第五話 武林の達人達
彼ら(彼女達)は明らかに他の旅行者達とは違っていた。
バックパックの中身は食材、調味料、そして鉄鍋(!)、中華包丁などなど。それぞれに分担して持ち歩き7人という集団で旅をしていたのです。
まるで武林で名を馳せる武術の達人たちの様に。
さて、そのスイスの行き先はというと、ラウターブルンネンというインターラーケンから更に先、谷に囲まれた長閑な村でした。
そんな村で泊まっていた所はというと、如何にもというような山小屋で、自炊設備もありの場所。
夕飯時にもなると、皆がそれぞれに食事を作っていました。
日本に5年間住んでいたというアメリカ人は日本の典型的なラーメンを作っていて、どこから仕入れたのか海苔まで入れ、「いただきます」といってから食べてました。
アメリカの田舎の方から来ていたカップルはレンジで温めるだけの簡単な食事。非常に大人しい2人で、僕らは常にお互いに必要以上の遠慮をしながら、過ごしていました。
そして例の中国人たちは、地元の農家から鶏を買取り、「絞め」てました。そしてテーブル一杯に本格的な中国料理を作っていました。きっとこうやって世界に散って、チャイニーズレストランを出していくのだろうなあ…。なんて逞しいのだろうか。
そんなスイスで僕はというと、高熱を出して寝込んでいました…。
六月だというのに雪もチラつく陽気。その寒さにやられ。
自炊どころか、食事を取るのも厳しい状態でした。そんな時、この中国人の一人が、毎日僕の為に、料理を作ってくれたのです。お粥からラーメン、その他、食べ易いものを主体に。
見ず知らずの僕に対して、何故、こんなに優しいんだろう?
それまで僕はヨーロッパなど、「遥か遠い」国ばかりを見ていましたが、この頃から「近くて遠かった」アジアの国々というのを意識し始めたのです。
そのおかげで回復をした僕は、彼らにお礼を言い、一人下山しスイスの街へと戻る事が出来ました。
街に着いて、先ずは宿探しから。
早速、良さげな宿を見つけてパックパックから荷物を出していると、同じ部屋に泊まる中華系マレーシア人の二人組みが入ってきました。
「やあ、君は日本人?」「僕はよく日本人と間違えられるんだよ。」と笑顔で、話しかけてきました。
ドミトリーならではの、出会い。
確かに日本人、しかも沖縄の人のように人懐っこい感じでした。
「マレーシアのK.L(クアラルンプール)から来たんだ。君は?」
と彼ら。
「東京からだよ。K.Lってどの辺り?」
と僕。
そう、この時僕は、マレーシアがどこにあり、K.Lがどこにあり、それが首都だという事すら知らなかったのです。まさかこの時にはこの先、アジア放浪で、そのマレーシアに半年以上の滞在を重ねるとは夢にも思っていませんでした。そして第二の故郷になるとは思ってもいませんでした。
そこでこのマレー人の二人から旅の話しや、アジアの話を聞き、僕もアジアの一員、そして日本がアジアだという事を認識していったのです。
そう、彼らは僕(日本人)をアジアの仲間だと思って接してきてくれていたのです。
「マレーシアはマレー・中国・インドの料理も食べられるし、それらの国の人がいる。今度はぜひマレーシアにも来てよ。そしてウチに遊びにきて。」
そんな話しをしているウチに、僕の中で“アジア”というぼんやりといたイメージだったものが、初めて一つ一つの国として意識するに至った瞬間でした。
数日後、仲良くなった彼らに別れを告げ、今度一路、南へ。南へ下ればきっと暖かい(はず)と思い、イタリアへと南下していったのです。
さて、イタリアではどんな人達と出会えるだろうか。
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