた。
ありのままを説明したら精神病院にでも放り込まれそうな気がして怖かった石原は、仕事のストレスでちょっとおかしくなったみたいだ、と話を合わせた。
怪我の痛みで正気に返ったからもう大丈夫だとも言ったが、入院中は何度もカウンセリングや心理テストのようなものを受けさせられてうんざりした。退院後も心療内科への通院を厳命されるはめになった。
こんな状態で地元に帰れば面白おかしく噂のネタにされそうで嫌だったが、地元は六山一家の失踪事件で大騒ぎだった。
母親が仕入れてきた噂によると、一家と最後に会っていたのは萩沢だったらしい。萩沢は警察での事情聴取で、何も知らないの一点張りだったようだ。
一度、病室にやってきた警察官から、勇郎の行方を知らないかと聞かれた。
釣りをして家に帰ったのを見届けた後は知らないと答えた。交友関係や恋人の有無も聞かれたが、知らないと答えた。後ろめたさはあったが、本当に見たことを言っても信用されないと思った。
実家に戻った時、周囲には不注意で怪我をした事にしようと母親に言われた。その通りに振る舞ったら、近所の人からはお気の毒さま程度のことを言われるだけで済んだ。
しばらくの間はどこへ行くにも母親がついて来て息が抜けなかったが、心配をかけた罰だと思って我慢した。
退院から二週間程経った頃、萩沢が見舞いに来た。
石原がリビングでぼんやり映画を見ていたらインターホンが鳴り、応対に出た母親と話す萩沢の声が聞こえてきた。
「以前、六山勇郎君から旭君が酷く悩んでいるらしいと聞いていましてね。それで気になっていた折に酷い怪我をされたようだと聞きまして。塞ぎ込んでいるのではないかと心配になりましてね。おせっかいかとは思いましたがお見舞いに伺った次第です」
「まあ、ありがとうございます、わざわざご足労頂いて。ですがもうだいぶ良くなっておりますので」
そっと玄関を覗くと萩沢と目が合った。
今日は頭にタオルは無く、わりときれいな作務衣を着ていた。
「やあ、旭君。体調はどうだ? 近いうちに気晴らしと体力作りを兼ねてうちに遊びにきなさい。家に篭ってばかりでは体に良くない」
「はあ、どうも」
言いたい事も聞きたい事も山程あるが、母親の前で出来る話ではない。
曖昧に答えると、萩沢は見舞いの品だという包みを石原に押しつけた。
「たいしたものではないが、先代から教わったよもぎ団子だ。悪い運気を払うという謂れもあるから食べなさい。では、お邪魔しました」
萩沢はそれだけで帰っていった。
「無愛想な人だと思ってたけど、親切ねえ。そういえば小さい頃は勇郎くんと一緒によくあちらのお山に遊びに行ってたねえ」
母親は不出来な息子を気にかけてもらったのが嬉しいのか、お茶にしましょうか、と機嫌よく団子の包みを石原の手から取り上げてキッチンへ向かった。
石原は、あんな変な男の作った物を食べてまた変な事にならないか心配した。だが、結果的には助けてもらった相手だ。命に関わることはないだろう。
今はまだ気が進まないが、怪我が良くなって気が向いたら萩沢に話を聞いてみようかと思う事はある。
あの時、自分を助けたのは六山勇郎だったのか。
あの化け物はなんだったのか。
そしてあの奇妙な犬達の事や、自分の身に起こった事の説明もして欲しい。
しかし、六山が言っていた言葉がどうしても引っかかっている。
『何が原因でどういう理屈でそういう事になってるのかを説明されて理解しちゃったらもうそっちの世界が現実になる』
石原はまだ一連の出来事を受け入れかねていた。
もう萩沢とは関わらず、悪夢だったと思っておしまいにした方がいいかもしれない。
しかし、あの出来事を夢だとすれば、自分は今後、心を病んで自分の手を切り落とした異常者として生きなければならない。
現実だとして受け入れても、誰かに気安く話すことは出来ない。口を滑らせれば、尋常ではない出来事を日常とする特殊な変わり者扱いだ。自分が瑛茉や山ジイを胡散臭く思ったように、周りから変な目で見られる事は間違いない。
どっちを選んでも面倒くさそうだと思った。
やはり自分は平凡でつまらない男としての人生が身の丈に合っているのだろう。
どうしようかと悩む時、石原はいつも無性に六山に会いたくなる。
六山なら全部打ち明けて相談しても受け入れてくれたはずだ。六山が自分に打ち明けてくれたように、自分も六山に話を聞いてほしかった。六山は本当に死んだんだろうか。他の人たちのように死体が出ないのはなんなんだろう。
萩沢に会えば、六山が本当はどうなったのかわかるはずだ。
しかし、真実を知ることが怖いとも思う。
「お団子だし、コーヒーより緑茶にしようか?」
キッチンから聞こえた母の声に、石原はひとまず考えるのを後回しにした。
「うん」
リビングに戻り、掃き出し窓から中を覗く大きな影に気づいた。
幼い頃の姿をした六山勇郎が、巨大な体を屈めてじっと石原を見ていた。
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