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生きること、学ぶこと


「生きた知識」を鍛えるとは



これからの社会では、生成AIを使いこなせる人と使えない人の分断が起きる。そのこと以上に危険なのは、AIの時代に、乳幼児のように自らを世界に接地させ、概念を抽象化して記号接地できる人と、それをAIに任せて依存してしまう人との間の分断である。
AI依存が習慣化して、探求し続ける人間の姿が失われていくことである。

今井むつみの「学力喪失」を読む。

ICEアプローチは知識の習得のプロセスで「つながり」を重視する。探索や推論を通してコネクションしていく。子供が教科を自分で推論して、自分の経験と結びつけて、自分で新たに知識を作っていかないと、「生きた知識」には、ならない。

なぜ学校では、自分で探索することをやめてしまうのか?

乳幼児は言語という巨大な記号体系を自ら探索して、推論、使い、身につけるが、今の学校のシステムの課題は、教師が正しい答えを教えてくれることに生徒が慣らされてしまう環境であるから。大人がそういう環境を作ってしまった。

さらに学力テストで知識の記憶量を確認するという人の成長にとっては無意味なことをやっている。生徒には間違うことは悪いことという観念が生まれるので、探索し、試行錯誤をする接地活動がなくなってくる。AI依存と同じ現象である。

なぜ直感が必要なのか?

人間は、言語が生まれる前から世界を自分の身体で探索することができる、つまり本来的に接地することをしてきた。人間(ホモ・サピエンス)が30万年も生き延びられたのは、見通しの効かない世界の中で、経験と感覚でどこかの道を選ぶことができたからである。

人間は直感を使う。全体を見通して、本質を把握するための直感力を使ってきた。AIにはできないことである。

AIは「生きた知識」の学習をしないが、人間は「生きた知識」の体系を構築できる。

限られた情報処理能力であるが、記号接地をして、そこから抽象的な記号の世界に入り、、自力で果敢に踏み込み、登攀していく。それは人間だけが持つ学習する力である。知識がなくても、知覚、感覚的にアクセスできる概念を見つけ、そこに接地する。

今日は、プレイフル・ラーニングでもやってみよう。


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