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DXと日本社会 第3章



〜教育におけるDX〜



 
第三章 教育におけるDX
 
 
(1)  教育DXの現状と課題
 
 
教育振興基本計画と国の推進する教育DX
繰り返し指摘していることであるが、経団連が教育基本計画のあり方を表明して、文科省(中教審)がそれに続くという関係は極めて不自然である。

経団連の内容を見ると、文理分断からの脱却やデジタル人材の育成、グローバル教育・海外留学、教育DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進をあげる。数値目標として、(a) 学習者用デジタル教科書の整備率を90%(←2022年35.9%)(b) 遠隔・オンラインと対面とのハイブリッド型授業が実施可能な小中高等学校の割合を100%(←2022年69.6%#4)(c) 文理を問わず、大学生・高専生全体に占める数理・データサイエンス・AI教育プログラム(リテラシーレベル)履修者の割合を100%(←データなし)(d) 6ヵ月以上、海外に留学する大学生数を3万人(←2020年約900人)(e) 大学等における起業家教育の受講者数を30万人に増加(←2020年約3万人)を掲げる。

経済界が求める教育政策は、(A)多様性を尊重し、主体性・好奇心・創造性を育む教育(B)幅広い視野でイノベーションを創出し、未来を切り拓く力の育成(C)新時代の学びのための基盤づくりであるとする。優先的取り組みとして、文理分断からの脱却、デジタル人材の育成、グローバル教育・海外留学、キャリア教育・起業家教育等、子どもの才能を伸ばす多様な教育機会の提供、大学院教育、リカレント教育、教育D X、社会に開かれた大学作りと10項目を掲げている。教育担当ではないので、「教育と何か」という原点に基づいてこれからの教育のあり方を論じることができないことを考慮しても、経済界が求めるデジタル人材での一点突破は流石に無理がある。
(*1)

一方、文科省が作成した2023年の『教育振興基本計画』(*2)では、教育全般にわたり、課題と方向性が5つの基本的方針と16の教育政策の目標、基本施策及び指標としてまとめられている。教育の本質の部分から現在のうねりまでがよく読み取れる。経団連の考えとは違う。教育DXに関しては、目標11 教育 DX の推進・デジタル人材の育成、目標12 指導体制・ICT 環境の整備、教育研究基盤の強化、で記述されている。
 
文科省は、「柴山・学びの革新プラン」(2019年)(*3)以降、AI時代の教育は膨大なデータへどう向き合うか、読解力、計算力や数学的思考力などの基盤的な学力を重視し、先端技術や教育ビッグデータを活用する方向を示した。1.遠隔教育の推進による先進的な教育の実現2.先端技術の導入による教師の授業支援3.先端技術の活用のための環境整備の3点を政策の柱とし、先端技術の活用によりすべての児童生徒に対して質の高い教育を実現することを目指す。具体的には、「文部科学省におけるデジタル化推進プラン」(2020年)で、社会全体のデジタル化に応じた教育のデジタル化やDXを推進するのが「未来省」の文科省の役割であるとした。
 
中教審は、「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~2021年」(*4)を答申する。それぞれの学びを一体的に充実し 「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげるために、指導の個性化、学習の個性化を、データによって管理していくという考えである。「個別最適な学び」が孤立した学びにならないために協働的な学びも充実させる。
 
文科省の「データ駆動型」による個別最適化学習への加速は、経団連、経産省のリードのもとで進められた。
 
高校における情報教育の重視(2024年予算で、「情報II」をカリキュラム化した高校に100億円を助成する)、リカレント教育における数理・データサイエンス・AI教育の推進、大学は、デジタル・グリーン等の成長分野である理工系学部・研究科への再編を早急に実現等理数系の重視(3000億円の基金を設置)などへと展開している。
 
教育のあり方、例えばTeachingからLearningへの変換、アクティブラーニング、学習者中心の学びを求めるところは文科省の基本的指針として継続的に示唆している。しかし、そのことと「AI x データ」による個別最適化という一点に収束することは明らかに短絡している。
2027年新学習指導要領の検討委員の安宅和人は、「AI x データ」を解き放せと強く主張する。(*5)読み違えると危うい方向に行く危険性を考えて、AI時代のメタ学習者になれと言う。
 
「AIのリテラシーの必要性は、言語能力の向上・prompt design・perspective・evidence based learning ・機械学習モデルに基づくAIには社会の歪みがそのまま写し取られる。 Deep Fake、AIにも⼈間にも⾒破れない情報がすでに⼤量に存在しているので、AIに惑わされない能力などの習得を身につけることである。一方で、集合知 collective intelligence の重要性を学ぶ必要を説く。他者とのかかわり合いから現状を知り、価値提供の⽅向性を⾒出し、作りたい未来のために、さまざま⼈を巻き込み、問いを投げかけ、知恵を⽣み出すし、様々な知恵をひとつにつなぎ、形にしていくことである。

⼈類と地球の共存が最⼤課題であり、Resilience、システム思考は基礎教養として高校までに習得すべきである。⽂理分断時代はすでに終焉しており、⼈⽂系の問いを「AI xデータ」で解決する時代になっている。」
各⾃の才能の解き放ちができるか、異人の育成を提言している。
 
経産省の考える教育のDXの最終形は、データ駆動型教育である。
そのために教育データの標準化を図っている。「教育や学びを科学する視点」(2017年「society5.0に向けた人材育成」)では、主体的の学ぶ姿勢や創造的な思考を育むことは、教員の経験や勘ではできない、と断言する。(「AIやデータの力を借りて。子ども達一人ひとりに適した多様な学習方法を見出し、従来の一律・一斉・一方向の授業から、Edtechを用いた自学自習と学び合いへと学び方の重心を移すべき」研究会の名前が「未来の教室」とEdTechと、EdTechを入れることを前提にしたものである。柱は3つ。文理融合のSTEAM教育を推進する。一律・一斉・一方向型授業は神話であり、個別最適化を目指す。学習者中心、デジタル・ファースト、社会とシームレスな学校のデジタルインフラを整備する。
(*6)
 
2021年には国の施策である「デジタル田園都市国家構想を実現するための文部科学省の取組について」(*7)を発表した。やはりデジタル人材の育成である。具体的には、「数理・データサイエンス・AI 教育強化拠点コンソーシアム」と「成長分野をけん引する大学・高専の機能強化に向けた基金による継続的支援」の推進である。また、文教分野でのデジタル技術の活用として、教育DXによる地方創生、デジタル技術を活用した文化芸術の魅力発信・地域活性化と地域中核・特色ある研究大学の振興を謳っている。
主体的学び、創造的思考、一方向の授業、自学自習、学び合いは、それぞれ違う文脈の中で対応すべきで、決してDXだけで解決するものではない。
 
教育DXは、学習者視点で、教育が求める姿とその方法について、デジタルを活用して現在をトランスフォーメーションする活動である。従って、デジタルという枠組みや位置付けの捉え方によって、そして現状の捉え方によって、トランスフォーメーションの方向も変わってくる。経産省が狙う教育DXに秘められた「公教育の再編」という問題はあまりにも政治的である。教育全体に関わる課題である。
 
 
*1経団連『次期教育振興基本計画』策定に向けた提言」2022年
*2文科省「教育振興基本計画」2023年
*3文科省「新時代の学びを支える先端技術のフル活用に向けて~柴山・学びの革新プラン~」2019年
*4文科省「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引
き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~」2021年
*5安宅和人「シンニホン」AI xデータ時代における日本の再生と人材育成
*6経産省「未来の教室ビジョン」(「未来の教室」と EdTech 研究会)2019年
*7文科省「デジタル田園都市国家構想を実現するための文部科学省の取組について」2021年
 
 
幼児教育DX
 
幼児教育に関する国の指針は、幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領(*1)が2018年に改定されている。
幼稚園教育において育みたい資質・能力及び幼児期の終わりまでに育ってほしいこととして、(1) 豊かな体験を通じて、感じたり,気付いたり,分かったり,できるような「知識及び技能の基礎」(2) 気付いたことや,できるようになったことなどを使い,考えたり,試したり,工夫したり,表現したりする「思考力,判断力,表現力等の基礎」 (3) 心情,意欲,態度が育つ中て,よりよい生活を営もうとする「学びに向かう力,人間性等」を掲げている。
文科省は、「これからの幼児教育とICTの活用~幼児理解の深化と支援の充実へ~」(2019年)(*2)を調査研究として発表している。環境を通した教育が基本であり、
・幼児期にふさわしい生活の展開
・遊びを通しての総合的な指導
・一人一人の発達の特性に応じた指導
⇒教師による、幼児理解に基づく計画的な環境の構成が必要であるとして、そのためのICT活用を促している。
具体的には、教師の実践支援として、個性重視のために/主体性を尊重するために/幼児理解のために/環境の構成と環境の再構成の根拠の説明、検証のために、また幼児にとってはリアリティーや諸感覚を得るために有効であるとする。

園でのこれからの活用方法は、ビックデータの活用であり、一人一人のデータ、全員のデータいつ、どこで、だれが、何を、についてのデータ園生活すべてのデータ収集の検討がある。遊びと生活場面での幼児理解と援助にかかわる実践支援のためのICTの活用事例として、一人一人の幼児の個別的でかつ網羅した客観的データの把握、一人一人の幼児の園生活の可視化、一人一人の幼児の遊びの志向性の理解、教師の教育実践の実態の可視化が必要とする。
 
子ども家庭庁は、「保育所等におけるICT化推進等事業の拡充」(2024年)(*3)において、子ども政策DX推進チームの検討結果を踏まえた予算化を図る。保育業務でのICTの導入と保育現場でのDX推進を自治体と連携して実行するものである。DXの意味づけは幼児に直接デジタルを与えるというのではなく、保育士等指導者が仕事の効率化により幼児と向き合う時間を多く作り、保育の質向上を図ることを目的としている。具体的には、登園管理、保育日誌、出欠管理、園児情報などである。GIGAスクールにつなげるという文科省とは少しズレがある。
 
保育者を養成する幼児教育系の短大では情報処理教育が必修化されているが、教職課程コアカリキュラムで幼児教育での情報等ICT強化はなされていない。
 
ICTの活用はこれまでの幼児教育の基本的な考え方に拮抗する面が多い。道具を自由に使えるのが幼児であり、ICTは使い方に一定のルールがある。ルールは管理を要求する。従ってICTに依存することは、幼児が本来持っているケイパビィリティを損なう可能性がある。あえてタブレットやプログラミングをやることが幼児段階にとって必要であるという論拠はない。
 
幼児の教育は、外遊び、自由遊び、体験、手伝い、読み聞かせというのが定説である。特に遊びに関してこれまでは様々な観点から数多くの研究や実践が行われてきた。「幼児期の生活はその多くが遊びから構成されている。遊びは子どもの心身の成長・ 発達を支え、人間性・社会性を育む重要な活動として、保育の中心を占める重要なものである。子どもの学びは「学びとしての目的をもたない遊び」を通して行われることに意義があり、それゆえ保育者の関わりに一層の創意工夫が求められる。あるべきこと(当為)が先に立ってしまわないように、子どもの事実を出発点とするという意識を常にもっておきたい。」と論述した柞磨昭孝から引用する。
 
幼児期の自己認識や主体性については、メルロ=ポンティ(*5)、クロン・ピアジュ(*6)、ジャック=マリー・エミール・ラカン(*7)などの研究がある。ラカンの鏡像段階の理論は「無意識の主体」という概念を打ち出す。それまでのサルトル(*8)の主体である意志の投機を通じて自己意識に更新していくものではなく、「言い間違え」という自由な意志による裂け目を通じて、無意識的に動かす存在のことを言った。生後6ヶ月から18ヶ月の乳幼児が鏡に映る他者を見て、自己同一化していく行為である。さらに無意識は言語により構造化されていく。

ピアジュは相手の立場に立ってみるという共同主観、自己中心的という点でサルトル的であり、ポンティは鏡の中の他者を混乱の海に見る。一方、ラカンの考えは、動物と違い人間は最初から自然とのズレを持っている根源的な条件があるため、まだ無力な脳によって自然との不調和に耐える必要があると考える。環世界の死と直面して危機を乗り越えなければならない。幼児が自己の確立をするまで「無意識は言語と同じように構造化されている。」
(*9)
 
主体となる前の個人とは何か。幼児の神秘に包まれた無意識の主体の時間は貴重である。人間の生まれた時からのズレが働いているというラカンの最終段階である身体の認識や高度な言語を脳に内化していくところからAI問題はずっと繋がっている。幼児教育という形での規範を脳のニューロンが未発達の寸断された心身の状態において教育していくことは注意深くあらねばならない。その意味でも、子ども家庭庁の指針が、幼保施設の環境整備や保育者の支援のためのDXを主たる目的としていることは理解できる。
 

 
*1文科省「幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領」
*2文科省「これからの幼児教育とICTの活用~幼児理解の深化と支援の充実へ~」
2019年
*3子ども家庭庁「保育所等におけるICT化推進等事業の拡充」2024年
*4柞磨昭孝「遊びと環境との関わりについての考察」
*5モーリス・メルロ=ポンティ「眼と精神」みすず書房1966年
*6R.デブリーズ「ピアジェ理論と幼児教育の実践」北大路書房1992年
*7ジャック・ラカン「精神分析の四基本概念」岩波文庫
*8ジャン=ポール・サルトル「存在と無」人文書院1999年
*9浅田彰「構造と力」

 
初等中等教育DX
 
GIGAスクール元年はコロナ禍のために1年早くなり、令和3年とされた。同時に「GIGA StuDX 推進チーム」が発足する。(「GIGA StuDX」とは:GIGA スクール構想の浸透による学びの DX(デジタルトランスフォーメーション) と学校の教育活動における ICT 利活用の促進のための Exchange(情報交換)を掛け合わせた造語)
 
GIGAスクールの3年間を経て、学校における端末の利活用が定着してきたという現状認識がある。その上で、全ての教育委員会や学校における教育データの利活用を実現するために今後1~2年で必要な取組やさらに検討が必要な事項について取りまとめたのが、「教育データ利活用の実現に向けた実効的な方策について」(2024年)(*1)である。
 
しかし教育データの利活用の法的整備は簡単ではない。「教育データ利活用ロードマップ」(2022年)、令和3年改正個人情報保護法の施行(2023年)、「教育振興基本計画」(2023年)における教育データの利活用を含めた「教育デジタルトランスフォーメーション (DX)の推進」などで基本的な枠組みを作る。
 
教育データの標準化は、児童生徒が学校や家庭において学習やアセスメントができる CBTシステム(MEXCBT)を文科省が開発している。2021年から本格運用されており、現在は、ほぼすべての自治体、約 2.7万校、約 850万人の児童生徒が登録している。教育委員会や学校等を対象とした国からの調査をクラウドで回答できる文科省 WEB 調査システム(EduSurvey)は令和4年度から導入した。教育データの分析・利活用は、2021年より教育データ分析活用手法等の実証研究を進めている。しかし、教育データの効教育データ利活用が必ずしも全国的な動きになっているとは言えない現状がある。
そのため、今後に向けた課題として、次のことを掲げている。
① 教育データ利活用の意義の周知・必要性や有用性の認識共有
② 教育データ利活用のための標準的なシステム構成の提示、各自治体における実装支援 ③ データリテラシーの向上とデータの適切な取扱いの徹底
④ 国、地方自治体、民間等の役割分担を踏まえた教育データ利活用の推進
以上がGIGAスクールの現状である。
 
初等中等教育局の管理にある高等学校DXであるが、「高大接続」」の関係からDX推進支援策を2024年に「⾼等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)」(*2)を実施する。⼤学教育段階で、デジタル・理数分野への学部転換の取組が進む中、その政策効果を最⼤限発揮するためにも、 ⾼校段階におけるデジタル等成⻑分野を⽀える⼈材育成の抜本的強化が必要であり、情報、数学等の教育を重視するカリキュラムを実施するとともに、ICTを活⽤した⽂理横断的・探究的な学びを強化する学校などに対して、そのために必 要な環境整備の⽀援をする。高等学校の位置付けはやはり大学受験のステップではないかと思わざるを得ない。
 
2022年から始まっている「歴史総合」の授業の意味を通して、ICT教育について考える。2023年からは「世界史探究」「日本史探究」が選択科目になっている。
 
「「歴史を学ぶ意義は(1)過去を見つめて現在の生き方を考え、未来をどのように創造するか考える(2)多様な人々の生き方を知り、理解して対立を乗り越える思考力を磨く(3)何が真実かを、見抜く力を養うことが挙げられる。その本質は、歴史は暗記ではないということ。議論により過去に生きた人間に思いを馳せる。生徒の歴史観を対話で磨く、専門研究家の歴史観と違って良い、100人いれば100人の歴史観がある、その人なり人生経験や切実な心の働きから立ち上がる歴史象がある。これが主体的学びを促す。教師も生徒も探究のパートナーとなる。
 
文科省は「変化の激しい予測困難な時代」と定義するが、きちんというと「人が地球社会を未来に存続させることがより困難になっている時代」である。生き続けることが大変な時代である。人種主義、不戦条約、強制追放など「国民国家とは何か」という学習指導要領には書いてないことを、学習者の主体的な学びにより、自分が今痛切に感じている人類への危機感からこそ。はじめて感じとれる歴史がある。「歴史総合」なぜできたのか。世界史と日本史を分離した罠の源は明治維新の学校制度にある、どう学ぶのかの方法学習を欠いたこと。世界史をナショナルヒストリーの鼓舞ための道具にしたこと。脱暗記主義を標榜して逆に教師の知識を教え込んでいってしまったことがある。さらには問いの形式化(*3)が進み、真理から遠ざかっていった。」(*4)
 
小川の指摘は、専門研究家の歴史像が正しいものとして暗記してきた学び方への反省である。AIが専門研究家のデータを集めて正しいものとして提供しても真の学習にはならない。一般の人の心に内在するものはデータ化できない。他者との議論を通じて内面にある考えが熟成されて歴史の中の人間存在が自らの存在と時空で交差していくという学びである。こういうプロセスを経てこそ、人の苦しみを癒すことができる力が養われるのである。
私たちが歴史を見にくいものにしているのは学校教育の仕組みにあると、小田中直樹は主張する。「現在の歴史を実際の国の成立史を省いて、ドイツ、日本のようにナショナルヒストリーとして対象化する。教科書は専門家が「欠如モデル」で書き、日本の産業革命で富岡製糸場を記憶するような主観的な過去は省かれる。」(*5)
 
東日本大震災から21世紀の故郷喪失について、民族浄化と強制追放の多くの歴史、英国の秘密外交と中東問題・パレスチナ戦争、日本人の350万人の民間引揚を戦略とした米国の姿、米国の戦争違法化の歴史(*6)、不戦条約の今日的意味、奴隷国家から移民国家を作った米国の民主主義の責務(*7)、先住民と侵略者の歴史など、憎しみの連鎖を乗り越えて人類は共存していくために学ぶ課題は多い。
私たちは、専門家の企画した歴史からではなく、自ら感じ取った問いの形成によって学ぶという学びかたのXこそがDXの前に求められている。
 
また、新課程の共通テストで大きな議論を呼び起こした教育がある。論理的な文章・文学的な文章・実用的な文章に区分した理由として、学校は、社会と切り離された存在ではなく、社会の中にあり、グローバル化や急速な情報化、技術革新など、社会の変化を見据えて、子供たちがこれから生きていくために必要な資質や能力について改定したと説明している。国語教育の危機である。学びの多様性の排除である。教育改革がもたらすことばの危機である。イヴァン・イリイチは、学校を通して人々の価値が同一化されていくことを「学校化」と呼ぶ。ついには、主体的。対話的で深い学び、というように資質までもが育成の対象になっていく。(*8)
 
子供達に本当に必要なものはそんなに簡単には得られないのである。
そもそも、「論理国語」や「文学国語」などという国語があり得るのか。読書をしなくなる子供たちがますます増えることが懸念される。(*9)
 
「私は学校での小説研究が習俗を通して、秘義を具体的に表すのが方法的なものであるべきと考えるのだ。(秘儀:この世に我々がある状態についての神秘、習俗:存在の中心的な神秘を明らかにするような、しきたり)小説は言葉が紙にうつされた瞬間に作者なしで存在し始める。教師の役割はまず自らが訓練としてものを読む。そして作者の真実に対して義務を負うことであり、それ無くして学校で小説を取り扱う資格はない。さらには単発的な作品論ではなく、系統だった学科として歴史の筋道ある学科として言葉を教えて欲しい。繰り返すが、小説家は習俗を通して、秘儀を描き、自然をとおして恩寵を現してみせる。そこには人間の方式では説明できない、秘儀の感じが残っていなければならない。」(*10)
 
オコナーの小説家の習俗と秘儀であるが、「教師は作者の真実に対して義務を負わなければならない」と言う。小説家の文章の方が、人間社会が考えなければならないことをより深く伝えている。国語科目のなかで文学的な文章とそれ以外のものが同列に評価されることがあってはならない。「創造的個性とは、つまり、「内言」を素材として組み立てられた社会的志向のしっかりとした恒常的表現なのである。作家の全人生をかけて作られてきたものであり、芸術を作るということである。」(*11)
 
もう一つ考えなければならないことが、学校現場以外での子どものインターネット利用で、大きな社会問題はSNSである。最近、米国でティックトック禁止法案が可決された。各州で利用者の年齢制限(主に14歳未満)が設けられている。子どもを守る権利とされる。(2023年には12州で導入)背景には、SNS依存による若者の心の健康への悪影響や自殺者の増加(14−18歳、10万人当たり6人から9.7人に増加、2009年から18年)が社会問題化していることがある。SNSを常に使っている若者は46%である。電車でスマホを見ていない人の方が多い日本ではもっと多いのではと思う。(要調査)SNSでは、YouTubeが93%と圧倒的に多い。2024年1月に米議会の公聴会に大手5社が呼び出されて追及され、お詫びをする。(この報道が日本社会で大きな問題になっていない、)各社は10代の若者への使用制限(記事の内容へのアクセスや利用時間)を発表する。
しかしこの問題の解決は簡単ではない。一方で言論の自由の問題もあり、SNS企業と子どもたち、家族、学校、政府それぞれが規制という枠組み以外のことを考えないとならないのだが、それはどのようにしてか。教育問題に帰する。
 
「AI x データ」への踏み込みが次期学習主導要領のコアとして議論されている。「教育DXは2015年ごろから言われていたが、当初はデジタル教材や端末のことを考えていた。実際の狙いは、「未来の教室」ビジョン(経産省2019年)に明記されているように、教室での授業だけでなく、デジタル社会に合わせた教育のあり方を考えることである。(2016年第5期科学技術基本計画:「超スマート社会」サイバー空間とフィジカル空間の融合)ここには、教育と学びを計測するという発想がある。「教育や学びを科学する視点」(2017年「society5.0に向けた人材育成」)教員の経験や勘だけでは主体的の学ぶ姿勢や創造的な思考を育むことはできない、と断言する。(「AIやデータの力を借りて。子ども達一人ひとりに適した多様な学習方法を見出し、従来の一律・一斉・一方向の授業から、Edtechを用いた自学自習と学び合いへと学び方の重心を移すべき」(未来の教室ビジョン)これは論理の誤魔化しではないだろうか。タブレットデータの使い方が極めて抽象的である。「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」(文科省)にある。
①    宿題のドリルをいつやったか?どこで知まずいたか?
②    タブレットから、グループ内の発話量を調べる。
③    学習のレコメンドがある。
④    スマフォに学校からの連絡事項ある。リアルタイムで子どもの情報。
 
「未来の教室ビジョンにもある個別最適化の考えは、履修主義ではなく到達度主義への転換であり、「学級」という世界を崩壊する懸念がある。教師は生産性をあげるためのマネージャーということにならないか。そもそも、「個別とは何か?」「最適とは何か?」
「個体能力感」とは、個人の能力問い狭い枠に人の価値を閉じ込める考え方になる。
集団的学びをどう捉えるか?リーダーシップ、PFを作れる、対人関係に関わる能力、
「協働」を成り立たせる次元の把握は、個別最適ではできない。
「対話的」「協働的」学び。―発話量で判断できるものは何か?逆に無理に発話が目的化してしまう。ランキングを排除できるのか?むしろ、ある指標での(アルゴリズム)「能力差」が明確となる。プロファイリングによる行動予測、予測に基づく動機づけというターゲティング手法と同じである。主体的な学びというフィクションが見えてくる。
個別最適は、アルゴリズムが主体的に学ぶような動機づけを行なっているという考えである。PDCAサイクルに基づく「カリキュラム・マネジメント」によって、教育課程をコントロールする政策と、主体的、対話的の内容と矛盾する学び方を強いる。シラバスと同じで、これを指標に入れるから、子どもたちは、無理してもそれに沿う。偽装スキルと言える。
かくして、どこまでも自己の作りかえを求めるのが個別最適モデル。個体モデルのモジュール化である。人間がうまれながら持っている主体性、自分のモチベーションで外部から吸収することと内部の能力を引き出し成長する。というのが学びの原点であるはず。
学びは他者性を意識することから始まる。「能力とは何か?」社会での評価は、認められるものの価値はさまざまである。人は自分の能力をコミュニケーションや行動の中で、他者との会話で形成していく。異質な他者との関係の中で育つ。」(*12)
 

*1文科省「教育データ利活用の実現に向けた実効的な方策について」2024年
*2文科省「⾼等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)」2024年
*3小川幸司「世界史とは何か〜「歴史実践のために」」岩波新書2019年
*4小川幸司「問い」の形式化」
*5小田中直樹「歴史学のトリセツ」歴史の見方が変わるとき
*6貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」
*7トマス・ジェファソン「ヴァージニア覚書」
*8紅野謙介「国語教育混迷する改革」ちくま新書2020年
*9フラナリー・オコナー「習俗と秘儀」春秋社1999年
*10前川喜平「前川喜平 教育の中のマイノリティを語る」
*11ミハイル・バフチン
*12中西新太郎、谷口聡、瀬取山洋介「教育DXは何をもたらすか:「個別最適化」社会のゆくえ 」(福祉国家構想研究会)大月書店2023年
 
 
高等教育DX
 
今日の大学政策は、文科省が内閣官房に牛耳られている。経済成長に役立つ人間を作れというもので、憲法13条・23条から逸脱している。教育DXもこの意図の下、文科省と経産省が一体となってデジタル人材の育成を目指すものである。
 
また昨今の理数系重視を進める背景には、2002年の聖域なき小泉構造改革によって教育予算が減ってきたことに遠因がある。日本の大学は政府からの交付金配布と競争的資金に依存している。米国では機関投資家が65%の資金運用(2024年のイスラエルへの反戦デモがコロンビア大学やエール大学等で起きた理由の一つ)をしているが、日本はわずか9%である。本来はこの構造改革で大学は少しでも自立的な経営基盤をつくらなければならなかった。しかし、この間も文科省に言われるままに「選択と集中」を続けたのである。その結果、大学の3つの柱のひとつである研究は弱体していく。研究の中でも大学が市場を形成できる理数系の研究者が減ることは大きな打撃となる。かかる中で、経団連を中心にした産業界からのデジタル社会へ向けた人材育成の強い要望が掲げられた。
 
一方、文科省は、「我が国の未来をけん引する 大学等と社会の在り方について」(2021年)で大学の課題と未来へ向けての方向性を示した。中心的課題として、DXを進めるためのデジタル人材やグリーン人材の不足、高校生の理数系離れ、その結果の大学の理工系入学の低迷、進まないリカレント教育などが挙げられている。35%にとどまっている自然科学(理系)分野の学問を専攻する学生の割合についてOECD諸国で最も高い水準である5割程度を目指すなど具体的な目標をまで設定した。
 
数理・データサイエンス・AI教育の推進やDX分野等リスキルプログラムの開発・実施を推進する。(*3)行き着くところが、文科省初の3000億円基金である。(*4)理数系・情報系学部の新設促進プロジェクトである。つまり現在の大学DXは、経済界の意図に沿って、理数系学生の増員を図るものと言っても良い。
 
文科省が、基金という枠組みで進めている研究活動」への官製ファンド10兆円の危うさ、国際卓越研究大学制度(*1)は、国の全体を牽引するトリクルダウン効果は生まないという声が大学知識人からも上がっている。グローバルでトップに立てる大学を作ることが目的であるが、日本のトップは既に世界と拮抗しており、資金だけの問題ではないことはわかっている。
 
高等教育が「学究の場」から「共創の場」へと、変わってきたことで、さまざまな課題が生じている。これまでも、大学の研究は、国の政策アジェンダを後追いする研究テーマが圧倒的に多い。しかし、この30年間大学の研究が新たな産業を起こすための起爆にはなっていない。10兆円が生きてくる仕組みを誰が創るのか。LP投資(VCが介在する)とは言え、VCにはノウハウはなく多くを大学に任せざるを得ない現状では無駄な投資になることが危惧される。
 
米国では、大学は、連邦政府の関与が少なく、地域への大学の直接の反応と対応として生まれることが多い。日本大学も地域できちんと取り組んでいれば、独自の研究ができるはずである。例えば、「地域環境や地域エネルギー」「多様性とインクルージョン」「農業と食」「高齢化と地域医療」などの問題は既に日本でも解決すべき大きな問題となっている。
 
地域大学や私学が一つでも世界に普及できる研究を生み出すことが米国の地域大学のように重要である。トップ大学のようなリソースはなくても、選択してリーディング研究できる人材とテーマを作り出す環境整備が求められる。政府の「選択と集中」という言葉に踊らされてきた地域の大学は、自らこの閉塞から脱出しなければならない。今回も競争的資金確保に誘導されてしっかりとした構想のないままにデジタル人材育成のための理数系・情報系学部への傾倒を進めて良いのだろうか。内容の希薄な学部や学科が多数生まれて数合わせをしても、デジタルの専門家だけではトランスフォーメーションは起きないことはみな承知している。
 
大学の教育、研究、社会貢献という視点では、どのようなトランスフォーメーションが構想されるだろうか。
 
高等教育の使命は、学ぶもの一人ひとりの学習によって人類の普遍の価値を生み出し、世界が直面する課題の解決に貢献することである。これを大学が主体的に実行していく環境に変革するのがDXになければならない。学修本位の教育の実現をコアとして、質保証、経営改革、入学者選抜改革、専門家教育改革など大きなトランスフォーメーションを実現しないと大学の存在価値はなくなる。
 
大学が本当に地域に向けて開かれていないこと、大学の保有するデジタルナレッジを持って社会のデジタルナレッジと融合していくということで地域に向き合うことが基本である。地域のステークホルダーを大学経営に参加させるオープネスがこれからは必須である。地域と共有するPFを構築して、実践的な協同学習を進める。政府の補助金は減る一方であり、自ら市場を形成できる経営力を持たないと未来への望はない。高等教育が自身の力で市場形成するためには、大学が社会に対して身を開き、社会にアウトリーチしていくことから始めなければならない。
 
さらには、研究環境のトランスフォーメーションへの構想である。21世紀の研究を考える方向として次の視座での構想が必要である。電子データとネットワーにより、データがオープン化されて情報共有されていくことで、従来とは異なる研究手法が生まれる。欧米では、「science2.0」(*5)と言う仕組みがある。研究の最初から世界のパートナーたちと共同で研究するものであり、今後は、オープンPFのデータの共同解析などweb3.0型のものも出てくるだろう。一方で、大学とPFビッグテックとの対峙も深刻な問題となってきている。
 
 
1文科省「大学ファンドの創設」2021年
*2経産省「経団連からの提言「新しい時代に対応した大学教育改革の推進 」2022年
*3文科省「文部科学省における デジタル推進人材育成の取組について」
*4文科省「成⻑分野をけん引する大学・高専機能強化に向けた継続的支援策の創設」
*5science2.0
Science1.0 に比して、科学知識もインターネットでオープンにアクセスでき、科学者
同志、一般市民が先端科学の研究、開発状況を知ることで科学の在り方の正しい方向に関しての議論の場を提供する。
 


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