美しき思い出

思春期に前払いした自己肯定感を回収し終え、漫然とした態度で20代を生きている。文章を書くときは決まって文章を書いている場合などではないときだ。本当は、顔がかっこいい先輩に「顔がかっこいいから」という理由で喋りかけられない現状をどうにかしなければならないし、顔がかっこいい先輩に「顔がかっこいいから」という理由で喋りかけられないという体(てい)で普通に嫌われている気がして怖くて喋りかけられないし全体としてその雰囲気を俺に対して感じるという現実に向き合い整理していかなければならないし、来月の家賃、「まじでばかおもろいんやけど」という言葉をあまりに大学生の典型的な言葉尻イキリとして嫌悪しているにも関わらず使ってしまうこと、勉強、元カノと普通に喋れるようになったはいいもののまわりの友達と同等の接し方をしているがために必要以上に仲良くなり1周まわってまた「きっしぇえ」と思ってしまっていること、ツイッターをやめたい、「きっしぇえ(きしょい)」「うっしー(薄い)」という言葉を使うことをやめたいこと、短歌など答えのない文章の遊びについて、その講評をきいても「はあ」としか思えない感受性の乏しさなど、解決すべき課題が山積みであるのにも関わらず、それらを「解決しなければ」と思うことに脳のメモリを使いすぎて解決するプログラムを組めない無能エンジニアがまたツイッターでバズる。

つい最近死んでしまったおばさん。あんなにいい人だったのに、最期は苦しいと訴え続けて死んだと聞いて、人の終わり方はその人生にまったく相関しないのかと悲しくなったり、元カノと「前こんなことがあったよね、あはは。」という話をするとまるでとてもそれが美しい思い出のように蘇るが等身大で見るそれはそこまで情動的ではないこと、音楽が聞けない、本当はもっと絵が上手くなりたかったとか、そういうことばかり考えてしまう。

俺は俺とばかり向きあって、このような汚物を垂れ流し、さぞ不出来な人間でまともに働けもせず、10年後はツイッターで「あ!カニが踊っているよ!((🦀))」とか呟いてそうだなと思うでしょう。きっとそんなことないと思います。希望ではなくて、俺にはそこまで振り切れる勇気がないからそう予想するのみです。周りから外れたことをしたがるわりに、周りから外されることに恐怖を覚えている。「まともであること」への嫌悪感を抱きつつ、「まとも」な人間をやっている。俺はミッドサマーのジジイが飛び降りて死ぬシーンが好きで何回も見ていますが、きっと周りにそれを言えばお前おかしいよとかサイコパスだよとかって言われると思うんですが、それに多少気持ち良くなったりするんでしょうが、それにしてもミッドサマーもジジイが飛び降りて死ぬシーンが好きだなんてあまりにも「まともじゃない」から遠すぎる。俺が変な服を着たり変な映画や漫画が好きなのは、俺自身がめちゃくちゃまともだからであって、だってそうでしょう。だったらホラー映画なんて誰もみませんから、身近にないものを創作の中に求めているのが人です。変なものが好きということはそれだけ変なものから遠いということであって、俺は「友達とケンカしちゃった」と相談されたら「たしかにそいつも悪いけど、お前も大人になるべきだよ」と言うし、切った野菜を冷凍しておいたりするし、掃除も週4回する。マリファナ吸いてーと思いますが、それだって誰しも考えたことがあるでしょうし、とにかくほんとうにつまらない。大学の講義が一番面白い。

あーフィンランドいきてえなあ。白夜が見たい。でも多分行ったら3日目くらいでめちゃくちゃ不安になって泣いちゃうと思うし、てか今だってこれ書いてるの3時だからすげえ頭痛いし、まじでつまんないんですわ。勉強しましょうね。知識量のことじゃなくて、なにかを吸収することをやめてる人って本当につまらないですからね。俺のことですけど。

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