トム・ヨークがAI無断学習を批判する声明に署名した件ついて
2024/10/23、トム・ヨークをはじめ1万人以上の著名なクリエイターが各種団体と共に署名した、生成AIによる創作物の無断学習を非難する声明が発表されました。〝Statement on AI training〟というシンプルな名前の声明です。いい略称とかがあればいいのですが、ここではそのまま呼びます。
初期の署名リストには、カズオ・イシグロやテッド・チャンがいます。自分が昔から最も尊敬していた作家たちが生成AI批判者になっているので、答え合わせ感があります。(カズオ・イシグロはじめ、爵位がついてる名前がありますね。この声明は英国公認くらいの雰囲気があります)
トム・ヨークとテッド・チャンは、自分が昔からファンだったということ以外につながりはないのですが、なんとなくファン層が被っていたらいいと思います。共通点は強いて言うなら、極限まで懐疑的な思考に基づいた作品というのがあるかもしれません。彼らはほとんど何も信じてません。
声明の内容というのは簡潔な一文のみです。
色々なサイトで翻訳されてますが、自分はこのamass.jpのサイトのものが好きで、たとえば他のサイトでは〝クリエイティブな作品〟→〝芸術作品〟とか〝生活〟→〝生計〟と訳しているものがあり、それらだと少しニュアンスが限定的になってしまうと思います。芸術作品というとファインアートのようになってしまいますが、この声明は広く創作物全般をカバーしているので、人間の創作したものであれば、日本のサブカルチャー作品であっても、例外ではありません。(そもそも日本のイラストはアートではないと思う人もいるかもしれませんが、英語圏では呼ばれるので広義ではそうです)
〝著作物〟としなかったことは、著作権の無い声などもカバーできるようにという意図かもしれません。(一応ですが、商用ではない作品にも著作権は発生するし、創作物認定ならなおさらです)
この〝Statement on AI training〟、内容としては、相当に強硬な要求です。
いったん比較対象として、#NOMORE無断生成AIの声明について見ますが、あれは追加学習や生成段階のLoRA的事例を著作権や人格権によって規制しようとするものでした。これはおそらく、学習・開発段階の規制は分が悪いと判断し、即効性を求めたものだと思います。日本でいわゆる〝AIに強い法律家〟に相談するとそうなると思います。(SF作家クラブの声明もそのようでしたが、もっと弱い批判でした)
対して、今回の〝Statement on AI training〟はAI推進側の言い分を全く考慮していません。なにしろ、利用や生成物の類似ではなく、開発段階での、著作物の学習そのものの規制を求めているのです。日本での、学習段階は合法というローカルルールなどは彼らにとって何も意味しません。また未来の使用でもないのであれば、すでに開発してしまったモデルも遡及的に違法になるでしょう。フリー素材だけでは、ほとんどの基盤モデルの質がdeepdreamで犬の顔で渦巻き模様を作っていたころ並に落ちるので、ほぼ絶滅を意味します。(今まさに、日本では〝はやくAI絵師に絶滅してほしい〟ツイートが20万以上のいいねを集めています)
著作物を学習するまでは良いが、そのモデルで著作物を生成することが、いかにも段階を踏んで間接的に見せかけたロンダリングという感じで駄目だという路線で規制されるのだと思っていたのですが(実際のマネーロンダリングも、配置、階層化、統合、という3つの段階を取ります。まるでニューラルネットワークが多層化することで著作物の同一性を希釈することに似ています)この声明だと学習自体が直接的に著作者の脅威になるとなっています。利用形態が、生成を伴わない、何らかの研究目的の分析だとしてもです。まるで、紙幣のコピー自体が、それを使用する前に罪になるように。これはクリエイターが持つ嫌悪感を正しく表現しています。絵描きは無断生成のAIアートをアート市場に対する偽札のようなものだと認識しているからです。
偽札としてのAIアートという比喩については、また今度書くかもですが、短く触れておきます。著作物の集団を学習して著作物を出力することは、個別の情報を洗浄して共通する匿名的なパターンだけを抽出することを意味します。重要なのは、そのパターンに価値があるということです。来歴を捨象し、価値を抽出しています。これは通貨の取引記録を抹消するが通貨としての価値を維持することに相当します。このマネーロンダリングの比喩から見えてくるのは、アートとは本来、非匿名的な通貨のようなものだったということです。それは作者の名前が刻印された通貨でした。作者が知れない古代の作品だったとしても、その環境と文脈を反映していることが期待されました。その発行数は、人口と文化によってのみ増減し、新しい番号のものが機械的に、勝手に発行されることはありませんでした。
印刷機の登場がコピーライト(複製権)の制定を要請しましたが、AIモデルを訓練するための機械学習フレームワークのような統計解析ツールの登場は、解析権の整備を要請するのかもしれません。たとえばセキュリティ暗号や個人のDNA配列のように、解析されること自体が脅威である情報があるのです。著作物はその一種となります。(解読と統計解析は違うのでここは意図的に雑にした比喩です)(例えば個人が私的に解析できるなら防ぐ方法はないと皆さん思っていると思いますが、大量のスクレイピングは若干防げるのではないかと思います)(もちろん、最初に複製を伴うことから、著作権内で処理できるならそれでいいです)
また、先程言ったように、著作権という表記では声優の声などをカバーできません。さらにこれからは、最大の個人情報である脳波やニューロンの位相的な構造なども守らなければなりませんが、それは肖像権でも著作権でもありません。(ニューラルライツという権利がコロラド州で制定されました)(自然界の事象はどんどん解析して制御していいです。人間の所有物が駄目なだけです)
要するに、人間固有の活動の持つ情報に対する機械的な解析自体を規制しなければなりません。脳が出てくるといずれはそうなります。AIの人がAGIが来るのですべては無意味と言ってますが、脳活動の違法解析の規制も同様に確実であることを見落としています。創作物に見られる人間活動の解析規制はその前段階です。
そんなことよりトム・ヨークを聴きましょう。
CDはもちろんですが、meeting people is easyとか、The Most Gigantic Lying Mouth of All TimeというDVDも持ってます。Exit Musicという本も。ブッシュ批判について知りたかったけど特に深い情報はありませんでした。AI批判は、過去の苛烈なブッシュ批判の延長で政治的なものです。彼はブッシュを盗人(thief)と呼びましたが、現在は生成AI企業をそう呼ぶジャーナリストもいます。
Hail to the thiefのジャケットのアートワークと表紙が同じなので、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』も買いました。
最近イスラエルを批判していない問題みたいな話がありますがよく調べてません。
Radioheadは最新のテクノロジーを音楽に使うことに最も積極的なバンドでした。
彼らは90年代、fitter happierにおいて機械音声の読み上げをボーカルにして曲を作りました。またHTTTのころには、紙切れに単語を書いて拾い上げて作詞する手法について語りました。その彼が批判しているのだから、創作の生成AIの利用は、サンプリングや引用や電子化やランダム性とは違うということです。
でも、トム・ヨークが批判しても音楽の人はAI利用をやめないし、テッド・チャンが批判してもSF作家はAI利用をやめません。ではアートとは無力なのではないかと思います。無力なのですべてを諦めましょう。
Lucky、Reckoner、Decks dark、Climbin up the walls(zero7)、Im a wicked childあたりがゆったりしています。他の人がカバーしてる、変なラップバージョンのPyramid song。最近Rabbit in your headlightsのソロのやつをずっときいてた。We suck young bloodの搾取感。
この絵は10年以上前に描いたトム・ヨークの模写です。それくらいの時期の髪型をしてると思います。SAIを使っていた時代だったのでぬるっとしてます。ぬるっとしているというのは、ブラシの色延びみたいなパラメータのせいです。なんかSAIはデフォルトでぬめっとしていた。最近、テッド・チャンの模写もしようかなと思っていて、そのときはもう少し乾いたメリハリのある感じになると思います。模写は特にメリットがないのでやらないのですが、あまりにもその人のファンだとやることがあります。
これをサムネにしようと思ったけどあまりにも正面トムなのでやめました。