悩殺コーヒー

ねぇじいや、わたしって悪い子?

でもね、この前カレと電話してるときに家に虫が出て、その虫を退治し終わるまで「待って待ってキモすぎる、なんで?なんで居るの?居ないで。勝手に人の家に上がり込んで居座るってヤクザじゃん。しかも殺されるまで出ていかないんだよ?特攻隊かよ。ちょっとそれは不謹慎か。ごめんね。」みたいな実況を3時間聞かせたりしたのに、わたしってまだ悪い子じゃないの?

でも、この前はお母さんが雨で服を洗濯できなかったときに「なんで服洗濯してないの?2、3日帰省してるだけなんだから服を1セットしか持ってないの知ってるよね?雨って言ったって、いつも部屋干ししてるじゃん。洗濯できてないならせめて言ってよ。」って言っちゃったんだよ?

ううん、この話の大事なところはそうじゃないの。わたしそのあと自分の一人暮らしの家に帰る途中、お母さんから「さっきはごめんね」ってLINEが来て、電車の中で泣いたの。

いいえ、それって芯から傲慢で無自覚で偽善的なのよ。「わたしは酷いことを言って、それを悔やんで泣いています」って表明したのよ。さっきの虫の話も、大事なのは実況を3時間聞かせたことじゃない。そのあとに「こんなことに付き合わせて、本当にワガママなカノジョだよね。どうしてわたしなんかと付き合っているの?」ってカレに言ったことなの。それって、ほんとうにずるいことだと思わない?そうやって、自分で自覚していますよ、自分のことを嫌いになっていますよ、反省はもう自分の中でしていますから、あなたたちはそんな健気なわたしを慈しんでください と言わんばかりでしょう?そんなことを言ったら「ボクはキミのそういうところもかわいいから好きなんだよ」って言ってくれるに決まってるじゃない。それをわかって言ったのよ。

ひどいことを言ったりしたりしたなら、せめてそれに無自覚でいて、人から最後まで恨まれるべきだわ。それがひどいことをした相手への敬意だわ。あとから本当に悔やんだフリをして落ち込んだり性格が暗くなったりするのは、なんだかあれね、「先生だって怒りたくて怒ってるんじゃないんだよ」って言うみたいなものね。そんなこと知ったこっちゃないでしょ。怒ってきた人のままでいてよ。そしたら悪口言いやすいじゃない。せめて最後まで悪者でいてよ。一度悪者になったなら、「自分は悪者なんだ」っていう十字架を背負って、死ぬまでいるべきだわ。あとあれとも言えるわね、犯罪者が更生してまじめに働いて〜みたいな話ね。まああれもともと賛否両論あるけどね。自覚を免罪符にして、ほんとうは慈悲深くて善良な人間なのだから、まあ許してやってください って自分で言ってるようなものよ。

あとわたしが今こうやってじいやにこんな話をしてるのも、その仲間みたいなものよね。自分が悪いことをして悔やんだことを悔やんだ、ことをまた悔やんで、許してもらおうとしている。ほんとうは、わたしはこのわだかまりを抱えたまま、黙って死んでいくべきなのよ。じいやが今わたしに「お嬢様、死んでください」と言ってくれたら、それほど楽なことはないわ。

お嬢様、コーヒーのお時間でございます。

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